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「怒らないのはよいことです。 |
砂漠の師父母
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ローマ帝国がキリスト教を国教と定めた頃から、
俗世間を去って祈りと手仕事の生活をする人々(修道者)が
登場します。
なかでもすぐれた人を師父・師母と呼びました。
彼らが残した言葉を紹介していきます。
(参考文献「砂漠の師父の言葉」 谷隆一郎・岩倉さやか訳 知泉書院)
俗世間を去って祈りと手仕事の生活をする人々(修道者)が
登場します。
なかでもすぐれた人を師父・師母と呼びました。
彼らが残した言葉を紹介していきます。
(参考文献「砂漠の師父の言葉」 谷隆一郎・岩倉さやか訳 知泉書院)
*お断り
この項目では一部に表現が不適切と思われる部分がありますが、
出典先にあるとおりに引用させていただきます。
出典に忠実でありたい旨、また差別や偏見を助長する意図は
ない旨、ご理解ください。
この項目では一部に表現が不適切と思われる部分がありますが、
出典先にあるとおりに引用させていただきます。
出典に忠実でありたい旨、また差別や偏見を助長する意図は
ない旨、ご理解ください。
教母テオドラは語った。 「『狭い門から入るよう努めなさい』。樹木は冬と雨との苦しみを経なければ 実を結ぶことはできません。わたしたちにとっても同様で、今の世は冬であり、 多くの苦しみと試練によらなければ、天の国の相続人にはなれないのです。」 彼女が語ったところによると、師というものは、命令を好むことから無縁で、 虚栄には無頓着であり、さらに傲慢(ごうまん)から遠ざからなくてはならない。 また、へつらいによって欺かれたり、贈り物に目がくらんだり、大食にしばられたり、 怒りに支配されたりしてはならない。辛抱強く、公正で、できるだけ謙遜(けんそん) でなくてはならない。試練によって高められ、寛大で忍耐強く、魂を愛する者で なければならない。 (注 命令を好むとは、命令するのが好きの意味と思われます) |
「もし、らい病を患っているものを見つけて、わたしの体を与え、 彼の体を受け取ることができるならば、わたしは喜んでそうする。 なぜなら、それこそ完全な愛だからだ」 (「砂漠の師父の言葉」師父アガトン二六より 谷隆一郎・岩倉さやか訳 知泉書院) |

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砂漠の修道士たちもレンズ豆(ひら豆とも)を食べていたようです。
どの本か覚えていませんが、こんな話が。 ある師父がひとつかみのひら豆を鍋に入れ、火にかけた。 鍋が煮立ったところで火を消し、弟子に振る舞った。 弟子「師父よ、煮えていません」 師父「そなたは火を見なかったか? それは大きな慰めである」 |
師父イザヤは金銭欲とは何であるかと尋ねられ、次のように答えた。 「それは、神がそなたに配慮してくださることを信じず、神の諸々の約束に絶望して、 富を愛することである。」 さらに、中傷とは何かと問われて、こう答えた。 「それは、神の栄光を知らずに、隣人を妬むことである。」 さらに、怒りとは何かと問われて、こう答えた。 「それは、争い、偽り、無知である。」 「誰かが、悪でもって悪に報いようと望むときには、首を振るだけで、 兄弟の良心を傷つけることができる。」 |




