『為替と40余年』

森羅万象を映す“為替”と四十余年を貿易マンとして共に生きてきたが、定年後は違った観点から眺めたい

海外の想い出

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 前のページ | 次のページ ]

イメージ 1

居酒屋タクシー:
今週、霞が関の財務省ほか13省の五百人を超える公務員が税金を使って、バックマージン付きの深夜の居酒屋タクシーを利用していたことが発覚した。ケシカラン話だが、役人に負けずこちらは昼間・灼熱の喫茶タクシー、札束の話である。

動く喫茶店:
2000年8月の猛暑のなか、ヨルダンの首都アンマン市を早朝5時出発し、一路950km、イラクのバグダッドまでタクシーで走った。居酒屋タクシーではなかったが、「動く喫茶店」で快適な旅をしたことを“居酒屋タクシー”で思い出した。灼熱の高速道路、外気温は約60度と焼け付く。米国製の大型ジープのオートクルーズで延々12時間の旅だったが、運ちゃんは親切にも時速130kmのスピードで「左手でハンドル握り、右手で紅茶をサービス」してくれる。アラブは禁酒のお国柄、日本の役人のようには酒やビール・おつまみにはあり付けなかったが、実に美味しいお茶のサービスを頂いたが、おっかなびっくりの旅であった。

役人ど根性:
ヨルダンから国境まで三時間走り、イラクとの国境にたどり着いた時の事である。国境では手荷物、パソコン、エイズ検査など厳しい国境警備隊・税関が待ち受けていた。入国審査には1−2時間覚悟していたが、タクシー運ちゃんの機転で、約10cmの札束(ローカルカレンシーであるイラクデイナール)を二個で役人を買収、検査もなく10分ですんなり入国に成功した。入国するためには賄賂を出さないと丸一日、検査で意地悪されるという。 札束の威力である。

一枚上:
途中、運ちゃんから税関役人に立て替えた軍資金の精算を迫られ渋々100ドルを支払わされた。兎も角、無事夕刻にバグダッドに到着した。片道、約970kmのハイヤー代は税関に支払った賄賂と同じ100米ドルは良心的・高くはなく、一日走って合計で200ドルで納得できた。

当時アメリカから、「悪の枢軸」と名指しされていたフセイン大統領もまだ健在の時代であった。外人向けアルラシード・ホテルに入る立派な玄関の床大理石には元ブッシュ大統領(現ブッシュの父)のモザイク・タイル肖像が描かれており、ためらったが踏みつけないとホテルに入館できない。

投宿後、先ずはFX(外貨交換)である。取り敢えず、200米ドルをデイナールに交換したが、何と手提げ袋2つに入りきらない札束の山であった。1985年頃(イ・イ戦中時代)の対米ドルは1デイナール(ID)はUS$3.217(邦貨480円ぐらい)であったが、経済は制裁で疲弊し、デイナールは紙切れ通貨(確か1ドル=2000IDぐらい?)に価値が下がっていた。国境で払った賄賂は5ドルか10ドルの値打ちのチップ(バクシシ)に過ぎなかった。差額90−95ドルは運ちゃんの鞘であったと気づいたが“後の祭り”であった。

市民からお金品を要求するのは何処の国の役人も同じであるが、イラク人の運ちゃんは役人と客の鞘を稼ぐので役人よりも一枚上であった。

バクシシ:
アラビア語でバクシシは賄賂(イスラム流で言えばお布施だが)、日本人が外国の役人に支払う事は法律(外国公務員不正防止法)に違反し、厳しく罰せられる。現役時代、バクシシは会社から厳しく禁じられていた。上記の賄賂は5ドルか10ドルだが、何故か外国で入出国時の税関官吏や交通違反で警察官などから強要される「袖の下」は例外的に違法性はないとされていた。(経産省の法解釈ブックによる)

http://blogs.yahoo.co.jp/fx40years/10304803.html

イメージ 1

イメージ 1

ペルシャ商人については既に記したが、堅い話を中断してイランの女性とお酒・食べ物の話を一つ。


ペルシャ美人:

イランへの旅は、成田から北京経由のテヘラン直行便(IR)が一番便利である。成田から搭乗するイラン女性は実に綺麗に、洋装で着飾っている。途中、北京にワンストップするが、その短時間のトランジットで再搭乗の女性は見事に伝統の黒装束(チャードル)に変化身となる。

厳格なイスラム国家では、外出の女性は体の線・肌を隠すために全身コート(チャードル)の着用は義務付けられている。頭にはスカーフ(ヒジャーブ)を付けているが、色彩豊かなものも87年後は見受けた。仕事で大学キャンパスや病院にも何度も訪問したが、女学生さんや看護婦さんのスカーフの奥にある彫りの深い“ゾックとするような美人”に何回も出遭い、しばし仕事を忘れ立ち止った。しかし、姿全体や肌を見せることは滅多にはない。その意味で、成田――北京間の機内がイラン女性をチラット見る少ない機会であった。イラン友人の自宅に招待受けた時には、カラフルなスカーフ、艶やかなチャドルにもお目にかかり、振る舞いも結構大胆であったように記憶している。今世紀中は、ミスユニーバースにイランの女性が参加する事は考えられないが、インシャーラ、参加すれば当確間違いないであろう!

禁酒:

北京を発つと国営イラン航空機内はイスラム世界で当然、禁酒の旅となる。北京空港で、冷えた缶ビールを4-5本買い込んで(内緒で)搭乗し、(夜行便なので)消灯時間を見計らって、“プシュー”の缶を開ける“音を沈め”、人目忍んで飲むビールは実に美味しい。中央アジア上空といえども禁酒の機内“単独犯”では心細いので隣のお客にも勧めると、“妙案ですネ!当面ビールともお別れで”と感激され旅の話も弾む。イランからの帰路はルフトハンザが一番良い。お堅いドイツ堅気のルフトハンザ(フランクフルト行き)でもイラン上空を離れるやいなや、飲み物の機内サービスとなり本場のビールとドイツワインに有り付け、ホット一息となる。
パーレビー国王時代と異なり、酒は飲めないが、知合い宅に招待されて頂く、密輸ビールやウイスキーは格別に美味しかったし、イラン人宅で出された密造酒(ビール・果実酒)も結構い美味かった。懐かしい禁酒生活の思い出であるが、日本は有難い国である。

バケツ一杯のさくらんぼ:

今、秋田産の桜ん坊の季節で美味しいが高価である。イランでもそろそろ、桜ん坊の季節である。メロンも西瓜も安いが、マーケット(市場)でイラン人を相手に“逆バザール商法”で買い物をするのは実に楽しかった。仕事で値段を叩かれた腹いせで、市場のおっさんと“山盛り1籠”をHow much?、といよいよ交渉スタートである。2籠なら幾ら? 3駕籠は? と聞けばドンドン安くなる、“メロンも一つちょうだい”丸ごとハウマッチと値切り交渉を楽しんでいるうちに、バケッツ一杯分の桜ん坊、メロン3個も言い値の30%と安く買い叩け、やっとペルシャ商人に対し勝った気分! 

取引先のイラン人に安く、それも70%値引きで買ったと鼻高に報告したら、笑って“随分高い買い物”をしたものだと言う。バザールのオッサンは日本人と見て最初から2倍、3倍の値付けをしていたという次第で、、、、、、ボラレ、してやられたのであった。

イメージ 1

一週間に十日来い
長年のビジネス経験から、世界で一番の手ごわい、商売上手は「イラン人、ペルシャ商人」であると思っている。世界には華商(中国)、印商(インド)、ユダヤ(イスラエル)商人なども商いに長けていると言われるが、ペルシア商人、バザール商法には中国人でも敵わないと言う。五月みどりの歌に:

  “見れば見るほど いい男
飲みっぷりなら 日本一
トコトン トコトン
あなた好き好き かわいいお方
花も咲きます トコトン酒場
一週間に十日来い
トコトン トコトン“

と言うのが30年前(?)に流行ったが、イランからの買い付け団と“一週間の交渉で5日間”も徹夜交渉させられたことがある。

急がず 焦らず 諦めず(IBM)
私とB君が交渉に当たったが、体力勝負。敵側は夜の交渉に出てくるが昼は昼寝をしている。我が方は昼も出勤、昼寝無しで交渉の準備で、夕方5-6時ごろから寝ずの交渉で元々ハンデイーを背負ってのネゴシエーションである。延々と夜中まで交渉が続く、今日も、明日もである。

下着と靴下は上司の奥さんからの差し入れを貰って、徹夜交渉は旭日が昇るまで延々と続いた。ある日、朝のイスラムのお祈り時間の時に敵側に“スキ”があった。価格交渉の敵方の秘密書類はテーブル放置したままであり、「しめた!」敵情報が“ばっちり、カンニング”できた。敵の数字も読め、落としどころの価格を準備し、愈々最終日の徹夜交渉に臨み、一旦合意したが朝方に破談となってガックリ!

交渉決裂で敵側は帰国すると言うが、継続交渉は“成田からフランクフルトの帰路の飛行機の中で行えば必ず決着する”と無茶苦茶な敵側の提案が出される。ギリギリの交渉と、成田までジャンボタクシーで移動中に再交渉、空港レストランで最後交渉で決着契約署名となった。イラン側には内緒で(機上交渉を覚悟し)パスポートと旅費の現金百万円をアタッシュケースに入れ準備していた。マー40余年で一番厳しく思い出に残るネゴであった。

我流で解すると、イラン人(ペルシャ商人)にとっては、交渉そのものが重要であり、「時は金なり」の感覚はなく、交渉期限ぎりぎりまで、正に交渉を楽しんでいるようである。イランは2500年の古来より東西交流、シルクロードの結節点と呼ばれる交易の要所、悠々の時間観念をもつプロの商人達である。テヘランの路上でタバコを一本、二本でバラ売りする“子供達”ですら、価格交渉を心得ている民族で立派と何回もうなった。

商いの道場
イラン人と互角に勝負をするには、先ずは相手方の「面子とプライド」を重んじ、彼らの懐に飛び込み、腹の底から議論を真剣にぶつけて、「急がず、焦らず、諦めず(IBM)」,信頼できる仲間・身内・友人の関係を作り、逃げない姿勢を示すことが勝因につながるキイー・ワードと悟った。若手のビジネスマンは勿論のこと、外交マンにも「交渉術の道場」としてイランが最適であろうし、投資にもIBMに極意がありそうである!

アラブの気質と言われるIBMはペルシャでもFX取引にも相通じる。“I”はインシャー・アッラーのIで、「神の思し召しがあれば」「神のみぞ知る」、“B”はブクラのBで、「明日」、“M”はマレシのMで、「気にするな」をもじってIBMとなるが徹夜交渉になる理由もここにある。

国際政治でも、イランと対峙するアメリカのブッシュ大統領もこの辺の事情を心得ておれば国際緊張は緩和される筈だが、、、、、?

イメージ 1

イメージ 1

不発ミサイルの灰皿
思い出に残る出張として、イライラ戦争にも厭戦気分が漂う1988年7月にイランのS副大臣と一緒にテヘランからイラクとの戦争の切っ掛けとなったシャトルアラブ川近郊の都市アッファズまで三菱パジェロで一日掛けて、灼熱の砂漠を走った。道々でイラク側からの化学兵器攻撃に備えた“毒ガス中和剤噴射特装車”と何台もすれ違った光景があった。フセイン側がマスタード・ガスなど化学兵器を使いイランを攻撃した時期であった。

仕事で何カ所もの病院を立ち寄りながら目的地までたどり着いたが、病院では多くの戦死者や負傷者に出くわした。イラク側から飛んでくるミサイルはロシア製、イランのミサイルは北朝鮮のシルクミサイルであった。そのミサイルの命中精度は良くはなかったのであろう、見事に橋や建物を避けて着弾していた。見事命中したのは、ギャンブルや投資で言うビギナーズラック(fluke、luck=マグレ)の様なものだった。

不発弾も多く、病院待合室の「灰皿」に加工されていた。灰皿にはCCCPのマーク(印)が付いてあったが、ソビエト社会主義共和国連邦の略である。ミサイル廃材の灰皿前で吸ったタバコはおいしかった。アッファーズ市には3日滞在したが、ミサイル爆弾の音も遠くではなくズズーンと言うような響きがした。

世論とトレンド(投資): 
滞在中に悲惨で、痛ましい事件が起きた。ペルシャ湾にいた米軍・艦隊がテヘラン発、アッバース行きのイランの民間航空機のエアーバスを戦闘機と誤認、ミサイル追撃し、乗客(民間人)が全員死亡した。本来は国際世論が非難轟々である所が、イラン側には世界からの大きな同情はなかった。国連停戦勧告を受諾しないイラン、イスラム革命の輸出に憂慮する近隣諸国や欧米はむしろイラク側を応援していた。世論は株や為替のトレンドのようなものである。日々の為替はトレンドを形成するが、ある時は理屈・理性を超えて一つの方向に突き進み、動くが、世論もこのような癖がある。世論やトレンドに逆らうのはエネルギーがいり、投資では“逆張りは中々有効でない”。

さて、日本では第二次世界大戦の終戦の玉音放送を国民は涙を流して聞いたと言うが、イランもこの事件の直後、停戦の合意を発表した。テヘランではホメイニ師は「毒を飲むより辛い」と有名な言葉を残し国連即時停戦協定598号を受諾したが、「万歳、これで平和になる」と抱き合って喜ぶ友人たちの顔は今も忘れられない。

テヘランのホテルに滞在中は常に東側の部屋を取っていた。理由は西側からイラクのミサイルが飛んでくるので、幾分東側の部屋の方が安全であろうとの期待からであったが、停戦でこの心配もなくなった。

イメージ 1

イメージ 1

イライラ戦争:
イランのイスラム革命の後に、イラン・イラク戦争が始まったが、仕掛けたのは80年9月22日空港を爆撃したイラク側であった。88年8月停戦まで丸九年のイライラ戦争であった。

84--6年であったか、相互都市ミサイル攻撃時には社員がバグダッドとテヘランの両方に駐在・長期滞在中であり、東京の本部にいた私は冷や冷やする毎日であった。社員の宿舎と両都市の“ミサイル着弾地”を調べ、双方に連絡し安全地区に誘導・退避させるなどしたが、誰一人も国外退去することもなく「みんな仕事第一・仕事熱人」であった。幸い誰一人、戦火や事故に遭遇しなかった。今からして思えば無茶苦茶な話であったと回顧しているが、イラン・イラクの双方の友人や関係先からは「戦争中も逃亡せず良く頑張った」と今でも感謝されている。

日本が中東諸国から得ている信頼は、我々の民間レベルの活動なども貢献したものと信じ誇りに思っている。今、原油の値上がり激しいが、石油の確保のためにイランでも黙々と努力しておられた商社の方々とも知遇を得た。2004年、日本はイランのアーザデガン油田の開発権獲得したが、裏舞台ではT商社のT重役やNさんのような日本の国益慮る“憂国の士”がおられたお陰であろう。T・Nさんを今でも尊敬している。にもかかわらず、米国の圧力であっさりプロジェクトを縮小させてしまう腰ぬけ外交、、、には腹も立ったが現役時代には叫べなかった。

強い外交:
現在イランの人口は7000万であるが、70%が30歳以下、年率6%の高い出生率で2015年には8千万人、2050年には1億2百万人になると予測されている。豊かな資源(石油世界5位900億バーレル、天然ガス二位800兆立方フート)があり、イラン人は日本人を尊敬してくれている数少ない“アジア”の国である。日本の外交も何でもかんでも米国にYes-manで追随するのではなく、独自の外交を“国益第一”に考えて行うべきで、外交マンはしっかりせよと言いたい。
元外交マン、それも前駐レバノン大使の天木直人著の「さらば外務省」は米国追随外交を痛烈に批判した本で、一読に値する。(講談社、2003年)

4つの為替レート:
為替の話を移そう。だいたい、為替は売り買いのスプレッドは別にして単一のものである。
しかし、同国のローカル通貨イラン・リアルは4つも異なる為替セレートがあった。確か2002年に単一公定レート化されたが、それまでは戦時中も含めてややこしいことに対ドルのレートには三種類の為替レートが存在していた。おまけに闇市場も存在していたので合計四つのマルチ為替であった訳である。

食料・医薬品・医療機器などの生活必需品の輸入には最優遇公定レート、社会資本財への優遇レート、一般の物資などの商業レートなどの区分で米ドルにたいして、700、1100、1700リアルとった言った具合にレートが設定されていた。また闇レートは一般物資に適用される商業レートに10−15%程度のプレミアムが付いていたと記憶するが、売買される市場はブラックマーケットと呼ぶ。現在、為替に闇レートやプレミアムが付いている国はあまり聞かないが、北朝鮮ぐらいではないだろうか?

最近のガソリンやバターの値上げラッシュだが、政府も原油とバターは時限立法で為替レート@¥80固定にすると言ったアイデアはないものかい?

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
FX40Years
FX40Years
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

過去の記事一覧

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
お米、お肉などの好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事