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岐阜県各務原市  東海中央病院、待合にある陶壁

正面より 堅いイメージの陶壁にランダムに切られたような線がリズム感を与え動いているように
           見えます  横幅のサイズは5mはありそうです

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側面より 
 
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近くで見ると、とても人工的にコピーできそうもない釉薬の自然の力に圧倒されます

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★ Kanoのブログ 加藤孝造さんの陶壁 No.1 ★ 


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   いつも思うのですけど、陶壁に寄りかかっている ↑゛よしず ゛はずしてもらえないかな〜 
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 美濃陶芸協会HPより↓
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岐阜県各務原市立中央図書館に加藤孝造さんの陶壁があります
場所は図書館入り口入った向かってすぐ左手、1階と2階の吹き抜けの壁にあります

加藤孝造さんは10代の頃から荒川豊蔵さんに師事し、師同様、美濃桃山陶器に魅了され
多くの作品を作っていらっしゃいます。

荒川豊蔵さんの言葉の中に
「窯たいておけば、そのうち薬(釉薬)もとけるでな」と言われ゛始めはそんなばかな”と思われたそうです
「作為がないように見えて、そこに先生の人生観や信念が凝縮されている」と師の言葉を回顧されていま す。


岐阜県出身ということで、ここ各務原市中央図書館の壁を飾る意味も大きいと思います。
そして荒川豊蔵さんから伝統を受け継がれまた新たに加藤孝造さんの伝統をつくられ脈脈々と
受け継がれていく物造りの大切さを感じました。


★加藤孝造−−−孝陶窯 koto-gama  〒507-0811
                   岐阜県多治見市星が台2-111
 ★Kanoの荒川豊蔵ブログ 
      No.1 http://blogs.yahoo.co.jp/g2lens_kaji3/30074234.html
★各務原市立中央図書館
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%84%E5%8B%99%E5%8E%9F%E5%B8%82%E7%AB%8B%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E5%9B%B3%E6%9B%B8%E9%A4%A8
瀬戸黒
イメージ 1 A 瀬戸黒金彩木の葉文茶碗 昭和40年 7.6×10.6
展覧会会場で展示してあった作品の中で、黒に金彩が引き立ち、ひと際落ち着いた中にも華やかさを感じる作品でした。
妻の志づさんに贈ったもので、女性の手にあうように一回り小振りでした。









 ↓B 左 昭和14〜15年頃 8.8×12.0        右 昭和47年 10.2×10.0
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黄瀬戸
C  左 昭和46年 9.0×12.5           右 水玉透かし鉢 昭和17年 10.2×18.0
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 D 左 黄瀬戸花入 銘 白鷺城 昭和47年頃 31.4×16.2 右  信楽檑花入 27.5×15.8
日本の五窯と言われる信楽、丹波、備前、萩、唐津に出かけて行って作品を制作されています。
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水月窯(豊蔵の窯)
 E 色絵秋景図飾皿 仿池大雅翁十便の内 昭和46年 5.4×28.0
画家を志していたこともあり、下図は書かず絵を書き上げたそうです。
写真がないので残念ですが、展覧会会場には、昭和5年に陶片を発見した時の状況を
絵日記のように書いた作品もありました 画家になりたかったことがうかがえる作品でした
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 F 左 赤絵金彩橘絵茶碗 昭和37年頃 8.9×10.9  右 染付いろは水差 昭和46年 18.5×18.2 
独立する前、北大路魯山人が作った鎌倉の星窯研究所の窯場責任者をしていました。随分前に北大路魯山展も観に行ったことがありますが、なんとなく作品の雰囲気が似ている気がするものがあります。
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交流
 G 志野鉦鉢 前田青邨絵 8.0×30.0

河合玉堂、奥村土牛、横山大観、小堀鞆音など多くの人に陶器に絵や字を書いてもらい交流をされていました

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志野は、百草(もぐさ)土といわれる美濃独特の粒子が粗く焼き締まりが少ない陶土を用う
豊蔵氏の使う土も陶房近くで採取できるもぐさ土をそのまま使い、志野釉に使う長石は、
近くの谷川にかけた水車の力で唐臼をつく。そうして砕かれた長石取り出して、更にふるい
にかけ、荒のと細かいのに分ける。それらを改めてもう一度調合し直して使ったという。
 

作品展では190点を超える数がありました。残念なことに図録を買うことができなかったので、このページ写真と作品展に展示してあったものとは同じではありません。
どちらにしてもこのページに載せれるのはほんの一部だけです。

この荒川豊蔵展をみて、単なる桃山時代の志野などを再興されただけではないことが感じられました。
再興するため桃山時代の窯跡を発掘し、きわめて熱効率の悪い半地下式の古窯をもとにして、窯を作りあげる。その初窯焚きは失敗、焼けたのは瀬戸黒だけ。
また新たに窯を築き、初個展まで8年かかっている。とても強い信念がないと成しえないことである。

また同じ陶芸家や画家などの交流を深め、日本の5窯も訪ね、荒川豊蔵さんが亡くなるまで、「豊蔵桃山陶器」を創りあげていかれたのだと感じました。

< 荒川豊蔵 略年譜 >

明治27年(1894年)   岐阜県土岐群多治見町の荒川梅次郎・なべの1人息子として生まれる
明治39年(1906年)12歳 多治見尋常小学校就業後神戸の貿易商・能勢商店に就職
明治40年(1907年)13歳 多治見も陶磁器貿易商・木塚商店に就職
明治44年(1944年)17歳 多治見町上町の叔父・荒川虎次朗の次女・志づ(13歳)と結婚
大正 2年(1913年)19歳 長男・武夫誕生
大正11年(1922年)28歳 画家を志して上京するが断念 宮永東山をたより、京都・東山窯の工場長となる
大正14年(1925年)31歳 叔父清右衛門の案内で、太平古窯跡(現、可児市久々利)で天目釉発見、
               帰路青織部の破片を拾う
昭和 2年(1927年)32歳 北大路魯山人に協力を望まれ一家は鎌倉・星岡窯に移る
昭和 5年(1930年)36歳 横山五郎の計らいで鼠志野の香炉と志野筍絵茶碗を実見、志野。織部が瀬戸で
               焼かれたという説に疑問を抱く
               大萱の牟田洞で筍模様の志野・鼠志野の陶片を発見する
昭和 8年(1933年)39歳 春、魯山人の星岡窯をやめ、大萱に築窯 11月牟田洞で初窯を焚く
昭和 9年(1934年)40歳 4月新たに窯を築き夏に初釜を焚く              失敗に終わった
昭和16年(1940年)47歳 大阪・梅田の阪急で初個展
昭和19年(1944年)50歳 戦時下厳禁されていた窯焚きを、シートを覆いながら敢行
               志づ、あきれて実家へ帰る
昭和21年(1946年)52歳 岐阜県多治見・虎渓山永保寺所有の山を借り受け、水月窯を築く 

昭和30年(1955年)61歳 文化財保護委員会により、志野・瀬戸黒の重要無形文化財保持者
               (人間国宝)に指定される
         ・・・・・ 数々の作品展を行う ・・・・
昭和43年(1968年)74歳 妻志づ死去(享年70歳)
         ・・・・・ 更に数々の作品展やテレビ出演を重ね、また信楽などで作陶する・・・・
昭和59年(1983年)90歳 財団法人荒川豊蔵資料館、開館
昭和60年(1985年)91歳 永眠 虎渓山永保寺で葬儀




引用 ・荒川豊蔵展 生誕100年記念 発行 中日新聞社 平成5年
   ・2007年9月6,7日 中日新聞

>陶器サイズ 高さ×径(cm)

< 志野 >

          キーワード・・・随縁、緋色(赤と白のコントラスト)
     荒川豊蔵さんは昭和5年(1930年 36歳)岐阜県可児市久々利大萱( かにし くくり おおかや)
    桃山時代の筍絵の志野、鼠志野の陶片を発見し、志野は瀬戸ではなく美濃で焼かれた事を実証し
    桃山以後、途絶えていて美濃陶器の志野を中心に再興されました。   

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左右比べると桃山時代の方が戦国時代を反映してか、直線ぽく堅い感じです
荒川豊蔵さんは、再興するのにあたって、桃山陶器をコピーしただけではないことがわかります
A(左)筍絵茶碗 銘 玉川 桃山時代 (右)荒川豊蔵作 筍絵茶碗 銘 随縁 昭和36年 10.0×10.5
    
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長石釉の変化  (左)は初期の頃 色が真っ白に近い  
            (右)昭和40年頃になるとほんのりと緋色になる 再度 銘 随縁 が登場する 
                 真言宗清澄寺の和上との出会いを期して銘々した。最晩年の作品
B ↓ (左)昭和35年 9.8×12.4       (右) 銘 随縁 昭和52年 9.3×12.7
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(左)写真Aのように筍絵が陶片を発見した事と「銘 随縁」があるため有名ですが、絵の数としては「山と松」が多いようです。
(右)禅僧との交流があり○△□の絵が見受けられる
C  (左)山の絵茶碗 昭和30年後半 9.5×12.8          (右) 昭和37年 9.3×13.3 
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 (左)鉄分の多い赤土を使用 
荒川豊蔵さんの作品は私の感じとして「写真B右」の様な長石釉タップリの白色か黒というイメージが強かったので、こんなに赤いものは展覧会場での新たな発見でした。天体のどこかの星をみているようでした 

(右)緋色と釉薬の赤と白の対比が際立つ作品 指で縦に曳いた線は薄くなり緋色がでやすくなり、
    その両側は厚くなって梅花皮がでやすくなる
D  (左) 昭和28年 9.4×12.0                  (右) 銘 耶登能鳥梅 昭和51年 10.2×13.8 
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E  (左)水指 昭和33年 21.0×18.3   
   (上段左)菊交合 昭和40年(上段右)鼠志野兎交合  (下段)鼠志野梅絵茶碗 昭和28年 10.5×12.6
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>「志野はあらゆる陶器のなかで、もっとも日本的な味わいの深いやきものである」(自署 志野より)

>随縁について
 ・「随縁と言うものは、縁に随うこと。とりたてて難しい意味はない」
 ・「人間にもアンテナがあって同じ周波のものが集まってくる」
 ・ 何事も随縁のおかげだとする言葉は生涯座右の銘だったが、この銘をつけて妻に贈った茶碗
   (写真A(右))の帛紗(ふくさ)には「決して手放すでない」と書かれてあった。


>今月の1月6日 NKHテレビ番組・日曜美術館で「小堀遠州」をテーマに放送してました
途中から見たのですが、千利休と小堀遠州の茶室の比較をしてました。

>千利休時代は戦国の世にあって武士は腰に刀を携えています。しかし利休の茶室はその刀を差したままでは茶室に入れない(考え方)ように入り口が極端に狭くなっています。
徳川の世になった小堀遠州の時代の茶室は利休の時代より緊張感が薄くなったせいか茶室の入り口も広く書院作りも加わっています。

>小堀遠州は利休を尊敬しつつ取り込みながらも、その時代にあった自分のスタイルを作ったようでした

>荒川豊蔵は、桃山時代の窯体を掘り出し、それをモデルに半地下の窯をつくり、技術の解明に力を注ぎました
その研究の末、桃山陶器の精神性を崩さず小堀遠州と同様、自分のスタイルを作りあげていったような感じがしました。
その結果が写真Aだと思います。


写真Bより以下すべて荒川豊蔵作

引用 ・荒川豊蔵展 生誕100年記念 発行 中日新聞社 平成5年
   ・2007年9月6,7日 中日新聞
>陶器サイズ 高さ×径(cm)
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* 明治27年(1894年)岐阜県土岐群多治見町出身
* 昭和5年(1930年) -36歳- 可児市久々利大萱(かにし.くくり.おおがや)の古窯跡で
             志野の筍絵の陶片を発見し、志野は瀬戸で焼かれたという通説を覆した。
             また黄瀬戸、志野、瀬戸黒、織部といった桃山の焼き物も美濃産であることを実証した。
 

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↓『志野筍絵茶碗 銘 玉川』 桃山時代 徳川美術館蔵 
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           『荒川豊蔵作 志野筍絵茶碗 銘 随縁 昭和36年↑



 
昨年2007年のことになってしまいましたが、岐阜県美術館25周年記念『荒川豊蔵展』へ行ってきました
訪れた日は最終日の11月4日(日)午後です

会期中行きたいと思いながらもなかなか行けず、ギリギリの選択でした。

ところが運の悪いことが起こってしました。

前の日の11月3日(土)に知人と会食をしてお寿司をいただきました。

そのネタのどれかにあたってその日のうちに全身ひどい蕁麻疹ができてしまいました。
気がおかしくなるくらい「かゆみ」を伴いました。

余りにもひどいので休日診療を受け点滴とアレルギー剤を処方してもらって帰りました。

その時はもう『荒川豊蔵展』へいくのはあきらめていましたが症状が治まったので翌日出かけました。
なんと言っても最終日なので・・・

ところが美術館に着いたときからまた、蕁麻疹が復活してしまい全身が“イタかゆく”なってきました

せっかく来たのだし、もう会期に後がないと相当我慢して鑑賞していましたが、とうとう気持ちに余裕がなくなり限界がきて、190点を超える作品数のうち半分以上くらい観ないで帰ってしましました(;泣;)
それでも帰りがけに図録を少し捜したのですが見当たりませんでした。尋ねる余裕もなかったし----残念

今から思えば心残りです。常設で5,6点の作品を観る事ができても、まとまって作品はなかなかみられません

☆☆ そんな訳でもう一度『荒川豊蔵』さんの作品を振り返るため、残してあった新聞記事やパンフレット、本を頼りに何回かに分けてブログにUPすることにしました。 ☆☆

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