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今朝は九時半から大津まで出かけ、草刈りの作業、昼前には「疑似熱中症」になったようだ。ヤバイと車のクーラーを全開で体を冷やしたが、調子が戻らない。近くのCOCOSで昼食、ハンバーグセット、ドリンクバーでジュース4杯、カルピス二杯、スープ二杯、コーヒー2杯で一服してやっと疑似熱中症も治まったが、午後、義弟宅で二時間ほど昼寝させて貰って、やっと元の体調に戻った。 今日も猛暑は続いているが、明日は区の里山道の作業日で体を動かさないと行けない。
今日は9月11日、色々と想い出す,,,,今は昔
今は昔・9月11日:
定年後に為替の歴史を書き留めた“ボケ防止メモ帳”の一つに9月11日版がある。9年前の夜11:00pm前に「米国で同時多発テロ」が発生し、“その時 歴史は動いた”、、、、、
2001年9月11日夜、同僚のご尊父のお通夜を終わって、夜10時半頃に“久しぶりに早く帰宅”した。<現役時代の帰宅は大体11時半以降で午前様が多く、10時前にでも帰るとカアチャンから「どっか具合でも悪いの?」と言われた会社人間だった。>
01年9月11日、家に帰ると、茶の間のTVは外国映画でも映っていると思っていた。 数分後に、電話が鳴り響き経理担当役員から「テレビ見ているか? アメリカが今、大変な事になっている、明日の為替はどうなるか、 円はどうなると思うか?」との電話で質され、スワー大事件だと、どのチャンネルを回してもマンハッタンの世界貿易センタービル・ツインタワーの北棟が炎上の中継放送中であった。
なすべき手もなく、取り敢えずワシントン近くの米国子会社の代表者自宅に電話をしたが、丁度南棟に二機目が激突した直後であった。 為替がどうなる云々を言っても誰も分からないが、あまりのショックで明日の為替がどうなるかの誰にも分からず、円や為替の動向も知るよしもなく、深夜までTVに釘付けにとなった。一度だけ訪れた事があるマンハッタンの綺麗な都市は瓦礫の山と化す寸前だった。
テロ発生前の9月10日の週はテロ前に米ドル:122.04(高値)であったが、テロ発生後は116.89の最安値を付けた。 "5円もの激円高"だったが、世界を震撼させた大事件の余韻が冷めない中で日銀の介入などもあり、9月4日の月末週の終値は119.43まで回復した。当時のレートは120円前後ではあったので、輸出にとってはComfortableな状況にあったが、テロの恐ろしさもさることながら「円高恐怖」を経験した。
しかし、円高恐怖は杞憂に終わり01年末は131.06で終えた。現在のドル安、円高とは異なる主要国の協調介入だったので、効果もあったのだろう。
911事件は「有事のドル買い」という言葉をぐらつかせたが、米同時多発テロで米国が有事の当事者だった。それまでは、世界で紛争や災害が発生すれば世界一の軍事力と経済力を誇る米国のドルが買われたが、この時ばかりは米国が紛争の当事国であり且つ、米国本土が攻撃されたという衝撃から米ドルが売られた。この時に買われたのが中立国であるスイスの通貨フランだったし、その4年後の2005年7月のロンドンでのテロの直後も、英ポンドは暴落した。
911事件前後(2001−2004年)までドル円のチャートも記録帳にあるが、134円から105円の変動幅だった。この点からすると現下の為替¥84.16は超円高にあり、来週の民主党代表戦でどちらに触れるか興味津々、、、、である。 一方、アメリカではイスラム教のコーランを燃やすと言った物騒なニュースがあるのが気懸かりである。
それにしても、今日は水分を異常にガブガブ飲んだが、「オッシッコ」が余りでないのは摩訶不思議であるし、ハンバーグと10杯飲んで「お代\998」は超安・デフレ時代なのだ!
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