ユウジの雑記

哲学にあこがれています。

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今年は勉強します!

 去年はまったく勉強しませんでした!酒ばかり飲んで過ごした一年でした。恥ずかしいですね。
今年は勉強します(でも今ビール飲んでいます・・・)。哲学は初級イロハコースを終了したいです(私にとっては大決断です!)。それから挫折と絶望のの連続のサンスクリット語入門に再度取り組みます(英語、独語、仏語 ギリシア語、ラテン語も挫折と絶望にあります)。仏教学も学びたいです(サンスクリット語やチベット語、パーリ語、漢語はどうしたらいいの?)。今年は少しづつ頑張ります(でもお酒は飲むと思います。)。

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  今日はキリスト教の降誕祭なので、あの有名な早朝の時間に放送される「心のともしび」で引用されるルカ福音書2章6-7節のギリシア語見てみました(すいませんが、私は読んだり、まして解釈など出来ません!)。見るだけで2時間以上もかかりました。マリアが馬小屋でイエス(イエズス)を産んで、布に包んで、飼い葉桶に寝かしたと記述されているのですが、私たちがイメージするように赤ちゃんを毛布で包むのではなく、あの当時は赤ん坊を身動きできないようにぐるぐる巻きにしていたのかと思うのです(誤解ならごめんなさい。)。また飼い葉桶って丸い形のものだったのかしら?それから、夫ヨセフは産婆の心得があったのかしら?色々と疑問が出てしまいました。またあの当時の宿屋(ヨセフとマリアは泊まれなかったけど)はどのようなものだったのでしょうね?
  
  
  ついでにマタイ福音書の有名な語句7章7節(イエス(イエズス)の降誕とは関係ないですが)を見ました、これも一時間半以上もかかりました。「求めなさい」「探しなさい」「たたきなさい」の命令法現在は「継続的」だから求めつづけよ、探し続けよ、たたき続けよ、に近いと思うのですが(間違いならごめんなさい)、信者の人は日本語訳聖書(新共同訳)を見てもさほど問題ではないのかもしれませんが(だって毎日実践していると思いますので)、信者でない人は一回でOKだと思うかも(愚かな私はそう思って一回お祈りしました・・・結果は・・・)。
  聖書見るだけでも(読んだわけではありません。だってわからないのに!)非常に難しいです、考古学、歴史学、文献学、言語学、文化人類学、社会学、神話学など駆使しないとわからない(信者の人は霊性やスピリチャルの能力も必要だそうです)。


  ところで、私がよく読ませてもらっている方のブログでは、神という訳語は誤りであり、創造主が正しいとか、神に愛されていることをおろそかにして、神を愛さなければいけない方向へ向かうことと、それを他の信者に強要することは誤りであると非難されています。私は無知でよくわからないです。この方はブログを通して、信者の方を羊飼いのように啓蒙しているのでしょうね(牧師や司祭みたいです)。私はそれ以前に上記のような聖書の箇所が(聖書ほとんどになるのですが)よくわからないで躓いています。ギリシア語も見るだけで何時間もかかるし、日本語訳聖書も見てもやはり???理解できない人間です。「求めなさい!探しなさい!」・・・よーっし!続けて2回はお願いのお祈りします。これだけではダメですよね。

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哲学は理系かな?

 最近、脳科学の啓蒙書、クリストフ・コッホ著『意識をめぐる冒険』を読みました。哲学も「意識」に関わる議論がさかんですが、コッホ先生は哲学に厳しいパンチを放ちます。長い歴史において哲学は不毛な議論を続けていて、実証的ではないと・・・。そういえば、認知神経科学者の金井良太先生も『脳に刻まれたモラルの起源』で哲学者が意識を研究するのに脳自体を実証的に研究しないのは不自然であると述べていました。そしてMoral Psychology volume 4 Free Will and Responsibility のintroductionにも哲学者は最新の心理学や神経科学の実証研究を取り上げる必要があると書いていました(私は中学校で使った英和辞典(発音はカタカナ)でその部分を何時間もかかって読みました。誤読していることに確信がもてます。)。
 哲学も理系に入るのかな?戸田山先生の哲学入門書も理系の知識が哲学の前提になっているような気がしました(哲学は無前提から出発するとか、また哲学がすべての学問を基礎づけるものだと思っていました。)。科学哲学や分析哲学が理系だと思っていましたが、科学者の先生方はまだまだ科学や理系には程遠いと思っているのでしょうね。将来電子顕微鏡や宇宙望遠鏡で観察したり、高度な装置を駆使して実験したりする哲学者が登場するのでしょうね。アリストテレス、デカルトもそういうタイプの哲学者だったのかしら?
 そういえば、哲学専攻したある方が、「浅はかな知識で哲学を云々するやつは、呆れる。自分の心を見つめなおす人が哲学をしている」と噛んで砕いて吐き捨てるように助言してくださいました。心を見つめなおすには高度な認知科学や脳神経科学を駆使しないといけないのでしょうね。助言された方は文学と人生哲学と臨床心理を駆使して心を解明しているみたいです。
 理系と文系の二刀流の哲学は凄いけど・・・もう哲学にはついていけないかも。

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一貫性のない私

 最近、戸田山和久先生の『哲学入門』(ちくま新書)を読みました。先生は自然主義(唯物論)の立場で意味、表象、目的、自由、道徳などを発生論的(進化論的)に展開しています。私は「あーそうなんだ!素晴らしい!!」と感動・感動でした。特に興味のある自由意志と決定論や責任についての議論は感無量でした。神、魂、精神に依存することなく物的一元論で話が進むのです。「困ったら二元論とか人間精神の崇高性だよね」という話にならないのがいいです・・・
 ・・・でも私はカトリック修道女の渡辺和子先生の本を読んでも感動してしまうのです。渡辺和子先生は根本に神があって、人はいかに生きるべきかに話が展開すると思うのです。また人間の自由意志が大切なものだと語っているように思もいます。渡辺先生の本に「そうだ!そうだよ!」と思う私です。
 ああ!私には一貫した考えや、思想はないみたいです。
 戸田山先生の話と渡辺先生の話が両立できないものでしょうか(表面的な解釈で一致させるのでなく・・・)。難しいですね。

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ある一日だけの講座を受けることになって、今国際政治の入門書を読んでいます(本当は眺めているだけです)。実を言うと国際政治とか国際関係とかは苦手です(全ての学問も苦手です。)。理由は政治理論と現実の政治的実践は非常にかけ離れているのではないかと思っているからです。現実の政治や国際政治に携わる政治家は果たして政治理論を基にして政治を実践しているのだろうか。もし政治家が政治理論を参考にするならリアリストの発想になるのだろうと思ったからです。カント的発想のリベラリズムはやはりユートピア的に映る気がします。
私は政治哲学や倫理学も似たような思い込みから苦手です(本当は哲学のどの分野も理解できないので苦手ですが)。たとえば倫理学者がある倫理的政策を主張しても、実際の政治や政策立案にどれだけ反映されるのかしら。
こういう思い込みをしている私ですが、今読んでいる国際政治の入門書は、有名な学者でありながら、実際のアメリカの政治に携わっていたジョセフ・S・ナイ・ジュニアの『国際紛争 理論と歴史』です。
私は自分の思い込みと誤解(思い込みと誤解はどの人にも負けないです)をとても恥ずかしく思いました。読んでいて「なるほど。そーなんだ!」(これも思い込みと誤読なのではと恐れます)と感銘を受けています。もちろん英語の原書ではなく翻訳で読んでいます。「英語も読めないのに“国際”政治が勉強できるのか?」という声が聞こえます。やはり私は国際政治が苦手です。

大学通信で政治哲学か放送大学で国際政治学んでみようかしら・・・。

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