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<巨人>大西外野手が現役引退を表明
2006年10月4日(水) 18時33分 毎日新聞
大西崇之外野手(35)が現役引退を表明。95年に中日に入団し、今季から巨人でプレー。「35歳までプロでやれるとは思っていなかった。(現役生活は)100点です」と振り返った。
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<来歴・人物>
大西 崇之(おおにし たかゆき、1971年7月2日)。ヤオハンジャパンから1994年ドラフト6位で中日ドラゴンズに指名され入団。入団当初は「非力な選手」という印象で大きな期待はなかった。しかし、持ち前の走力、守備力、肩は既に一級品であったことや星野仙一監督好みのガッツの良さで一軍に顔を出し始める。4年目の1998年から代走・守備固めとして数多く起用され95試合に出場。翌年から出場機会が減少し年齢的にも成長は望み薄かと思われたが、2002年から課題だった打撃が急成長。プロ入り初めて3割をマークし、後半はほぼレギュラーを手中にした。翌2003年も勢いは衰えず、打席数を増やしながら2年続けての3割キープ。ここに来てよもやの急成長を見せ付けた。5月にはホームランを連発するなど意外な一面も見せた。ここ一番での勝負強いバッティングはチームになくてはならない存在になった。
しぶとい打撃を身につけ、守備力も堅実でスーパーサブとしての確固たる地位も確立する。30での台頭で、レギュラーにもグッと近づいた。しかし2004年はオープン戦でこそ好調だったが、開幕を井上一樹に奪われると一転不振。肝心の打撃で低迷し一度は抜き去った井上や英智に印象を食われた感が強い。但し、この年の日本シリーズの第2戦で立浪の同点ホームランを呼ぶきっかけとなった内野安打を放っている。2005年は開幕から長らく二軍生活が続いたものの、一軍昇格後は代打として活躍し得点圏打率4割以上と良績を残した。しかし、控え選手は川相昌弘、渡邉博幸、井上一樹、柳沢裕一と高齢化したこともあり若返りを計りたい落合監督の戦力構想から外れ、トレード要員となり巨人の原辰徳監督の強い要望で同年オフに金銭トレードで巨人に移籍。背番号は00番。
また、98年横浜優勝時の大魔神・佐々木主浩に、その年唯一の本塁打を浴びせたのが、この大西である。ちなみにその年の佐々木の防御率は0.64なので、本塁打を打ったことは本当に素晴らしいことである。
過去には代打でかなりの好成績も残している。子供のような顔立ちをしておりベンチではムードメーカー的役割もこなす。妻は女子プロゴルファーの坂上晴美。
2006年10月4日に引退を表明。「体が小さいし、プロ入りした時この年齢までやれるとは夢にも思わなかった。完全燃焼した」と述べた。2007年からは巨人のスカウトに転身。
<略歴>
・身長・体重:176cm、73kg
・投打:右/右
・出身地:大阪府東大阪市
・血液型:AB
・球歴・入団経緯:東大阪リトルリーグ → 大阪桐蔭高 → 鹿児島商工(現:樟南) → 亜細亜大学(中退) → 天城ベースボールクラブ → ヤオハンジャパン → 中日ドラゴンズ → 読売ジャイアンツ
・プロ入り年度・順位:1994年(6位指名)
<通算成績>(2004年シーズン終了時)
・654試合 打率.279(打数974打数272安打)18本塁打 96打点 46盗塁
<エピソード>
リトルリーグ時代のチームメイトには種田仁,大阪桐蔭高等学校の1つ先輩に今中慎二,転校した鹿児島商工高等学校には吉鶴憲治,中退した亜細亜大学の3つ先輩には小池秀郎,とプロ入り前は後に中日でともにプレーする選手とチームメイトだった。
2000年5月6日の中日-横浜戦で中日の立浪和義が橘高淳球審のストライク判定に不服を唱えて揉み合いになり、暴行を理由に退場処分を受けた。この際に(止めに入った大西に橘高の手が当たった、或いは判定に加えて橘高が「この二流選手が!」と発言したなどの理由が言われている)大西が激昂し飛び蹴りを叩き込んで肋骨を骨折させるという事件を起こした。その結果、当時の星野監督、立浪とともに制裁金・出場停止処分を受けることとなる。審判を負傷させたためか、大西への処分は最も重いものだった。
このとき観戦していたファンから送られてきた「子供が見ていたんです!」という主旨の手紙を、自戒の意味を込めて大事に保管しているという(2003年の中日スポーツコラム・ドラ番記者より)
中日ではナゴヤドーム4階席に控え選手にも拘らず、大西シートがあった(2005年シーズンまで)
2005年オフに巨人に移籍。背番号は同シーズン限りで現役を退いた後藤孝志が付けていた00番に決まった。その際、それまで接点のなかった後藤に電話をし「先輩の背番号に恥じないように頑張りたい」と話したらしい。
中日時代のチームメイトにして外野レギュラーの座を争った井上一樹とは同級生。高校時代は鹿児島県大会で戦った間柄である。
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