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カトリックの一信徒が徒然草しているブログ。ココログに姉妹版があります。

砂漠の師父母

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ローマ帝国がキリスト教を国教と定めた頃から、
俗世間を去って祈りと手仕事の生活をする人々(修道者)が
登場します。
なかでもすぐれた人を師父・師母と呼びました。
彼らが残した言葉を紹介していきます。
(参考文献「砂漠の師父の言葉」 谷隆一郎・岩倉さやか訳 知泉書院)

*お断り
 この項目では一部に表現が不適切と思われる部分がありますが、
 出典先にあるとおりに引用させていただきます。
 出典に忠実でありたい旨、また差別や偏見を助長する意図は
 ない旨、ご理解ください。
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教母シュンクレティケ

 「怒らないのはよいことです。
  でも、もしも怒ってしまったときは、そのままその日を終わらせぬこと。
  『日が暮れるまで怒ったままではいけません』と使徒もいっているその通り。
  それとも生涯、最後までそれをそのまま持ってるつもり?
  どうして君をいじめる人を憎まなければならないの。悪いのは、
  その人でなく悪魔なの。病気は憎むべきだけど、病人を憎んじゃいけないわ」
 
(「砂漠の知恵-砂漠の師父母の言行録」ヘンリJ.Mナウエン監修 野村祐之編訳 教文館 )

教母テオドラ

 教母テオドラは語った。
 「『狭い門から入るよう努めなさい』。樹木は冬と雨との苦しみを経なければ
  実を結ぶことはできません。わたしたちにとっても同様で、今の世は冬であり、
  多くの苦しみと試練によらなければ、天の国の相続人にはなれないのです。」    
    

 彼女が語ったところによると、師というものは、命令を好むことから無縁で、
 虚栄には無頓着であり、さらに傲慢(ごうまん)から遠ざからなくてはならない。
 また、へつらいによって欺かれたり、贈り物に目がくらんだり、大食にしばられたり、
 怒りに支配されたりしてはならない。辛抱強く、公正で、できるだけ謙遜(けんそん)
 でなくてはならない。試練によって高められ、寛大で忍耐強く、魂を愛する者で
 なければならない。 
 (注 命令を好むとは、命令するのが好きの意味と思われます) 
    

師父アガトン

「もし、らい病を患っているものを見つけて、わたしの体を与え、
 彼の体を受け取ることができるならば、わたしは喜んでそうする。
 なぜなら、それこそ完全な愛だからだ」
(「砂漠の師父の言葉」師父アガトン二六より 谷隆一郎・岩倉さやか訳 知泉書院)  
    
砂漠の修道士たちもレンズ豆(ひら豆とも)を食べていたようです。
どの本か覚えていませんが、こんな話が。
  ある師父がひとつかみのひら豆を鍋に入れ、火にかけた。
  鍋が煮立ったところで火を消し、弟子に振る舞った。
  弟子「師父よ、煮えていません」
  師父「そなたは火を見なかったか? それは大きな慰めである」
    

師父イザヤ

師父イザヤは金銭欲とは何であるかと尋ねられ、次のように答えた。
「それは、神がそなたに配慮してくださることを信じず、神の諸々の約束に絶望して、
 富を愛することである。」  
    


さらに、中傷とは何かと問われて、こう答えた。
「それは、神の栄光を知らずに、隣人を妬むことである。」 
    


さらに、怒りとは何かと問われて、こう答えた。
「それは、争い、偽り、無知である。」
    

「誰かが、悪でもって悪に報いようと望むときには、首を振るだけで、
 兄弟の良心を傷つけることができる。」    
    

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