|
縄文時代の後、弥生時代は紀元前5世紀ころから紀元後3世紀までの時期を指します。長い時代です。
そのころヨーロッパではローマ帝国、中国では三国志の時代から漢ですね。
弥生文化の特徴は弥生土器と農耕文化ですが、この区分があやしくなってきました。
遺跡がつぎつぎと発見されるにつれて、弥生土器は縄文時代にも作られていたことがわかったし、縄文晩期の水田跡も発見されました。
こうゆう発見は私たちにとっては夢が膨らみますが、歴史家にしてみれば、また歴史の見直しを迫られる結果になって気の毒です。
私が勉強している本には弥生時代を担っていた人は、「渡来人もいた」と書いてあるに留まっていますが、私はここですっかり時代も人も変わるのではないかと思うのです。
まるでゲルマン人の移動のように。
つまり、戦国時代下にあった中国から日本へ移動してきた人の文化なのです。
彼らは同時に水稲耕作と武器も持ってきました。
そして、以前からいる縄文日本人と仲良く、(あるいは戦いにより)融合していったのだと思います。
でもそれに耐えられない縄文日本人はできるだけ九州北部から遠くへ逃げたのです。北海道とか沖縄に。
でもね、中国からの大移動だったら漢字もその時一緒に日本に渡ったはずなんですけどね。
写真は弥生時代に流行した腕輪(貝輪)です。沖縄で採れたものが北海道でも見つかるのだそうです。大ブームだったんですね。
山川出版社 詳説 日本史研究:−弥生文化の成立−
NHK高校講座 日本史:縄文から弥生へ 〜稲作の広がりと金属器〜
平凡社 日本語の歴史I
|
いきなり切り替わるものではないので晩期と創生期の区切りは難しいかも!?
2009/6/11(木) 午後 10:21
歴史の区分なんて後になってからその人たちの都合のいいように分けて行ったから、あまり重要視しないほうがよさそうですね。
2009/6/13(土) 午後 4:25 [ Leally Lilly ]
貝類の採集
縄文人が貝類を食糧資源・装飾品の原料として採取するようになったのは縄文早期前半で、代表的な遺跡として横須賀市の夏島貝塚が挙げられる。
縄文早期の半ばには瀬戸内海沿岸や東北地方でも貝塚が形成されるようになる。採取対象は当初はヤマトシジミであったが、やがてカキやハイガイなどにその中心は移る。
また、腕輪やペンダントの原材料として採取された貝類もある。特に目立つのがオオツタノハガイの利用である。
オオツタノハガイは主に屋久島やトカラ列島に生息するが、縄文期には、特に縄文後期・晩期を中心に、関東全域から北は北海道の有珠10遺跡でも出土している。
これについて、原材料となったオオツタノハガイは南九州から運ばれたという説と、三宅島以南の伊豆諸島にも生息域があったのではないかとの説が対立している。
2012/5/3(木) 午後 11:04 [ 底質汚染 ]
紀元前284年、燕・趙・韓・魏・楚の5カ国連合軍に斉が大敗し、首都臨淄を陥とされる。
湣王は、国外へ逃亡した。
秦は、諸国に苛烈な攻撃を加え、紀元前260年には長平の戦いで趙に大勝し、45万と言う将兵を一度に殺した。
また紀元前256年に東周を滅ぼす。
紀元前247年に政が秦王に即位する。のちの始皇帝である。
紀元前230年に韓を滅ぼし、続いて紀元前228年に趙、紀元前225年に魏、紀元前223年に楚、紀元前222年に燕、そして紀元前221年に斉を滅ぼし、天下を統一。
戦国時代は終結し、中国史上初めての統一王朝が誕生した。
多くの戦争難民が日本列島に逃げ落ちた。
2012/8/14(火) 午後 10:22 [ アジアや世界の歴史や環境を学ぶ ]