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東インド会社は1つだと思っていました。イギリスが所有したインドにある貿易会社だと。
ところが、オランダもフランスも東インド会社を持っていたのですね。どうしてどこも同じ名前なのかな?インド(ムガル帝国)がどうぞどうぞとみんなを受け入れたのかな?
また西インド会社もあったのですね。東インドはインドの東=アジアを中心とした貿易。西インド会社はインドの西をずーっと行ったところのヨーロッパの西にある新大陸に設立されました。(地球がまるいから西も東もぐるっと回ればどこも同じ!)
ま、いずれのインド会社も、同じように商社のような会社だったのです。自分たちの国には輸出するぱっとしたものがないので、輸出する国と輸入する国の間に入って関税とか船の貸出とかでもうけていました。(中継貿易)
アジアには香辛料だけではなく、陶磁器や銀・銅もあるし、ヨーロッパからは武器や日用品などの製品を輸出しました。
アジアとヨーロッパの品物の売買は始まったばかりで基準がまだ決められていなかったし、お互い本当に必要なものが異なっただろうから、仲介役に入ったイギリスやオランダは自分たちのいいように値段を決めてたような気がします。だってこれで大儲けをしたんでしょ。悪徳商法でなきゃ、これほどの金は集まりません。
東インド会社というと、パイレッツ・オブ・カリビアンを思いだします。ジャック・スパロウがいたころはこの時代(17世紀)だったんだ。ベケット卿は東インド会社の社長(?)ですが、悪い人ではないかもしれないけど、好かん。
写真:オランダ東インド会社のロゴ
参考文献:
浜島書店 「世界史詳覧」−植民地戦争と世界貿易−
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天皇があまりにも幼いため、天皇に代わって政治を行っていく人が必要でした。それが摂関政治です。858年に即位した清和天皇は9歳、次の陽成天皇も9歳です。本当にこの人たち以外に天皇になれる人はいなかったのかしら。二人とも親がすぐに死んじゃったの?天皇の兄弟とかいなかったのかなあ…どうも怪しい。すでにここから藤原氏の陰謀が感じられます。
天皇は神様ですから、ものすごい権限が摂政・関白にはあったわけですよね。国政を全面的に運営できる。でも摂政・関白は人間ですから、「袖の下」は受け取るし、政治も自分たちの家族でカバーしちゃって、思いのままでした。自分の地位を揺るがすような危険人物が出てきたら大宰府へ左遷したり、言いがかりをつけて戦争を起こしてたたきつぶしたりしました。
天皇に政治ができなければ、そりゃ誰か他の人がしなければいけないのですが、それでも藤原氏の摂関政治は、自分ら一族の発展が大前提のようで、「お国のため、国民のため」という考えは全く見られません。
ずっと前になりますが聖徳太子も摂政として推古天皇を助けていました。でも聖徳太子は庶民に人気があったし、海外へ進出していこうとする大きなビジョンがありました。それとはぜんぜん違う。(時代も違うし聖徳太子は伝説的人物だから、比較することは難しいかもしれませんが…。)
現に、摂政・関白を置かず、天皇が中心に政治を行った10世紀前半の醍醐天皇と村上天皇の時代は、公平な人事が行われ、文化・芸術もさかんになりました。だから天皇が政治に口を出したほうが、争いも少ないし、国民のためにもなる。
今の天皇も「国民の象徴」だけではなく、もう少し政治に参加したら、派閥を超え、国民重視の政策が生まれるかもしれない…とちょっと思いました。
写真:北野天神
菅原道真を大宰府に左遷させた後、天皇の息子が死んだり、御所に雷が落ちたりして、「これは道真の怨霊の仕業」と、道真の霊を祭るために建立。今度行ってみよ。
参考文献:
詳説「日本史研究」 −摂関政治−
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大航海時代の後半アフリカをぐるっと回ってアジアに行けることがわかるとヨーロッパは次々とアジア市場に狙いをつけてきます。
ヨーロッパって基本的に寒冷なんだよね。だからアジア(中国より南のアジア)で生産される香辛料がとても魅力的だった。だいたい香辛料はちょこっとしか使わないから、儲けは大きかったことでしょう。
ポルトガルはインドのゴアに拠点を作り、マカオへ。スペインはマニラ。オランダは東インド会社からジャワ島へ。イギリスはインド経営に力を入れます。
この間(1500年中旬から1600年くらいまで)ヨーロッパ人がちょくちょく日本に来てるんですね。1543年種子島(これは流れ着いた)、ザビエルが鹿児島(1549)。平戸や長崎にも。でも日本は貝のように鎖国をしてヨーロッパ人を寄せ付けませんでした。
鎖国は一応の評価はすべきかなと思います。(「キリスト教がいや」という江戸幕府の理由は別として)これにより日本の文化が守られたわけでしょ。アメリカみたいに先住民全部殺しちゃったらどうなってたかしらと思うと、日本人が生きながらえてこれたのも鎖国のおかげかも。もちろん「自分がよければすべてよし」という「島国根性」「非国際的考え」も育っちゃったけどね。
写真:シナモン25g 543円(アマゾンで)。今でも割高だけど、シナモン大好き…これが占領のもと!
参考文献: 山川出版社「世界史B」−アジア市場の攻防−
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“Cinderella didn’t get her happy ending without lifting a finger. She had to show up at the ball,
be charming and smooth, and win over the prince.”
−p.189 I beat the odds by Michael Oher
「シンデレラだって幸せを得るために何もしなかったわけじゃない。彼女はダンスパーティにも行ったし、きれいでしなやかになって、それで王子を勝ち取ったんだ。」(Leally Lilly訳)
シンデレラストーリーをこのように解釈することもできるのかと興味深く読みました。
すべて運命に身を任せていたわけじゃなく、もちろんラッキーだったけど、自分も努力したということ。そう言われてみればそうかなと思いました。
今私が読んでいるこの本は「ホームレスのような生活からフットボールのプロ」になった自叙伝です。母親は子育てを放棄した麻薬中毒患者。お父さんは誰かわからないけれど、死んだといううわさ。住むところも転々として学校もそのたびに変わったけれど、良い家族に巡り合い、大学へも行けて、それでプロのフットボールの選手になったというサクセスストーリーです。映画にもなりました(写真)。
でも彼はシンデレラなんかじゃない。この栄光はほとんど自分の努力で勝ち取ったのだと思いました。ただ周囲の人が彼を助けてくれたところがラッキーだっただけです。勉強もほとんとできなかったけれど大学へ行くためにフットボールの練習後、午後6時から10時まで毎日家庭教師と勉強をしたのです。きっと疲れて帰って来たでしょうに。…夕食はいつ?まあそれはいいけど。大変な努力だったと思います。
この本には何度もお母さんがでてきます。母親はお金をもらうと家に鍵をかけて何日も家出してしまいます。自分の家に入ることができないので子供たちは友達の家で寝泊まりしなければいけなかった。なのに彼はまったくお母さんを憎んでいないのです。そんな母親をどうして大切に思うのかしら。親と子供ってどんな絆があるのでしょうか。本を読んでいる間ずっと不思議に思いました。
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天皇には絶対的な権力があります。自分が天皇になるには天皇と奥様の間から生まれてきた皇太子でなきゃいけません。…でもそうでなかった場合どうするか。
9世紀初め、天皇との「個人的な結びつき」で自分の地位が上がったのです。そして天皇の座も目前になったのです。
ではどんなふうにしたら天皇と仲良くなれるかと言うと、まずは教養です。とても賢いことあるいは政治の仕方をよく知っていることでした。それで偉くなった人には菅原道真がいます。いえ〜い、庶民のアイドル菅原道真!!
菅原さんには毎年お世話になっております。うちからちょっと行った所に「岩津天神」という菅原道真を祀った天神様があり、私は中学3年生の高校合格祈願からず〜と、現在はぜんぜん受験とは無縁な身分なのですが、それでもなんかやっぱり常に賢くなりたいと思い、毎年初詣に行っています。
今日の私があるのも菅原様のご利益のお蔭、と私の努力のたまものであると思っております。(やっぱ、人間、努力が一番でしょ。)
話がそれました。
天皇のように偉くなれるもう1つの方法は、天皇の父方か母方と親戚になることです。
そんな中天皇にちょっと人気があった藤原冬嗣は自分の娘(順子)を天皇と結婚させ、その子供(良房)を皇太子に強引にさせちゃった(承和の変)。その後も良房の娘が天皇と結婚。そしてその子供をまたすぐに皇太子にさせちゃう。そんなこんなで天皇家と藤原氏は親戚同士で結婚だらけ。これじゃ誰が誰のおじさんで誰がおばさんになるのかわからない。
それと同時に「教養ある人」は「うざい」ので、できるだけ都から遠ざけることになりました。そのため我らが菅原道真は左遷です。ひどい話です。
平安時代は「天皇や皇太子のお嫁さん」になるのはシンデレラストーリーだったのかしら?現代では誰も何とも思いません。…むしろお気の毒だと思います。
参考文献:
詳説「日本史研究」 −藤原氏北家の発展−
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