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ブルーの色したヴァンセンヌ陶器
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セーヴル焼き: 軟磁器
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La porcelaine tendre
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1740年以来、ヴァンセンヌで造られていたのは、「軟磁器」と呼ばれている陶器です。
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この種の陶器を、ポンパドール夫人とルイ15世は、
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彼女のために建てられた建物内に、1756年に創設された企業に関心を寄せました。
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最初はさまざまな花を「実物通りに」作ることから始められましたが、
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やがて食器セット、小彫像が造られるようになり、
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しまいには文字通り「磁器絵」さえ造られました。
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このブルーのオードブル皿は絵がとてもきれいで、博物館の中に陳列してある
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陶器の中でもとても気に入っている軟磁器です。
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町角で見た透明人間の像
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シャンゼリーゼ通りにあるギャルリーの中の小さな広場に、
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このような金属で作られている透明人間の象がありました。
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とてもよく出来ていて、遠くから見ると体の一部が消えて透明人間のようです。
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ヴァンセンヌ陶器
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パリの東、ヴァンセーヌにあった軟磁器製造所を
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ルイ15世の愛妾だったポンパドール夫人(Madame de Pompadour)が
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ヴェルサイユに近いセーヴルに移してからのことです。
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当時、この製造所で作られていたのは、磁器を模して作った軟磁器と呼ばれるものでした。
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ポンパドゥール夫人が好んだといわれるセーヴルのセレスト(青緑)です。
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ヴァンセンヌ陶器
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Lettre date : B (1754)
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ヴァンセンヌ軟磁器製造所で、陶器を実際の焼いたのは16年間で、
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後に、工場はセーヴルに移転することになります。
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1738年に、このお城は可笑しないきさつから、陶器工場とまってしまったのです。
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民間の手によってヴァンセンヌの窯がここに設置されることになり、
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また、シャンティイの陶器工場を脱走した2人の職人がここに逃げ込み、
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シャンティイの工場から盗み出した秘術を活かして
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さまざまな洋食器や軟磁器製品を製作したのでした。
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模様や絵柄の美しい色鮮やかな花々は、「陶磁器の庭園」を作り出すほどでした。
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ファイアンス
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ファイアンスとは、主として石英と鉛の酸化物を主成分とした
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「グラシュール」というガラス状の釉薬を表面にかけて
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不透水性にした多孔質の素地の陶磁器です。
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酸化物は、普通の溶解温度よりも低温度で石英を溶かして媒溶剤に使います。
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9世紀ごろには、アラブ人は酸化錫を使って、釉を白くしたり
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不透明にして、こうして装飾が定着しやすくしました。
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ジョセフ2世フォシエ陶工
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マルセイユ、1750-1760年
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プティ・パレ美術館
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「高温焼成」
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高温焼成とは、装飾と土台との完全な溶解を可能にし、
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1000度前後で、一緒に磁器化されます。
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1000度は、素地の上に直接に塗られた彩色酸化金属が耐えられる最も高い温度です。
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ただ、コバルトの青、ガンマンの紫がかった茶、銅の緑、
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アンチモンの黄色だけが、1000度の温度に耐えられるのです。
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コンポート
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軟質陶器のセーヴル (1775)
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プティ・パレ美術館
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18世紀には、明るくはっきりした色が好まれました。
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セーヴルの陶器は非常に鮮やかに色彩された物を並べていました。
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1758年以降は、しばしば、ばら色の地に青りんご色で描かれ、
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この同じ青りんご色と群がっている青色が組み合わされ、
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1761年以降には、この群がった青色は虫食いの装飾や
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点線で描かれた装飾では、ばら色と組み合わされました。
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とりわけ金は多く使用されてセーヴルの陶器工房の専売特許でした。
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金は、瑠璃でかたどり厚く重ねられた層に施したり、
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鋲で留めたりして施されていました。
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