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野嵜さんが、また Twitter で喧嘩をしてゐる。いつもは無理筋を通さうとするの
は野嵜さんの方なのだが、今回は、まあ八割方は野嵜さんの方に部が有りさうに
見える。比較的単純な論理とか、文章の「てにをは」については少し上達したや
うなのは御同慶の至り。
が、さっぱり進歩しない面もある。ひとつは英語。
> イディオムなんてものを下手に習ふと、例へばhave toなんてのを一
> 體のものと認識しようとしてしまふ。が、さう云ふ認識をしてしま
> つたら、英語の文章は讀めない。
> haveまでとto do以降とを切り離して認識しないと、文章の構成が
> 判らない。文章の構成を把握できるやうに、先づ訓練されなければ
> 行けない。
まーだこんな事を言ってゐる。ほんとに進歩がないねえ。
> 英語の文章にも一種の「文節」がある、と習つて、それでやつと英
> 語と云ふものが理解できた。これ、高校三年生になるまで、英語教
> 師が誰一人教へて呉れなかつたんだぜ。
それはさぞかし生徒が迂闊だったんでせうね。まあ、入試の直前まで、勉強に
身が入らない子は少くないけど、それを教師の所為にしてどうする。それと、
その「文節」って、「句」の事ぢゃないの?
> 英語の文章を讀む時、toとかinとかの前置詞が出てきたら、直前で
> 切つて、そこまでで理解する。そこまでを理解したら續きを讀む。
> have to doが出てきたら、haveまでで「持つてゐるんだな」と理解
> する、で、次にto doと出てくるから、ああhave toか、と判斷を修
> 正する
がははは、やっぱりねぇ。そもそも "have to" が一塊なんだと知らなかったら、
「判断」のしやうが無いでせうに。(ここまで書いたら、自分がとっても変な事
言ってると解りさうなもんだがねぇ。)
> 單純な文章なら、イディオム單位で認識して、適當に組合はせれば
> 何となく日本語らしい譯文が出來るから、それで何とかなると言へ
> ば何とかなる。が、動詞が2つあるとか、補語が竝列で出てくるとか、
> 複雜になつてくると、構文そのものを把握しなければわけがわから
> なくなる。
> 英語の文章でも日本語の文章でも同じ。文章を讀む時、人間は單語
> を拾ひ讀みして理解してゐるのではなく、單語と單語の關係を把握
> して、全體の概念を構築して、理解してゐる。だから、個別の語や
> イディオムを説明しても、文章の説明にはならないわけだ。
> 文章の「全體の構成」を把握する技術こそが教へられるべきなのだ
> が、日本の英語教育ではそれが屡々忘れられる。たいていの日本人
> 教師は、英文解釋をする際、ここの語はこういう意味で、ここはこ
> ういうイディオムで、と、非道く雜な説明をして、濟ませてしまふ。
いやあ、だから、それくらゐの事は、中学校でやりますって。(野嵜さんは、相
当ボンクラな中学生だったに違ひない。)
> 最初の頃の英語の授業で肯定文・否定文・疑問文の書換操作をやら
> された事も、mustとかmayとかの意味の違ひを教へ込まれた事も、
> allとかsomeとかについて習つた事も、後で論理學を理解するのに役
> に立つた。英語の讀解には役に立つたと思はないけれども、全部意
> 味はあつた。
んな訣ないでせう。まずは英語の読解に必須ですってば。
> 論理學の表現なんか、英語だと簡單で、
> All A are B. No A are B Some A are B. Some A are not B.
> みたいな事になる。
> 日本語だと。
> 全てのAはBである。
> とか
> 全てのAはBでない。
> とか
> あるAはBである。
> とか
> あるAはBでない。
> とか、或は
> 全てのAがBであるわけではない。
> とか、
> えらくややこしくなる。
はあ、このあたりは、何が言ひたいのやら。この文は、それぞれ先の英語の文と
きちんと対応してゐますが。「ややこしい」のは「あるわけではない」だけど、
そんな文なんぞ論理の教科書に出てこないでせう。(「ややこしい」と言ひたく
て、自分で付け加へた?ったくもう……)なんだか、もはや英語と論理につい
ては「絶望的」といふ感じがしてきましたよ。
それでも、全く進歩が無い訣ではなくて、
> 山武正弘(同人誌あじーる!主催 H‐07@yama0117
> ファシズムは資本主義とグローバリズムという資本の暴力に対し、
> 国家権力を使い調整しようとした。当時は資本主義とグローバリズ
> ムが強すぎたため、それらを規制する方向に走っただけで、彼らが
> 弱くなってきたら、緩和の方向に走っていたと思う。ファシズムに
> とって大事なのは、仲間意識の共有だからだ
を批判して、曰く
> 氣狂ひの氣狂ひ文章に贊同する人だから、やま。氏も氣狂ひ文章を
> 平氣で綴る。「ファシズムは暴力に対し調整した」つて、日本語ぢ
> やねえよ。「エンジンを調整した」と言ふが「エンジンに対し調整
> した」とは言はない。
> 「当時は資本主義とグローバリズムが強すぎたため、それらを規制
> する方向に走っただけで、彼らが弱くなってきたら、緩和の方向に
> 走っていたと思う。」も意味不明。「彼ら」は何を指すのだらうか。
> 主語が不分明。不用意に指示代名詞を使ふ。てにをはの使ひ方が無
> 神經。
確かに。(でもまあ、「気違ひ」はちょっと言ひ過ぎでは?何となく意味は解る
し、そもそも Twitter の文章だからねぇ。)
昔野嵜さんがやっちまった(奇しくも、丁度一年前だ)
野> 「全体主義は通常、権威主義の極端な形態で、通常の政治権力の集
野> 中にとどまらず、構成員の私生活を含めた全体への従属化を推進す
野> る。」なんて、これ、絶對に間違ひで、「主義は推進する」なんて
野> バカな話はない。絶對にない。
N爺> と来ますか。「絶対に間違ひ」なんて大見得を切る前によく考へ
N爺> ませう。「文」には目的語といふものが有って、それを無視した
N爺> のでは意味が通じなくなる事もある。「主義は推進する」は確か
N爺> にバカげているやうに見えますが、それは野嵜さんが迂闊に省略
N爺> しすぎたからで、「主義は従属化を推進する」なら、立派に筋の
N爺> 通った日本語の文になります。しかも、主語に「全体」をつける
N爺> と、ほとんどトートロジーと言って良いくらゐ正しい主張になり
N爺> ますね。
などのやうな遣り取りで見られた能天気と比べたら、かなりの進歩を遂げた、と
いふべきですな。
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やつぱりあなた、何も解つてゐないんですね。haveまでで切つて讀む、toが出てきた時點で「ああこれはhave toなんだな」と判斷を變へる。當り前の判斷ですね。toが出てくるまでhaveを讀まない、なんてへんな人はあなたくらゐですよ。
2013/5/4(土) 午後 3:03 [ nozakitakehide ]
あと、論理學の教科書、讀んだ事ないんですよね。また獨斷ですね。
2013/5/4(土) 午後 3:04 [ nozakitakehide ]
野嵜さん、コメントありがたうございます。
まあしかし、言ふに事欠いて…… 何もそんなに無理押しして取り繕はなくても、have to を一塊として捉える、で良いではないですか。誰も、野嵜さんの新理論を真面目に取ってないですよ、きっと。
2013/5/5(日) 午後 2:17 [ N爺 ]
論理の方ですが、三段論法の陳述の四形式の話をしてゐるのではないのですか?では、この五つ目は何?
2013/5/5(日) 午後 2:20 [ N爺 ]