映画★批評[極私的memorandum] 宇野 晴久

「映畫批評」言語の復權を!! 孤立を怖れず孤高に徹し… ――250字→500字速評の限界へ!

映画★批評

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■FILMOGRAPHY■(2009-01-01/2009-12-31)
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○003)満洲アーカイブス 満鉄記録映画集【3】
  * 発売元:カムテック株式会社 * 販売元:コニービデオ有限会社
  * 監修:財団法人満鐵会 * 資料提供:東京国立近代美術館フィルムアーカイブセンター
  * 製作著作:蠧本映画新社
   ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
※添付寫眞は孰れも「満洲アーカイブス 満鉄記録映画集」及び「建國の春」に關聯。寫眞説明は最小限に留め、各寫眞著作權等書誌データ詳細はコメント欄に記載。便宜的に畫面左上から右下へ1から順次、寫眞に番號を振った。←Yahoo! blog 投稿畫面文字數制限に據る。
蔆「滿洲國」の滿洲映畫協會(滿映)撮影所全景。蛩狃г協和會正裝姿の滿映第2代理事長(元:大日本帝國陸軍憲兵大尉)甘粕正彦。

  * 略年譜±狃П煤繕會:
   1923(大正12)南滿洲鐵道株式會社(滿鐵)が弘報係に映畫班(滿鐵映畫班)設置
   1931(昭和06)滿洲事變(←柳條湖事件)で大日本帝國陸軍關東軍が滿洲全土占領→日中15年戰爭
   1932(昭和07)僞「滿洲國」建國/滿洲國協和會設立
            日帝本國に株式會社寫眞化学研究所(P.C.L.=後の東宝)創設
   1933(昭和08)協和會が滿洲映畫國策研究會結成
   1936(昭和11)滿鐵映畫製作所が滿鐵映畫班を母體に設立
   1937(昭和12)盧溝橋事件(支那事變)→日中全面戰爭
            滿洲映畫協會法公布/滿洲映畫協會を國策會社(國務院總務廳情報處監督)として新京に設立
            (滿洲國と滿鐵が各50%出資)
   1939(昭和14)滿映第2代理事長に甘粕正彦就任
   1945(昭和20)大日本帝國敗戰/理事長甘粕正彦自殺/中國共産黨に據り東北電影公司に
   1946(昭和21)東北電影製片廠(東影)に改組→國共内戰で合江省興山市(現:黒龍江省鶴崗市)に避難
            中國國民黨直属撮影所中央電影攝影塲が長春電影制片廠として接收
   1949(昭和24)中華人民共和國建國宣言に先駆け東北電影製片廠が長春(旧:新京)復歸
   1955(昭和30)長春電影製片廠に改稱

  * 略年譜甘粕正彦:
   1891(明治24)舊米澤藩士家/元宇治山田警察署長長男に生→名古屋陸軍幼年學校/陸軍中央幼年學校
   1912(明治45)陸軍士官學校歩兵科卒(士候24期)
   1918(大正07)憲兵科に轉科し憲兵中尉として朝鮮楊洲憲兵分隊長→憲兵司令部副官/憲兵練習所学生
   1921(大正10)憲兵大尉として東京憲兵管區市川憲兵分隊長→澁谷同→兼麹町同
   1923(大正12)「甘粕事件」關東大震災後の混亂に乘じアナキスト大杉榮・伊藤野枝・野枝甥を聯行/虐殺
           (軍法會議は單獨犯認定、懲役10年判決。秩父宮雍仁麾下聯隊の犯行隠蔽説有)
   1926(大正15)千葉刑務所出獄し豫備役→陸軍豫算で佛留學
   1930(昭和05)歸國→渡滿→關東軍特務機關長大佐土肥原賢二麾下→大雄峯會入會→甘粕機關設立
   1931(昭和06)滿洲事變。天津幽閉の愛新覺羅溥儀を湯崗子に極秘聯行。謀略工作多數。
   1932(昭和07)僞「滿洲國」建國。民政部警務司長(警察廳長官)に。協和會中央本部總務部長就任
   1934(昭和09)帝政移行。國號「滿洲國」「滿洲帝國」併用
   1939(昭和14)滿映第2代理事長就任(國務院總務廳次長岸信介ら盡力)
   1945(昭和20)大日本帝國敗戰。青酸加里自殺 
  _______________________
  建國の春 1932(大同01=昭和07) 滿 撮影満鐵弘報係 完全Silent 2009-02-05[Rt]
※蔆「滿洲國」皇帝、愛新覺羅溥儀。翔鋭皇后、郭布羅婉容。蜉居時の溥儀廿歳誕辰日記念寫眞。
※僞「滿洲國」建國式典の執政就任式塲での溥儀=左端。前にした卓上には國爾と執政印の各緞子包み。

  * 《字幕》
   「満鐵弘報係撮影」

   「昭和7年3月」
   「大同元年三月八日」
   「早春の湯崗子」
   「建國成った滿洲國三千萬民衆總意に迎へられ
   /この日執政溥儀氏は/ここから特別列車で新國都長春へ出發した」
   「停車塲へ出發する扈從の人々」「旅舎對翠閣から湯崗驛へ/さらば湯崗子…」「奉天驛にて」「一路新京へ」
   「春光普遍」「その日の長春驛前」「執政到着/刻々迫る」「清朝の遺臣/吉林八旗」「長春到着」
   「新國都へ第一歩」「市政公所の假泊所へ」「新粧成れる市政廳舎」
   「王者のおもかげ」「旧臣よ光る歓びの涙…」

   「大同元年三月九日」
   「この日執政就任式/この歴史的大典は市政公所の一室で擧行された」
   「式典參列者/行政委員會委員/各省區文武官/各省區民衆代表/外賓」「賛禮官に導かれ執政入塲」
   「國爾捧呈/張景惠氏/臧式毅氏」「行政委員會頌詞/臧式毅氏」「執政答詞宣誓」
   「接見外賓」「外賓祝詞/内田滿鐵総裁」「執政答詞」「禮成執政退塲」
   「式場後庭に於ける/新國旗掲揚式」「大典終了」
   「世界歴史地図/北緯39°→53°/東経116°→135°に」「この日確然――巨大な線が劃された」
   「歓びは地に溢れこゝに東亞の和平は約束されて…」「春宵一刻千金」「街には慶祝の灯び色づく」

   「大同元年三月十日」
   「東北旧軍閥の暴政から離脱し/獨立滿蒙新國家を建國した滿洲國土から
   /意氣と歓喜とこれら人々の面上に踊る」
莠暗義案、長春驛に降り立った溥儀/婉容夫妻。胥稙で溥儀を俟つ後の"東洋のナポレオン"馬占山。藜暗宜気國旗掲揚の市民。
●【2008W06】20-01/02-07(JST)■鑑賞映画リスト△悗搬魁 ←Yahoo! blog 投稿畫面文字數制限に據る!


■『自分の體を張つて鬪へる奴。本氣で孤立出來る奴。個的な鬪ひを個的に鬪へる奴ら』
■『孤立した精鋭こそが世界を變へる。世界を創る』
■『亦、何處かの戰塲で會ひませふ』
(孰れも若松孝二監督作品『天使の恍惚』から)

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○002)実録 沖縄やくざ戦争 いくさ世(ゆ)30年 〜抗争勃発編〜
  2002 日 OZAWA(+暴行指導/監修山本集/脚本市川徹・岬英昭) 2009-01-30/31[Rt]
  * 参考01:山本集
   画家。(『赤富士』毎日新聞毎日ホール常設展示。代表作『雄渾』関西国際空港正面玄関常設展示)
   浪華商業高等学校(浪商。現:大阪体育大学浪商高等学校)出身。智辯学園高等学校野球部初代監督
   元武闘派暴力団諏訪組系山本組組長
  * 参考02:当該blog「沖縄エロス外伝・モトシンカカランヌー」←「69-70沖縄ドキュメント モトシンカカランヌー」

※添付画像に就いて。孰れも「実録 沖縄やくざ戦争 いくさ世30年」に関連。
紊蓮帝国主義間WW恐縄戦(Battle of Okinawa=Operation Iceberg.1945-03-26/06/23)記録写真の一つ。渡嘉敷島住民の集団死、乃至、米帝陸軍第32連隊の布陣/策源地から逃れようとして射殺/殺害された非戦闘員たちの写真とされる(沖縄県平和記念資料館:沖縄戦米軍記録写真140)。撮影年月日:推定1945-06-21。撮影場所:琉球弧渡嘉敷島。撮影者:米国国防総省報道写真班。引用元:Web Site「鳥飼行博研究室 TORIKAI Lab Network」アジア太平洋地域の歴史資料写真館所収「沖縄戦での住民集団死(集団自決)・捕虜処刑◇渡嘉敷島・座間味島・石垣島」。第1次著作権:消滅。編集著作権者:東海大学教養学部/人間環境学科社会環境課程/鳥飼行博。[註]本編映画は冒頭、沖縄戦での沖縄本島及び其の周辺島嶼域への米帝軍の空爆→地上侵攻→焦土化の、米帝側記録映像から始まる。⇒全く正しい立場だ。
紊蓮日帝敗戦後の米帝侵略/被植民地下=琉球列島米国軍政府施政下、米帝陸軍第8軍駐琉球軍軍警察(MP)と沖縄民警察部(民警察。後、沖縄群島警察本部→琉球政府警察局琉球警察本部→沖縄県警察本部)の警察官の取締に抗い、身体捜索を受ける、ウチナーやくざのInitiatorと成った「戦果アギャー」。撮影時期:推定1945年。撮影場所:琉球孤沖縄本島。撮影/著作権者:不明。引用元:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』。

  * 本編冒頭Narration

   沖縄――。其処は嘗て日本であって日本でなかった。
   其の独特の風土と文化に生まれた沖縄やくざは、本土のやくざ達にない激しさを内に秘めていた。
   沖縄やくざ抗争の激しさは本土と比べ物にならない。相手を徹底的に叩き潰す迄決して終らない。
   其の抗争を沖縄の人々は「いくさ」と呼ぶ。
   惟は戦後30年間に亘って続いた「いくさ世」の物語である。

   其れが生まれたのは、敗戦と米軍の占領に因る極度の貧困の中からだった。
   人々は飢えを凌ぐ為、豊富に食糧を蓄えた米軍倉庫を襲い掠奪した。
   銃殺覚悟で倉庫を荒らし続ける者達は、戦果を挙げると謂う意味から沖縄言葉で「戦果アギャー」と呼ばれ、
   沖縄やくざの源流に成って行ったのだ――。

  * 沖縄やくざ戦争史
  ・第1次沖縄抗争(1961/1962)
   戦果アギャー出自「コザ派」×空手道場門下出自「那覇派」全面戦争。
   銃火器初使用。琉球警察(警本)100人以上検挙。
   「コザ派」→「泡瀬派」「山原[やんばる]派」に分裂。「那覇派」→「普天間派」が分裂。
  ・第2次沖縄抗争(1964/1966)
   「那覇派」「普天間派」「山原派」3派連合×「泡瀬派」⇒「泡瀬派」殲滅/解散。
   琉球警察482人検挙、凶器630点押収。
  ・第3次沖縄抗争(1967)
   「那覇派」「山原派」2派連合×「普天間派」⇒「普天間派」首領射殺/解散。
  ・第3次琉球処分"現実化"機運→日帝本国内広域組織暴力団侵攻機運(1969)
   「那覇派」+「山原派」大同団結⇒「沖縄連合旭琉会[ぎょくりゅうかい]」(後「琉球会」)結成。
※茲「抗争勃発編」DVD jacket。蕕「抗争激化編」DVD jacket。著作権者:孰れもプレイビル・ド−ダサ−ビス

○002)実録 沖縄やくざ戦争 いくさ世(ゆ)30年 抗争激化編
  2002 日 OZAWA(監修山本集/脚本・岬英昭) 2009-01-31/02-01[Rt]

  * 沖縄やくざ戦争史
  ・第4次沖縄抗争前史(1973/1974)
   「沖縄連合琉球会]内ゲバ。「沖縄連合旭琉会]800人×「上原一家」50人。
   1974-09-17:「沖縄連合旭琉会]理事会、「上原一家」を謹慎処分→内部抗争。
   1974-10-24:「沖縄連合旭琉会]理事長新城喜史、「上原一家」組員に拠り射殺。
   1974-12-09:「沖縄連合旭琉会]理事長又吉世喜、「上原一家」組員に拠り射殺。

  * 大阪戦争[参考]:1975-07-26/1978-11/01。3代目山口組11000人×2代目松田組300人。
  ・ジュティーム事件:1975-07-26(豊中市)
   2代目松田組系溝口組組員5人が3代目山口組佐々木組内徳元組傘下切原組組員を襲撃3人射殺→
   2代目松田組村田組大日本正義団組員が3代目山口組本部事務所に拳銃乱射(08-24/神戸市)→
   2代目松田組村田組大日本正義団組員2人が3代目山口組中西組事務所襲撃1人射殺(09-03/大阪市)→

  * 本編末尾Narration

   新城喜史と又吉世喜の死は、沖縄暗黒街の一つの時代の終りでもあった。
   其れ迄、利権争いで血を流し合って来た「山原派」と「那覇派」が一本に成ったのは将に画期的な出来事で、
   沖縄やくざのナショナリズムと謂われた。

   沖縄やくざの一本化を果たしたのは、
   新城喜史45歳/又吉世喜42歳、
   2人の功績であり、終戦時は14歳と16歳。
   2人の死は「戦果アギャー」世代の終焉でもあったが、
   其の後の沖縄のやくざ抗争は本土の大組織を巻き込んで、更なる混迷の様相を呈して行くのである。
  

(02週02本)←寛解の兆しか?
※註01:下線の引いてある文字列をClickすれば関連SiteにLink。
※註02:頁末欄外にYahoo Web「検索窓」添付。併せ有効利用を。
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■『自分の體を張つて鬪へる奴。本氣で孤立出來る奴。個的な鬪ひを個的に鬪へる奴ら』
■『孤立した精鋭こそが世界を變へる。世界を創る』
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당연히, 여기로부터 재개한다!! [当然、ここから再開する!!]
○001)CHE 1PAREIE 西題:El argentino/英題:Che The Argentine/邦題:チェ 28歳の革命       ‎ 132分‎ 
  2008 西/米/仏 STEVEN SODERBERGE(製作:BENICIO DEL TORO+) 2009-01-17[T]
  * 第61回カンヌ国際映画祭最優秀男優賞:BENICIO DEL TORO(Puerto Rico米合衆国自治連邦区[米帝領])
  * 原典:"Reminiscences of the Cuban Revolutionary"(邦訳:2008-02中央公論新社刊『革命戦争回顧録』)
  * Ernesto Rafael Guevara de la Serna:
   1928-06-14(UTC-03:00)Rep醇Clica Argentina/1967-10-09(UTC-04:00)Rep醇Clica de Bolivia
※添付画像に就いて。孰れも"CHE 1PAREIE"に関連。
茲蓮▲僖淵淪婀を吸うChe。撮影時期:キューバ革命政権樹立後。撮影場所/著作権者:不詳。引用元:余りにも採録古く失念。
蕕蓮「20世紀に最も多くの複製が行われた写真」と謂われ余りにも有名に成り過ぎて仕舞った肖像"Guerrillero Heroico"『英雄的ゲリラ』。撮影年月日:1960-03-05(EST)。撮影場所:キューバ共和国ハバナ市コロン墓地。原著作権者:キューバ『レボルシオン』紙写真記者(当時)Alberto Korda(Alberto D醇^az Guti醇Prrez)=本人は、著作権放棄。引用元:余りにも採録古く失念。

  * Ernesto Rafael "Che" Guevara de la Serna 極略年譜:
イメージ 71928-06-14:アルゼンチン共和国第2都市ロサリオ市生(没落中産階級。ラテンアメリカ解放軍敵対者ペルー副王末裔。建築業者長男)…2歳で重度喘息確定診断…'32:喘息悪化→'47-09:ブエノスアイレス大学医学部(ブエノスアイレス医科大学とも)入学→'50-01/50-03:原付自転車で国内北部300哩単独走破→'51-12-29('52-01とも)/'52-07:友人とオートバイ南米放浪旅行[ 同旅行に就いては当該blog"The Motorcycle Diaries"記事参照 ]→'53-06-12:医師資格取得し卒業→07-06:ペロン独裁下の軍医徴用忌避し再度友人と南米旅行出発→ボリビア革命に遭遇→ペルー共和国で逮捕/投獄→イメージ 912-00:グアテマラ着、医師に/グアテマラ革命遭遇→'54-06:革命政権崩壊でメキシコ亡命→'55-07:亡命キューバ人カストロと邂逅、「M-26-7」に参加→'56:メキシコ合衆国で逮捕/投獄→11-25:グランマ号でカストロらとキューバ共和国へ→[ キューバ革命に就いては当該blog"COMANDANTE"記事参照 ]→'59(解放の年)-01-01:第2軍(アントニオ・マセオ第2部隊)司令官として第2都市サンタ・クララ市占領/解放→01-02:首都ハバナ進軍→01-05革命勝利宣言→01-09:キューバ共和国市民権獲得→02-00:旧バチスタ派約600人処刑→05-13:親善使節団長としてAA諸国歴訪へ→イメージ 807-15/07-27:滞日(07-25:予定を総てキャンセルし広島平和記念公園内原爆死没者慰霊碑献花、広島平和記念資料館/日本赤十字社広島原爆病院[現:広島赤十字・原爆病院]訪問)→09-08:キューバ帰国→10-07:全国土地改革局工業部門長就任→11-26:国立銀行総裁就任→'60(土地改革の年)-10-21:経済使節団長として社会主義国歴訪へ→12-31:帰国報告→'61(教育の年)-02-23:工業相就任→04-14/04-20:ピッグス湾事件[ 同事件に就いては当該blog"THE GOOD SHEPHERD"記事参照 ]/革命軍務復帰→'62(計画の年)-10-22/10-28:キューバ危機(州司令官就任)→'63(組織の年)-12-00:南ベトナム解放革命戦争連帯演説→'64(経済の年)-12-09:第19回国連総会出席に訪米→12-11:国連総会演説「祖国か、死か」→12-27:アフリカ諸国3カ月間歴訪へ→'65(農業の年)-02-24:アルジェリア「AA経済セミナー」で対ソ「帝国主義的搾取の共犯者」演説⇒【"CHE 1PAREIE"は当該時期頃迄Docudrama化】(続)
   ___________
茘紊蓮Che22歳。医学生時代。撮影年:1951。引用元:Wikipedia,the free encyclopedia。
薛罎蓮⊆上に腰掛け革命日記を綴るChe。戦闘の記録はChe必須の習慣だった。撮影年月日/場所/著作権者:不詳。引用元:1968-08みずず書房刊『ゲバラ日記』。
茘腓蓮⇒萋した際のChe=左端(右隣は随行大尉オマール・フェルナンデス)。撮影年月:1959-07。撮影場所:東京都港区南麻布3、麻布プリンスホテル(跡地:フィンランド大使館)。引用元:1959-07-27朝日新聞(東京本社発行)夕刊03版05面=記事見出し「東京へ来たカストロ・ヒゲ」。著作権者:朝日新聞社。

★学習必読文献:←読め!!
1968-06-14レボルト社刊『国境を超える革命』エルネスト・チェ・ゲバラ著/世界革命運動情報編集部編訳
茲蓮Che肖像。撮影時期:推定キューバ革命政権樹立後。撮影場所:不詳。著作権者:キューバ人写真家父子Osvaldo Salas, Roberto Salas。引用元:Web Site"ARCHIVES-PARCO MUSEUM チェ・ゲバラ写真展"。
罎蓮▲ューバ第2都市で戦闘直後のChe=左。撮影年月日:1959-01-01。撮影場所:サンタ・クララ市。引用元:Wikipedia,the free encyclopedia
蕕蓮∧督觀概,傍鬚覯瀛船撃沈に抗議/犠牲者追悼デモをするChe=最前列右から2人目(左端はカストロ)。撮影時期:キューバ革命政府樹立後。撮影場所:ハバナ市。引用元:Wikipedia,La encyclopedia libre。


(03週01本)←寛解、未だし。
※註01:下線の引いてある文字列をClickすれば関連SiteにLink。
※註02:頁末欄外にYahoo Web「検索窓」添付。併せ有効利用を。
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■『自分の體を張つて鬪へる奴。本氣で孤立出來る奴。個的な鬪ひを個的に鬪へる奴ら』
■『孤立した精鋭こそが世界を變へる。世界を創る』
■『亦、何處かの戰塲で會ひませふ』
(孰れも若松孝二監督作品『天使の恍惚』から)

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■『孤立した精鋭こそが世界を變へる。世界を創る』
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●【중요】2008/12/31   Yahoo! JAPAN blog customerservice제군! / Yahoo! JAPAN blogs로, 다시 한글 표기를 할 수 있게 되었던 것이 매우 기쁘다. / 2008년 마지막 날, 제군에게 깊이 감사드린다.

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○060)მონანიება[Покаяние/懺悔] 153min 
  1984/12(現地公開1986/10。モスクワ一般公開1987/01)
  საქართველო[Грузия/グルジア(ソビエト社会主義共和国連邦グルジア共和国)]
  თენგიზ აბულაძე[Тенгиз Абуладзе/テンギズ・アブラゼ](+脚本) 2008/12/29[T]
  * 註:[ ]内は制作当時支配下にあったソビエト社会主義共和国連邦公用語ロシア語キリル文字表記
     映画画面ではグルジア現地公用語ქართული ანბანი [グルジア文字]使用
  * 1987年カンヌ国際映画祭審査員特別大賞/国際批評家連盟賞/キリスト教審査員賞、他
  * თენგიზ აბულაძე(1924/01/31-1994/03/06):
   ソビエト社会主義共和国連邦人民芸術家(1980)/レーニン賞(1988)
   同連邦人民代議員大会代議員(1990-1991)
  * 参考:YouTube予告編 02'21"
※添付画像に就いて。孰れも"მონანიება"及び其のテーマ、大粛清に関連。
1段目はヴィーンヌィツャ大虐殺(1937-1938、発掘遺体9,442柱=一般市民)で、共同墓地から掘り出された犠牲者遺体の中に肉親を探す人々。撮影年月:1943/06。撮影場所:ソビエト社会主義共和国連邦ウクライナ社会主義ソビエト共和国(現:ウクライナ)ヴィーンヌィツャ州ヴィーンヌィツャ。引用元:Матеріал з Вікіпедії — вільної енциклопедії (Українська)。著作権者:不詳。
2段目は、カティンの森大虐殺(1940、発掘遺体4,000超柱=軍・警・吏・地主等/最大2万2000人説)で、溝に遺棄された犠牲者遺体。撮影年:推定1943。撮影場所:同連邦ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(現:ロシア連邦)スモレンスク州グニェズドヴォ村近郊。引用元:フリー百科事典『ウィキペディア』(日語版)。著作権者:不詳。
3段目は、本編映画女主人公Kwtevan Barateliの少女時代を演じるNato Ochigava。引用元:Web Site"CINENA TODAY"所収「懺悔」。著作権者:Georgia-Film

  * 大粛清
   =大量抑圧(массовая репрессия)/エジョフシチナ(Ежовщина)/大テロル
  ・期間:
   1934/12/01(レニングラード・ソビエト議長セルゲイ・キーロフ暗殺)→
   1940/02/04(内務人民委員部NKVD委員ニコライ・エジョフ粛清)→1953/12/23(同ラヴレンチー・ベリヤ粛清)
  ・犠牲者数:出典=フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(日語版)←批判的解析を!
   「1937年〜1938年にかけて100万人が処刑され、数百万人が強制収容所における過酷な労働で死亡」
   「1997年の文書公開により、少なくとも約1260万人が殺されたことを現ロシア政府が公式に認めた」
   →「とされるが根拠は不明」
  ・強制労働収容所(УЛАГ=グラグ 乃至 ラーゲリ)移送者概数:不明。うち死亡者概数:不明。
  ・参考資料:出典=2001年恵雅堂出版刊ステファヌ・クルトワ/ニコラ・ヴェルト『共産主義黒書<ソ連編>』12頁
             ↑徹頭徹尾の批判的超克を!!
   共産主義犠牲者概数
   ソ連      2,000万
   中国      6,000万
   ベトナム    100万
   北朝鮮     200万
   カンボジア   200万
   東欧       100万
   ラテンアメリカ  15万
   アフリカ     170万
   アフガニスタン 150万
   コミンテルン 他  1万 
   ――――――――――
   総数       約1億
   
  * იოსებ ბესარიონის ძე[Иосиф Сталин/ヨシフ・スターリン] 1878/12/18-1953/03/05
  ・本名:იოსებ ბესარიონის ძე
      [Иосиф Виссарионович Джугашвили]
      [ヨシフ・ヴィサリオノヴィチ・ジュガシヴィリ]
      ※註:ジュガシヴィリ=「ユダヤ人の息子」
  ・出自:露西亞帝國საქართველო[グルジア]გორი[ゴリ]生。
      家庭内虐待児(家庭内暴力[DV]被害児童)/グルジア正教会神学校放校処分
      父=ბესარიონ ჯუღაშვილი[ヴィサリオン・ジュガシヴィリ]/靴職人/アルコール依存症
      ※註:グルジア被支配民族ოსები[オセット人]説有
      母=ეკატერინე გელაძე[エカテリーナ・ゲラーゼ]
  ・死亡:73歳
      毒殺説最有力(公式には「脳卒中」/昏倒時に長時間放置説も)
      直接的実行者=内務人民委員部NKVD委員ლავრენტი პავლეს ძე ბერია[ラヴレンチー・ベリヤ]
               (グルジア被支配民族ミングレル人)
      使用薬物種類=抗凝固剤(殺鼠剤)warfarin[ワルファリン]
      共謀共同正犯=粛清対象モロトフ、マレンコフ、フルシチョフら     
茲蓮▲愁咼┘伴匆饉腟繕ο孫駭∨共産党書記長იოსებ ბესარიონის ძე 。写真修正の甲斐無く天然痘の痘痕は消えていない。身長163cm、渾名「アジア人」。引用元:Wikipedia,the free encyclopedia(English)"Joseph Stalin"。撮影年月日/場所:不詳。著作権者:不詳。
蕕蓮∨槓埀撚茣篤თენგიზ აბულაძე 。引用元:岩波ホール刊「EQUIPE DE CINEMA」168。撮影年月日/場所:不詳。著作権者:螢競献侫ルムズ。


(05週超01本⇒1年間僅か60本)←愕然!! 寛解の兆し遥か。
※註01:下線の引いてある文字列をClickすれば関連SiteにLink。
※註02:頁末欄外にYahoo Web「検索窓」添付。併せ有効利用を。
http://www.clocklink.com/clocks/5005-black.swf?TimeZone=USZ7&TimeFormat=hhmmssTT&
■自分の體を張つて鬪へる奴。本氣で孤立出來る奴。個的な鬪ひを個的に鬪へる奴ら』
■『孤立した精鋭こそが世界を變へる。世界を創る』
■『亦、何處かの戰塲で會ひませふ』
(孰れも若松孝二監督作品『天使の恍惚』から)

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