『為替と40余年』

森羅万象を映す“為替”と四十余年を貿易マンとして共に生きてきたが、定年後は違った観点から眺めたい

海外の想い出

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イランは好きな国のひとつである。他の中東産油国と同様にイランは石油や天然ガスで本来は「豊かな国、資源国」であるはずであるが、現在は過激なアハマデイネジャド大統領、核疑惑で揺れに揺れてている。イランは石油だけでなく、2500年の歴史とペルシャ文化を有する国である。また“お酒のおつまみ”のピスタチオの最大の生産国でもある。

イランには1978年に始めて訪れたが、パーレビー国王の白色革命の途上、栄え豊かであった。イスラム世界でありながら酒も飲めたし、キャバレーまであった。日本人の観光で人気のあるイスファファン市で展示会・学会あった夜には、主催者から「千一夜物語(アラビアン-ナイト)」と言う豪華なレストラン・シアターでパーテイー招待を受け、国王の差し入れのお酒も振る舞われた良き時代であった。信じられないだろうが、テヘランにはナイトクラブもあったし、夏はホテルのプールではビールも飲め、水着姿の女性も許される(黒いスカーフのようなヘジャーブがない)時代であった。イラン政府と三井グループの巨大プロジェクト(合弁)が5千億円を超える規模でバンダルシャプールに石油化学プラントの立ち上げ操業直前であった。

その3年後の1979年にホメイニ指導者によるイラン・イスラム革命が起き、厳格なイスラム社会となり、国王は海外に亡命した。翌1980年8月隣国イラクとのイ・イ戦争が始まり1988年8月まで9年の長いイライラ戦争となった。

上述の石化プラントに納入するはずの精密機器は据え付けする事無く、事業撤退となったが「カウントリー・リスク」とはなんぞやの最たる事例であった。

取引相手国の戦争、内戦や革命などの勃発による政権失墜、交代などで進出事業が没収されるなどの事業リスク、為替制限などのポリテイカル・リスク、対外支払いの制限などトランスファー・リスク、相手国への貸付に関するソブリン・リスクなど総称して相手国信用危険(カウントリー・リスク)と呼ぶが、幸か不幸か結構いろいろの国で経験した。

前のブログでフォークランド戦争を紹介したが、我々はアルゼンチン向けのファイナンスを英国金融ブローカー経由で5−6件行っていた。我方は石橋を叩いても渡らないほど堅実会社で、日英間は現金決済であった。が、英国のブローカーは戦争の敵国であり元本を失った。

国家体制が変わる非常事態であり民間ではいかんともし難いリスクである。蛇足ながら、革命や政変を天地異変と同様に商事契約ではフォースメジャー(force majeure)=不可抗力、として契約当事者の双方免責とする取り決めが望ましいことはこのプロジェクトから学べた。

80年にパナマに出張したが、パーレビー国王は79年にエジプト、モロッコ、バハマ、メキシコ、アメリカ、パナマを流浪の旅、ナイル河畔の病院で亡くなる。亡くなる直前にパナマでガン治療を受けていた厳戒態勢の病院に仕事で訪問したことがある。イスラム革命までは、イランではあらゆるところに上の写真、国王の肖像が掲げられていたが、カウントリーリスクで“天国から地獄”に落ちた国王であったと感じた。

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『有事の為替』 ドル・金・購買力平価論・ハイパーインフレ
フォークランド戦争中の面白い経験の続編を一つ。ブエノスアイレスにある取引先の代理店が精密電子天秤を300台ほど売れる見込みもない不良在庫を抱えており心配していた。代理店の親父はユダヤ系の商人であったが、戦争が始まると「10日以内に天秤を完売する」と言うので、どうやって(How)と聞いても親父は笑うだけであった。実際、数日後に訪れると倉庫は空っぽ、完売されていた。誰が買ったのか教えようと市内の宝石貴金属店街に親人さんに案内して貰った。

「戦争、有事の為替理論」を目の当たりに実感した。有事の際には当事者国通貨からドルや金への逃避すると言われる。宝石貴金属店の金取引は大繁盛し、全国の宝石屋さんが電子天秤を備えたのであった。風が吹けば桶屋が儲かるではないが、戦争で天秤が売れに売れたのである。筆者も記念にクルーガランド金貨1枚(1オンス380ドルぐらいの値段で)購入したが、有事の為替変動心理を肌で学べた。(現在、ドルは有事にも弱いが、古くは金やドルが有事の逃避通貨であった)

アルゼンチン首都とフォークランドの距離は1850km(東京-台湾ぐらい)であり危機感は無かったが、“仕事は開店休業、任地を離れるなとの本社指示”で駐在員は暇を持て余しマージャン、戦況をおつまみに飲み食いで(申し訳ないが)楽しい期間であった。戦争中で夜の灯火管制はあったものの、銀座通りであるカージェ・フロリダは昼の日中からワイン飲んでいる市民が多く驚かされた。ペソ高政策も瞬く間に崩壊、待っていたのはペソ安で、1970年代のハイパー・インフレの時代に逆戻りした。

お陰でドル・ベースの給与の駐在生活はやっと楽になった。「ペソの切り下げ」で子供が買う駄菓子が3百万ペソ、5百万ペソと札束を持って行かないといけないが、購買力平価で換算すれば20円、30円の価値に下がっていた。本社に報告するテレクッスA4半ページは1億、2億ペソにもなり、ペソ札束をアタシュケースに詰め込んで電信局に出かけた。新任地ペルーに転勤の前夜、五つ星ホテルのスイートルームに家族四人で泊まり、飲み食いして100ドルぐらいであったので、購買力平価からすれば超ペソ安、経済はガタガタであったと言える。

ハイパー・インフレと言えば、ウインドウショッピングをしていると、店員が一日何回となく値札を変えていたのも懐かしい記憶である。まさかと思っていたが、メニューを見て、昼食を注文し、食べ終わりお勘定するときには「値上げ」されていたことも1−2度経験した。現在のデフレ日本では考えられないような事ではあるが、、、、その後の 1985年のインフレ率は月26%まで上昇し、1989年には年間5000%を超えた。

戦争の話に戻せば、6月14日にアルゼンチン軍が降伏、英国が戦勝した。両軍で約900人が戦死し負傷者は2000名であった。74日間の戦争の経験はこれが最後と思ったが、、、、、現役時代にはいろいろの戦争や紛争に遭遇する。

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英国・アルゼンチンのフォークランド戦争の最中に、友人に“アルゼンチンは何故無茶な、勝てない戦争をするのか?”と尋ねたことがある。戦争の狙い、同島の値打ちは知る人ぞ知るトップシークレットにあると友人は得意になって言う。

第一の秘密は、1980年代は米国とソ連が覇権を争い、核でも争っていた。仮に第三次世界核大戦が起こり、原爆がどこかに投下された場合には広島や長崎原爆と比べて規模も大きく核汚染は地球上の全ての地域に及ぶ。しかし“地球上で唯一、一か所だけ核汚染から逃れられる場所”がある。それが、南極近くで北半球の核戦争で汚染されない西から東の風(偏西風)が吹くフォークランド諸島であると言う。第二の秘密は、同島の周辺には中東を上回る埋蔵量の巨大な海底油田帯が横たわっていると言う。当時は、「なるほど合点」と思って書物で調べたが、どうも“ガサねた”であったようだが、嘘(うそ)で本当のような話と思った。油田に関しては、実は本当の話で現在世界各国の石油会社が息を潜めて油田探索のタイミングを計っている。

フォークランド諸島には直行便はないが、チリのプンタアレナ空港、または英国オックスフォードのノートン空軍基地から観光客席を利用して行けるそうである。ペンギンの国で、近くには南極温泉もあるそうである。(水口博也著,『風の国・ペンギンの島』アップフロントブック社、2005年)

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”肌で学ぶ外国為替・購買力平価説の検証”

1980−82年アルゼンチン国ブエノスアイレス市に家族同伴で駐在していた。当時は日本から飛行機でカナダ・バンクーバー乗り継ぎ、ペルーのリマ経由で約37時間かかった。ブエノスアイレスは南半球のパリと呼ばれるお洒落な都市で、また北の避暑地バリロッチェは南米のスイスと呼ばれていた。

80年当時、近くの公園で子供達に買ってあげる“アイスキャンデイー・1本”が円換算で400円、国産マルボロのタバコ一箱は600円と超ペソ高の時代であった。駐在前に上司からは“地球の裏側のアルゼンチンでは100ドルもあれば、家族でステーキ腹一杯食べ、ワインを空けて、タンゴ・ショウを見ておつりが来る良い国“と言われ大喜びで赴任したが、聞くと実際は大違いであった。

当時、ヴィデラ大統領の後を受けたガルチエリ大統領(将軍)時代で、経済政策はノーベル賞受賞経済学者フリードマン教授の教え子達でシカゴ・ボーイと呼ばれるエコノミスト系閣僚は国営企業の民営化、規制緩和や資本の自由化など通じて景気高揚を目指していた。為替に関しては、海外資金を呼び込むため高金利政策、ローカル通貨であるアルゼンチンペソは実力以上に高く誘導されていた。日本からの輸出も好調で輸入品の全てが割安であった。

一方で、ドル建て給与(手当)の駐在員の生活は実に厳しく毎月赤字すれすれであった。久しぶりにと日本料理、(確かお店の名前は)「古里」であったが家族4人が夕食すれば日本円で2−3万円の銀座並で生活は苦しかった。南半球の12−2月、バケーション季節ともなればエセイサ国際空港は、TVや家電、中にはモーターボートまで土産に持ち帰る旅行者でごった返していた。1995年頃の日本の超円高時代と非常に似た状況にあった。

1923年、スウェーデンの経済学者カッセルは、為替レートは2国間の購買力の比率によって決定されるという説を唱えている。アルゼンチンでの駐在生活者として、アイスキャンデイー1本の価格(通貨ペソ)の妥当性をもって購買力平価論の検証する機会もあった。

しかし、このような政策は長続きせず、かかる通貨政策(超ペソ高)は国内産業を疲弊させ、失業や企業倒産、外貨も底をついた。1982年4月2日、家族をブエノスアイレスに残し、コロンビアに出張していたが「アルゼンチンで戦争が勃発」したと信じられない情報が飛び込んできた。国内経済に対する国民の不満は頂点に達しており、国民の関心を外部に向ける必要はあったのであろう、アルゼンチン軍は英国領のフォークランド(マルビナス)諸島に上陸、戦争を仕掛けたのである。鉄の首相と呼ばれたサッチャヤー元首相は即応戦、空軍、数週間後にはエグゾセ・ミサイル搭載の艦隊など110隻を派遣し、戦争勃発から3ヶ月あまりであっさり終結した。

実力以上に誘導されていたペソは、あっと言う間に、切り下げさた。戦争が購買力平価の調整を後押ししたと思っているが、アイスキャンデイーも一本20−30円になっていた。

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