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>自宅にネコの額ほどの家庭菜園用の畑があります |

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こんにちは、ゲストさん
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>自宅にネコの額ほどの家庭菜園用の畑があります |
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この写真の石仏さま?どこか変わっているところありませんか? (画像をクリックするともう少し大きくなります) ↑拡大写真 遮光土偶の高さは30cm位 静岡県榛原群中川根町上長尾・遮光土偶(晩期)↑
似てます?
青森県亀ヶ岡遺跡・遮光土偶 * 思わず笑ってしまいました!! * >寸又峡温泉で湯めぐりするために、細い坂道を歩いていたら、ちいさな”ほこら”がありました。 その”ほこら”の中をのぞくと変わったお姿の石仏様がそこに安置されていました。 遮光土偶が光背を輝かしている姿、初めて拝見しました!! 一瞬目を疑いました。 町の人のジョークなのでしょうか。 でもまたどうしてこんな所に遮光土偶が・・ いくらジョークでもと不思議に思っていたら、ある宿のロビーカウンタの上にクリアケースに 入った先ほどとそっくりな遮光土偶が飾ってありました。 さすがにこれはジョークではないと思い宿のオーナーに尋ねたら、これは寸又峡近くの 「駿河徳山」あたりの遺跡で、日本最南端で出土した遮光土偶の「レプリカ」です と説明していただきました。 現在本物は東京国立博物館所蔵のようです 残念なことにロビーカウンターにあった遮光土偶の写真を撮り忘れました。 光背があったとはおもえないのですが・・・ >家に帰ってから本物の土偶の姿のこと知りたくて検索したけどわからなかったので、 詳しい方に尋ねたら静岡県榛原群中川根町上長尾の土偶でやはり東京国立博物館所蔵。 レプリカは静岡県島田市博物館にあるそうですと教えていただきました。 それにしても”ほこら”の土偶は・・・隣の仏様と一体化してました (笑) ついでに青森県亀ヶ岡遺跡の遮光土偶も参加していただきました。 静岡県榛原群中川根町上長尾↓ |
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左に長良川、山頂に岐阜城、茶色の屋根の並びは侍屋敷(兵農分離) 図の左が北 ↓濃州厚見群岐阜地図・・1654年 原本・名古屋市蓮左文庫蔵 その地図を元にした復元図↓ 1区〜3区が今年度(H19年)発掘場所。過去に3次おこなわれています。 この図の中にこのブログで紹介した3重塔位置もわかります。 *遺跡発掘場所には珍しい「信長居館」と書いた旗が何本も建っています。 *この階段を登りきったところに2区があります。山側にあり、一日中、どこにも日の光がはいらず 快晴日にもかかわらず底冷えして非常に寒かったです。 見学者の1人が "こんな寒い場所に庭をつくるだろうか”と疑問をなげかけていました。 2区の説明文と写真 [ 案内所が設けてあり出土遺物の展示がされています。 >* 岐阜公園内で織田信長居館に関する遺跡発掘がされています。*< *織田信長入城後、稲葉山は岐阜城と改められ、その城下町は、岐阜町と呼ばれるようになった。 *信長は、稲葉山(金華山)の頂に四層の天守を、山麓には四層の居館を作り、土居と堀で 囲まれた総構(そうがまえ)の岐阜町を斉藤道三の例に習って、尾張清洲の町入をそこに 移住させ、大工左官、鍛冶、魚屋などが住む町をさらに整備して、商業の発展に力を注いだ。 *城下町の建設に欠かせない寺院も、安楽寺を新設したり、近国の有名寺院を移築したりして 美江寺や伊奈波神社を中心に整備を進めていった。 *また信長は家臣を城下に住まわせる「兵農分離」の政策をとっったので、金華山一帯に 「侍屋敷」や「長屋」が多く建設されることにより、急激に町つくりが進められた。 *1569年(永禄12年)キリシタンの保護、布教の許可を信長から取り付けるために来岐した 宣教師・ルイス・フロイスは著書「日本史」の中で、岐阜町の賑わいぶりを 「人口は、8千ないし1万を数え、取引や往来する人々がおびただしく、バビロンの混雑を 思わせるほどで、塩を積んだ多くの馬や反物その他の品物を携えた商人たちが、諸国から 集まっている」と紹介している。 *信長入城以前、すでに総構の入り口にある御園・岩倉・中川原には楽市場が建っていたという。 [中日新聞・濃飛 人物伝より 一部略] |
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廃棄土坑の出土遺物状況 幾重にも重なっておびただしい数です。 平瓦、丸瓦、軒丸瓦、須恵器が出土しているのが確認できます。 (写真はオリジナルサイズでも見られます。) 今回一番驚いた遺物は顔が彫られた獣脚が出土した事。 目は細く、口には牙?でしょうか。鼻も付いて脚長は12cm 初めて見ました。 この獣脚はオレンジの矢印の部分にあたります 須恵器の杯と灯明皿(とうみょうさら) 灯明皿は最初から灯明皿として使われていたのか、使われなくなった 杯を利用したのかわかりませんが、何枚か出土していて使用した跡のタールが多く付着していました。 水瓶(すいびょう)の頸部分 写真に赤で囲んだ部分になります。寺院で使用される瓶のようです。 仏鉢 直径30cm 器の底は少し尖った形 大きめのラーメン鉢くらいの大きさ 仏鉢 上の仏鉢よりは一回り小さめ 盤(ばん) 盤や仏鉢はお供えものを盛るのに使用されたようです。 大きさは、写真一枚目、新聞記事写真をみると仏鉢より直径は大きくなりそうです *山田寺跡(さんでんじあと)範囲確認調査は平成17年度から今年の19年度の3次にかけて行わ れました。 *1次2次では寺跡範囲の北辺と西辺が確認されており、3次は寺の東辺の調査が主な目的と なりました。 3次は土地改良により調査区のほどんどが掘り起こされて、東辺の遺構確認は 現時点で推定のみのようです。しかしその中で遺物としては写真の2枚目の遺構がとても多くの 情報をもたらしました。その特徴は遺物が寺で使用された土器が集中して多く出土したことに あります。 やはりこの地は寺であったことがより強く確認されました。 *須恵器は8世紀のものとされています。 【山田寺跡・・岐阜県各務原市蘇原寺島町2 地図は書庫の「地形地図」を参照してください】 次回は「瓦編」をUPします。 (香炉?と水瓶の写真は現場説明会のときに使用されていたものを使いました) |
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★ヘリコプターの下にカメラを積んでいます。 このカメラのサイズは通常手に持って写すカメラと同じ位なので、ヘリコプターのサイズが わかるのではないかと思います。リモートコントローラーもすぐ左に見えます。 ★操縦する人がスイッチを入れると、芝刈り機に似たような、それよりおおきな音をたてて
軽い土煙とともに飛び上がります。
★三脚の上にモニターが付いていてヘリコプターが飛びながら写している映像をリアルタイムに 見ることがでます。また写真も撮ることもできます。 遺跡の全体の状況や脚立等を建てても撮影できないようなところなどを 発掘調査の最終段階で、よりわかりやすく撮影するために、リモコン・ヘリコプターを使います。 写真は11月2日(金)山田寺跡(さんでんじ・岐阜県各務原市)の空中撮影の様子です。 撮影時間は太陽が真上に来る頃の昼です。遺構は穴(ピット)や溝状の掘り込み(トレンチ) があるため、斜めの角度からでは影ができてしまうからです |
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