『為替と40余年』

森羅万象を映す“為替”と四十余年を貿易マンとして共に生きてきたが、定年後は違った観点から眺めたい

海外の想い出

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『紀元を跨ぐ旅』 “思い出の文書化”
先日、元職場のOB先輩との会合で、現役時代の思い出を文書化しようと言う話があった。この年になると昔の記憶も薄れ、なかなか時系列には思い出せない。明日は28日、そうだ21年前の昭和63年12月28日の想い出を材料にメモしておこう。

12月28日に越年仕事で成田を立ち、ロンドン乗り継ぎ一泊、地中海のマルタ島でリビヤ行きのビザ取得の為に年末30,31日二泊した。冬の地中海の島国・マルタは温暖で観光地だったが、当時のリビヤは鎖国の国、従ってマルタでの大晦日は美味しい食事とワインが喰飲み納めであった。翌元旦朝、首都トリポリに到着して大型商談を開始したが、「日本人は元旦も仕事をするのか?」とリビヤ役人から聞かれ「そうだ今日は正月元旦か!」と苦笑い、越年出張はその後も二度あったので現役時代は良く仕事をしたものだと思って記録している。

飯場の宿:
さて、覚悟は決めていたが、首都トリポリの外人用ホテルは全て満室で、結局、韓国財閥系建設会社の建設現場の「バラック建て飯場がホテル代わり」となったが夜は冷え実に寒い、惨めな正月となった。しかし、飯場の方で気遣ってくれ、飯炊きおばさんが韓国食に加え和風らしき、味噌汁など三度三度の食事は実に美味しく、カイロ駐在員の同僚二人、商社の方が一人加わり四人組で実に楽しく、愉快に仕事も出来た。
数日後にやっと市内のホテルの部屋が確保でき、飯場から移動し一泊した翌朝には「直ちに退去しろ!」と我々四人組は元の飯場に移動させられたが、理由は「戦争勃発」だった。アフリカのならず者、カダフィ大佐のリビヤと米空軍が地中海でドンパチ空中合戦を展開し、“スワー地中海戦争だ!”とCNN、ABCや共同通信など世界のメデイアが押しかけ我がホテルを占領し、ビジネスマンは全員退去となった。帰国後、「大変だったね!」と言う言葉を期待していたが、家族も会社の誰一人も紛争があったことすら知らなかった。リビヤ側空軍機2-3機が追撃されただけの小競り合いで終わったのだ。

当時、ならず者のカダフィ大佐のリビヤには日本政府の輸出の厳しい窓口規制があった。ハイテク機器を含む商談で、MITIに相談しても埒があかず、米国当局と相談しOKサインを貰って商談を始めた時代であった。今年の12月、衛生回線を通じてカダフィ大佐が明大で学生700人との対話集会を開催し、大佐が「日本の米国追随外交を批判した」とのニュースがあったが、時代も大きく変わったものだ。

昭和から平成:
商談を終えて、欧州品の調達調査でドイツに行き、デイュッセルドルフの日航ホテルに陣取り半徹夜作業をしていた1月7日朝、「昭和天皇ご崩御」の号外ニュースに接した。数日して帰国したときには「昭和から平成に」に変わっており、“紀元を跨ぐ思いで深い出張”もあと数日で22年前のこととなる。

所が、出張帰国から1-2週間後に、国際入札商談は「ドイツ勢に敗退」とのニュースを受け、土俵に上って直ぐ「ハッケヨイヨイで負けたのか?」と上司から怒鳴られただけでなく、部門アジア・中東アフリカ担当を“首になった”。
新たに与えられたのが、ロシア新市場の開発だったが、「一人でやれ」と言う厳しいものだった。部下がいないと困るとごねると、秘書に女性を付けるので、誰であっても気に入った女性一人を上げると上司が言った。しめた!と他部門の女性で、毎朝20-30分前に出社し日本経済新聞を何時も熱心に読んでいたO女史を指名し、二人三脚で男勝りの仕事をして貰ったことが懐かしい。

因みに、平成元年1月のドル為替レートは¥129.13だったし、同年4月には144.28の円安時代でもあった。昨今の円高も一服気味、ソロソロ来年の相場を占いたくなる、、、、、が。

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『質への逃避 Fly to Quality』 “金よ頑張れ”

最近の大幅な円高は困ったものであるが、世の中の金融商品の中で「日本円は最も質が高い通貨」と買われている。金融不安で行き場を失ったお金が、「より安全な、質の良い日本円」に逃避(Fly to Quality)している訳で大変名誉なことではある。しかし「借金大国の日本円」がそんなに価値があるのかは疑問が無いわけではない。一方の危機の本来の逃避先であるべき「金」は今一である。世界の投機家には、そろそろ「円から金」にむかって欲しいものだ! 「金」に関する想い出を一つ、、、、、

金はもっと上がって良し:
金は金でも、北朝鮮の「金正日書記」は随分消息が知れず未だに健在かどうかが不明で[好きにはなれない“金”]だが、中国や韓国にはMr.金の友人が沢山いるがみんな素晴らしい人たちである。今年は何と言っても、北京オリンピックでの日本人選手の「金メダル」が光った。金は正に黄金の輝きで、装飾や工業用途以外にも金価値に裏打ちされていた金本位制度が懐かしい。1971年8月のニクソンショックを経験したが、落ち着くまでには半年以上を要した。

http://blogs.yahoo.co.jp/fx40years/8160431.html

質への逃避:
上の写真は超円高の1995年頃、地中海のある金融島(オフショアー)を訪問した際に、友人の友の友達が何トンもの「金」を簡素な事務所、金庫に貯め込んでいた。生まれて初めて持たせて貰った1kg、3kgの金塊は正に「ズッシリ・冷たく重かった」が、99.999の純度の本物だった。銃で武装したガードマンはいたが、細い鉄格子の事務所と古びた金庫でなんとも用心の悪い話だが、島国故に泥棒も強盗も居ないと言っていた。

金の出所は、近隣・周辺諸国の政府や金融筋であろうがドルから金に転換され、金の延べ棒は1オンス、2オンス金貨となって一般市民が「質への逃避」で金貨に投資するので鞘を取る一種のファイナンサーであった。この様なビジネスは1992年のポンド危機、93年の欧州通貨危機、95年のメキシコ危機などの金融危機の後で、現在とよく似た状況下で繁盛した金取引だったのではないかと思っている。金貨の買い手の多くはロシア人で99年の金融危機の先を読んで、避暑の観光客が機内のDuty Freeショップで5枚、10枚と買っていたが、彼らはカジノで5万ドル、10万ドルを張る連中でもあった。

こちらは「金には縁がなく」、クルーガランド金貨と昭和天皇ご在位60年記念金貨の二枚しか持ってないが、何れも記念品以外の何者でもない。

連れ小便:
今年3月に1000ドルを超えた金価格(ロンドン)も株やドルと同様に連れ小便で700ドル台まで下落している。円だけをいじめずに、「金さん頑張れ」と言いたい! 

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     ↑ 上 レントゲン博物館      ↑ 生誕100年記念10DEMコイン

『レントゲン』 “苦手のバリューム”“99.99ドル”

信仰心や毎日ウオーキングしていても、健康とは限らない。昨日、年一回の健康診断を行ったが、色々と部品も痛み摩耗、多くの検査項目で標準値を逸脱しており再検診を勧められた。また今年からメタボの診断が新たに追加されたが、ビール腹の脂肪も出張っぱてきているのも気になる。関連話題を2−3、、、

安全管理:
健康診断は通常の検査に加えて、各種オプション・メニューがある。命に別状のない骨密度は二年に一回しているが、ガン(腫瘍)マーカーや前立腺検査は必ず毎年受けている。一回の採血で肺・大腸・胃・すい臓や前立腺の癌の兆候の有無がある程度分かるので安心できる。さて、「採血」であるが、看護婦さんは普通は必ずナイロン手袋で安全を期す必要あるが“素手”で行っていた。「中国でも採血した時はちゃんと手袋していたが、、、、こちらでは?」と看護婦さんに安全上問題ないか? と尋ねたがが、「ソウデスネ」と言っただけである。大都会の新宿のクリニックの安全レベルはどうなっているのかと頭を傾けた。
使い廻し注射器の事件があったが、案外と日本の病院や診療所の安全管理は杜撰なのかも?

苦手のバリューム:
健康診断で一番の苦痛は、検査前日夜から約半日の「強制禁煙」をしなければならないことであるが、一番の苦手・苦痛は胃のレントゲン検査のバリュームを飲まされる事だ! 発泡剤を飲まされ、その上で不味いBarium(造影剤)を飲まなければならない。 昨日の技師さんは新米と見えて、発泡剤を二回も飲まされ、造影剤もオマケで半杯ほど余計に飲まされた。お酒なら「もう一杯いかが、、、」は有難いが、マズイ造影剤で往生した。

そろそろ造影剤が要らないレントゲンを開発してほしいものだし、せめて発泡剤をビールで代用できるような造影剤の開発も進めてほしいものだ!

レントゲン:
レントゲン言えば、1895年にヴィルヘルム・コンラート・レントゲン(Wilhelm Conrad Röntgen・1901年第一回ノーベル物理学を受賞)によって発見された。小学校時代の身体検査から健康診断、どんな病気になっても必ずお世話になるのが「レントゲン」である。体の中まで何でも見える(透視)ので偉大な発見だが、水や空気と同じで当たり前のことで左程有り難さは感じない。

しかし、考えるとレントゲンのお陰で人類は健康に生きているし、病気も正確に診断できるようになった。 12年前になるが同僚達とレントゲンの生誕地のドイツ・レムシャイトにあるレントゲン博物館を訪れたことがある。生誕100年の1995年には盛大な記念行事も行われ、10マルクの記念硬貨も発行された。記念にと10枚ほど買ったが、まだ5-6枚残っているが、2000年のユーロ誕生でマルク(DEM)は廃貨となった。

レントゲン博物館詳しくは: http://www.shinko-keirin.co.jp/hakubutukan/no7/no7.htm

99.99ドル:
昨日のWTIは瞬間風速で99.99ドル(1バーレル)の安値を付けた。火付け役は、今年正月早々(1/2)に100ドルの原油高騰のきっかけを作った同じ男だったそうだ!  マッチポンプ男の名前はリチャード・アレンズと言うトレーダーだが、欧州通貨もリバウンドしている。レントゲンの様に、来週の相場も透視出来ればと思う週末の夜、ほっこり!

http://blogs.yahoo.co.jp/fx40years/9110563.html

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社会主義国:
1977年始めてソビエト連邦を訪問したときは、64年にフルシチョフ大統領の後を引き続いたブレジネフ書記長時代の時であったが、今では冷戦時代の歴史人物となっている。初めての社会主義国、いや共産圏への出張で緊張した。1月から2月末の真冬で、モスクワは連日マイナス30−35度、50日ぐらいの滞在であった。仕事は展示会・商談の為であったが、2−3トンの重量物の機器(実物展示品)を持ち込んだが、“売れなかったら会社の4階から飛び降りろ“と上司から脅されての出張で気は重かった。社会主義国家では全国民のすべてが公務員で、仕事はマーマーでサービス精神なるものは存在しない。仕事は夕方5:00には完全に終わるが、夕食を取るのが一苦労であった。店と席を見つけるのに1時間、オーダーを出すまで40−50分、食事が出てくるまで30分、勘定が終わるのに更に30−40分待たされると言う社会主義では当たり前のサービス感覚(ゼロ)の古い時代であった。ホテルは国営旅行公団(インツーリスト)の指定ホテル以外は泊まれない、ホテルのフローアー各階には“監視員”が配置され、夜中にはKGB(国家保安委員会)からであろうか“ホテル滞在の確認のため無言電話”で何度か起こされたが、暗いイメージのモスクワであった。それでもボルシチは格別に美味しく、ボルショイ劇場やサーカスなど商社のお世話になり見学に連れて行ってもらった楽しい思い出がある。ホテルでは団員と何回もマージャンを囲み、一緒に遊んだ同業界の方々とは“後々まで交流”を頂くなど“為になった”と思っているが、モスクワで役満を上がった事も懐かし。 http://blogs.yahoo.co.jp/fx40years/8539456.html

闇ドル:
さて、本題の「為替は当然、厳しい管理下に置かれておりルーブル持ち出しが禁止」されていた時代である。公定レートで1ルーブルは日本円で4-500円ぐらいしたように(定かでないが)記憶している。 違法の外貨交換はビザ没収、本国送還、もっと恐ろしい“シベリア送り”の厳しい監視の中で、一緒に出張した先輩格の団長の御仁がチャッカリ「闇為替で持参のドルをルーブルの交換」に成功した。闇レートのリスクプレミアムは30%以上に及んでいたと記憶する。結局、団長のルーブルが余ってしまい、銀狐(Silver Fox)のショール、瑪瑙(メノウ)やブランデイーの土産品、ボルショイ劇場、ボルショイサーカスなど楽しく滞在し、闇ルーブルを無駄使いして帰国した。

ブランデイーとパンテイーストッキング:
自分用に買ったアルメニア産ブランデイー(上写真)は当時10年物であったが、今も飲まずに記念に置いてあるのでビンテージは40年物の高級品(?)となっている。品物不足のソビエトでは、女性には日本製のパンテイーストッキング、折りたたみ傘、チューイングガムなど人気があった。持ち込んだ機械も無事売却できて、“やっと帰国できる”と帰国便のチケットは何度も旅行社で予約しても取れず仕事もなく2-3日ブラブラ。業を煮やし、空港会社の窓口のネーチャンに秘密兵器のお土産品の“パンスト”を見せた途端に予約OKとなった時代であった。パンスト・パラソルを持参して女性のアパートまで押しかけ・朝帰りする豪傑な団員もいたが、ここ数年音沙汰はない。

赤のマルボロ通貨:
時は経て、1986年にミハイル・ゴルバチョフ大統領時代や1990年台のボリス・エリツイン大統領時代にも何度かモスクワを訪れたが、経済は破綻寸前であった。相変わらずの品物不足の時代であったが、ルーブルの信認は地に落ちていた。そんな時代背景で「タバコ通貨」が編み出されていた。タクシー代やレストランのチップはルーブルでは断られるが、「赤のマルボロ」はルーブル以上に威力があったし、ドル札よりも喜ばれた。モスクワ市内からシェレメチボ空港まで相当の距離のタクシーもマルボロ3個で十分であったが、赤の箱でないといけなかった。相変わらず食事には苦労をしたが、赤マルボロがあれば、待ち時間なく食に有り付けたので疑似通貨として相当な価値があったのである。自国通貨は強くないといけない面もある。

元気なBRICSの「R」:
タバコが通貨代わりになるようなソ連邦の末期ではあったが、1990年にロシア誕生、1998年の経済危機を経て、2000年ウラジミール・プーチン大統領就任後はBRICSの一国として目覚ましい経済発展を遂げ、この5月にはドミトリー・メドベージェフ新大統領が就任した。22日付けの日経ヴェリタス紙の新興国投資の「安定感ランキング」ではブラジルに次いでロシアが二位であるが様変わりで、外貨準備高も5000億ドルを超えてきた。サハリン2に懲りずに、ロシアとの友好と経済関係の強化が国益に適う時代であり、居酒屋タクシー利用の官僚達にはシッカリしてもらいたい。「国益」を思うならロシアは北朝鮮より重要であろう。
http://blogs.yahoo.co.jp/fx40years/10746216.html

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古い記録:
先週末、古いパスポートが残ってないか机やタンスを大探しし、35年分を発見したが一冊は紛失したようだ。ここ15年間の飛行機に乗ったマイレージ記録はEXCELで残しており、何時、何処からどこへ旅をしたか記録帳として後生大事に残してある。が、それ以前の記録はパスポートと言うことになるが、パラパラとめくると、その時々の懐かしい思い出が蘇ってくる。

先のブログ「イラクの喫茶タクシー」を2000年8月と書いたが、パスポートを見直したら“1999年8月”の記憶間違いであった。今更言っても仕方ないが、出国8月7日、帰国18日であり、そうーだ!99年度の夏休みは返上し、「休暇を損」をした年だったことも思い出した。本ブログでは株を初めて購入したとこのことを記したいが、“フセイン様のお招きで衝動買い”したのが”最初で、夏休み中”であった。

戦前のイラク:
イラクとの仕事を始めたのは1973-4年頃だったが、古いパスポートには懐かしい入国ビザ証書(上)のスタンプがあり、1979年4月、今から29年前のことであった。当時、隣のイランでは79年2月にイスラム革命が起き、イラクではサダム・フセインが9月バース党政権の大統領に就任した時であった。73年(第一次)と79年(第二次)の二度の石油危機でイラクもほかの産油国と同様に潤っていた。そのオイルダラーのお陰で大型商談が次々と入ったが、入札ビジネスで落札した契約番号がNO.1/74であったと今でも覚えているので“74年に汗をかいたのが最初”であったのであろう。フセイン大統領が絶対権力を持っている時代で、肖像写真は至る所に掲げられていた。

イラクのミニ歴史(1990年まで):
イラクは1972年にソ連と友好条約を締結し、イランとは74年にいわゆるアルジェ協定を結び国境(シャット・ル・アラブ河の中央)を定めていたが、イラン革命のドサクサに乗じて翌年80年9月に協定を破棄してイランを攻撃したのはイラク側であった。米国の1970年代の中東政策は、イスラエルと同様にイランとも蜜月時代でファーレビ国王を米国の代理人としていた。しかし79年のイスラム革命とテヘランの米国大使館占拠(同年11月)で敵対関係となったが、イ・イ戦争の最中の84年に“イラクは米国と国交を回復”したがフセインの強かな戦略であった。米国はイスラエル、サウジに加えてイラン、その後は1990年8月のイラクのクウェート侵攻までの「湾岸の米国代理人」としていた時代であった。

イライラ戦争と呼ばれたイ・イ戦争は88年8月も停戦まで丸8年続いたが、その二年後の1990年8月2日にイラクは突然、クウェートに侵攻したが、これが「株」を始めるキッカケであった。"ことの経緯はこうだ、、、

はじめての株取引:
1990年の夏休みは、同僚より前倒しで取得し、定期預金の書き換えに銀行に行っていた。8月2日の事であったが、銀行の窓口では散々待たされ待合時間にTVを見ていると“イラクのクウェート侵攻の臨時ニュース”が流れていた。銀行窓口女性の接遇態度が頭にきて、定期預金を解約して約2百万ほど現金にしたが使い道はない。そうだ、TVのニュースでは株が大幅に下落を報道していたナと、証券会社に立ち寄り、初めて株を2銘柄衝動で購入した。生れてはじめてのことであったが、フセインの仕掛けたクウェート侵攻が原因でインシャーラ(神の思し召しあれば)の衝動的な株(買い)取引だった。株価水準も理解せず、TVニュースで株価下落を聞いて買ったものであった。

株の知識は皆無だったが、前年の12月29日に日経平均が最高値38,915を付けて90年に入りジリ貧で下がっていた。兎に角、衝動買いだから「そんなの関係ない」訳で、一銘柄は単価@720、もうひと銘柄は@1040だった。8月2日の日経平均終値が29,929円の時だった。90年の12月28日終値は23,848まで20%も下落していた。

損切りと塩漬け:
¥720で買った1銘柄は途中300円ぐらいで損切りしたが会社は買収され今は無くなっている。
もう1銘柄は勤務先の株であった。会社のインサイダー規制で売るに売れずに18年もの期間塩漬けしてきたが、現在株価は1100前後でたったの6%の値上がりしかない普通預金並みのパーフォーマンスである。これに懲りて、また仕事も忙しく株は数年間は手を出すこともなかった。

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