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RERのA線に乗ってディズニーランドの2つ手前の駅で降りると、
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野原のような所にできた新市街のアパートが並んでいます。
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この新市街を抜けて、郊外のほうに歩いていくと
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森の中にお城があるのですが、それを見に行ったのですが
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ついに見つかりませんでした。
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その途中に、このような古風な家があり、新市街へと
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続いている緑の並木道がありました。
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ラシーヌ道
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La Chemin de Racine, Chevreuse
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ジャン・ラシーヌ Jean Racine は17世紀の大劇作家です。
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彼は、1661年にシュヴルーズ Chevreuse に滞在しています。
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当時のシュヴルーズ公の財務官だった叔父のヴィタールが、
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城の雑多な工事監視をするために彼を雇ったのでした。
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ラシーヌにとってその仕事は退屈の極みだったようで、
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捕われの身の感じが強く、彼はここから出した書簡を「バビロニア」発としています。
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退屈しのぎに彼は頻繁に「キャバレー・デュ・リス」に赴いては、
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気を晴らしていました。
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その家は、ラランド通り Rue Lalande 3番地に存在しています。
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王室礼拝堂
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Chapelle Royale, Vincennes
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ヴァンセンヌ城の中にある王室礼拝堂は、シャルル5世は、
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聖王ルイの礼拝堂を壊して、シテ島の裁判所の中にある
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サント・シャペルと同じ様式の教会に建てかえようと思ったが、
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完成は遅れて16世紀のアンリ2世の時代になってしまいました。
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ステンドグラスといくつかの装飾の細部を別とすれば、
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この建物は尖塔こそ失ったものの、純粋なゴチック建築です。
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美しい石造りのバラ窓のあるファサードは、
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コチック後期のフランボワイヤン様式です。
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壁を支えている柱の先にはフランソワ1世の印でもある「F」の彫刻が見えます。
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シュヴルーズ Chevreuse
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この集落は、シュヴルーズ谷の名前で知られている
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イヴェット川 Yvette 流域の中心にあって、
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お城の廃墟の景観が、全体的に今も保たれています。
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また、シュヴルーズの小さなアル広場 Place des Halles 周辺は
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かつての村の特徴がわずかながら残っているところです。
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この町の前景を見るために、丘の上にある廃墟のお城まで登っていきました。
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地図を片手に、丘への上り口を探すためにその通りを
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行ったり、来たりを何度も繰り返し分らないので、
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そこにフランスパンを何本も持った男性が通りかかったので
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地図を見せて、尋ねてみると何と!、目の前に丘への上り口がありました。
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標識も何もないのです。
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イギリス庭園のテラス
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Sain Germain en Laye,
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ホテルの前から「小テラス La Petite Terrasse 」が伸びています。
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ロザリウムのロン・ポワン Rond point du Rosariumu まで続いています。
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ここに案内の掲示板があって、パリ西部のパノラマを眺めることができ、
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晴れている日は、遠くのラデフェンスの高層ビルが一望できます。
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ロン・ポワンの向こうには「大テラス La Grande Terrasse」が伸びています。
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4年に及ぶ並外れた大工事を経て、1673年に完成したル・ノートルの
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傑作のひとつで、全長が2400mにも及び、樹齢100年を越す菩提樹に
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縁取られているこのテラスは、パリ近郊でももっとも
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すばらしい遊歩道の一つと数えられています。
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