ポンドは稲妻のごとし。

落ちたら怖いのです。これが・・・・

外国為替証拠金取引

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五月晴れ

今日は本当に天気の良い日です。”五月晴れ”とはまさに今日のような天気を指すのでしょう。
その良い天気に誘われて外に出ました。最近、日曜日には日経を買い、自宅付近のファミレスで食事をしながら読むのが常です。でも、本当はただ食事をするには間が持たないためですが。
あまり色々な情報を頭に入れると混乱するので努めて、株式、為替、金利の予想などの金融面は読まずに飛ばそうとしてもどうしても目がいってしまいます。ポジションを持っているときは特にです。
ただ、今日は日経に連載されている小説の特集に目が留まりました。33面の特集面です。
”世界を創った男 チンギス・ハン”特集で、作者は、堺屋太一氏です。氏の解説で、チンギス・ハンの時代の世界征服について書かれていて、面白いのは”その帝国と現代の米国”を重ね合わせるところです。特に、最後のところの、”チンギス・ハンの肇た国は、その死後ますます拡大、五十年後にはユーラシアの七割、世界人口の六割を支配する。しかもその国は、短い地域でも百年、長いところでは二十世紀のはじめまで六世紀以上も続いた。
その秘訣の第一は「信仰の自由」だ。ー中略ー
第二は「安価な統治」だ。ー中略ー
第三は通貨。モンゴルは建国以来、財政と国際収支の「双子の赤字」構造だった。それを補ったのが国際機軸通貨としての不換紙幣の発行運用だ。大モンゴル帝国は「交鈔」や「塩引」といわれる紙幣を発行。公務員の給与などは主としてこれで支払った。一方で通商産業を振興、「オルトク」という名の投資組合を奨励、高級公務員が紙幣を投資するよう仕向けた。
「通貨も財産の一つ、需給が均衡していれば価値を保つ。」財務官マフムド・ヤラワチはそう主張した。モンゴルの不換紙幣は約八十年間、価値は百分の一に下がりつつも国際基準通貨を保った。二十世紀の
米ドルとほぼ同じ下落率である。不換紙幣が国際基準通貨として通用したのは、大モンゴル帝国の盛時と今、1972年以降の米国ドルだけだ。二十一世紀の米国人が、十三世紀のモンゴルの財政官僚ほど優秀なら、米ドルもあと四十五年は国際基準通貨であり続けるだろう。
この文言、今の時代と照らしてもあまり歳月を感じませんね?
前回、紹介した、”いやでも儲かる株”高橋雄二著、ビジネス社に、このような一説があります。
”ドル中心の投機の仕組みがうまく機能する理由は、ドルが世界中で機軸通貨として信認されているからだ。それが続く間はドルが世界の金融市場でわが物顔に暴れまわっても、それを見ているしか手はない。この現実を知れば、アメリカの繁栄にとって最大の鍵は「ドルの信認」を失わないことである。ドルの信認が維持される限り、アメリカの覇権国家としての地位は決して揺るがない。
”国際基軸通貨””投資組合”これ本当に昔の話?歴史は繰り返す?歴史から学べる事は多いのですね。さて、相変わらずポンド・円で格闘している毎日ですが、少々勉強の為に、ポンド・円の売りと買いの両建てをしてみました。現時点でのポンド・円のレートはかなり高値圏だと思っており、そろそろ胴元が利益確定に動くのではないかと考えと、ポンド・円は振幅ガ大きいので少しの調整でも売ったレート位には達するのではないかとの読みです。とか、カッコつけておりますが、ポンド・円を落ちると思い売ったら逆に上がってしまったと言うことです。実のところ今はあまりうまくいってはおりませんが・・・・はは
本当に毎日”マイナスのスワップ金利”が増えていくのはあまり気持ちが良くありませんね。
取り合えず、闇雲に売るのではなく、高値圏でレンジの底値より若干下に売りの指値を入れ、通常は買いで勝負しております。幸いにも、2口座合わせての状態では赤ではありません。
この実験が機能し、気持ちが、本日のような”五月晴れ”といきたいです。


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