土佐(ドサ)日記

理科系爺が何の因果か假名遣ひとか憲法とか……

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無知杉爺途方に暮れる

野嵜さん、トラックバックを付けていただき、ありがたうございます(でも、なんで素直にコメントにしないんですか?もっと言ふなら、トラックバックした先くらいコメント可にしても良ささうなものですが。)

成程、野嵜さんは「(ご自身が)議論に負けさうになつた」からではなく、「爺の態度が悪かつた」から、「爺が負けを認めなかつた」から以降のスレッドをコメント禁止にした、と。まあ、野嵜さんなら言ひさうなセリフですな。しかし、「お互いの言い分を消してしまつた後なら、何だつて言へるぜえ」てな批判は心配にならなかつたのでせうか。

「勝ち負けに拘る爺」ですか……。「つまり私の勝ちですね」等と言ひ出したのは、野嵜さんの方なので、爺はそう(「勝ち負けに拘る」と)言はれて少々驚いてゐます。何だか、もう野嵜さん、無理なレッテル貼りしか「打つ手」が無くなつたのか、と同情心が湧いたりして。

でも、同情心が湧いたにしても、さすがに「爺は論点をずらしてゐる」などと言はれるのは心外ですなあ。(野嵜さんのご高説のあちこちに「つっこみ」を入れたいのを我慢して)徹頭徹尾「歴史的假名遣ひは科学的か」に拘つてきたのですから。まあしかし


(私は言語學・國語學の專門家ではないから)G氏が要求したやうな「具體的な假説」の提示は出來ない、


と言って頂ければ、我慢の甲斐も有つたと言ふものです。それを言はなかつたばかつかりに(といふか「すぐには提示できない」「もう示した」等と遁辞を弄した所為で)、どれだけの時間が無駄にされた事か。なのでそう言つてくれた今は一安心、と言ひたいところですが、そうは問屋が卸さないのが野嵜さん。

だから野嵜が敗北したと言ひたければG氏やKirokuro氏は勝手に言へばいいが、個人攻撃をして勝利したところで、その人の言つてゐる事の正邪とは關係がない事實は知つておくべきだらう。


と来ますかあ(溜息)。客観的な議論を個人攻撃に摩り替えて、御自身が説明・証明に失敗したにもかかわらず「『正義』はあり、しかもそれは我方に有る」と。それって、言ふなれば「とんでも」と同義(話・議論にならない)ではないですか?何より、野嵜さん個人(の人格)に興味は有りませんて。

★或種の國語研究が科學的な研究である事實は認められてゐる。


って、「★」印をつけてもあまり説得力は有りません。また、仮令「或種の国語研究」が科学的である事を認めるにしても、それが直接「歴史的假名遣ひ」をサポートしてゐるか否か、が現下の論点なんですけどね。(しかしそれにしても、野嵜さんが具体的な例を挙げてくれる度に爺の方は心強くなる。ぜひこの手の議論を続けて欲しいものである。)

また、「現行憲法無効論を攻撃する爺氏の政治的意圖」ねえ……。そんなに厳かに推理・宣言して頂かなくても、現行憲法擁護の爺の立場(本心)は自明だと思ひますし、はっきり「政治的意圖をもって」野嵜さんの「無効論」を攻撃してゐるのですよ。そもそも、憲法を論うのに政治的意圖が無い、等と言ふ事があるでせうか。「感情的な動機をカムフラージュするための仮面」は言ひ得て妙ですが、むしろ「政治的動機とそれを正当化する論拠」と言ふべきでせう。ところで、野嵜さんの「現行憲法無効論」の動機(本心・意圖)は、「福田氏がさう言ってるから」もしくは「(野嵜さんご本人が)天皇主権(親政)万歳と思つてゐる」のどちらでせうか。

閉じる コメント(5)

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私が論證に失敗したところで、或種の國語學の研究が科學的である事實は搖らぎません。

それに、私が「失敗」したのはただ一つ、爺さん、あなたを「説得する」事だけでした。あなたが納得しないからと言つて、世の中の眞實が搖らぐ事はありません。

あなたは、「假説の形で示せれば良い」と言ひましたが、私が一つ假説の形で示したところ、「それだけでは足りない」と言つて納得しませんでした。私の態度が正しく、あなたの態度は間違つてゐます。

それで、あなたが歴史的假名遣を用ゐる理由は何ですか。穴だらけで非科學的な歴史的假名遣を、なぜあなたは支持するのですか。私は「がはは」を連發するあなたが美的センスを持つてゐると思ひません。

2009/9/21(月) 午後 11:56 [ nozakitakehide ]

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それに、何うも爺氏は、自分に都合の良いやうに、野嵜らに都合が惡くなるやうに、橋本博士の假説を歪曲してゐます。

2009/9/22(火) 午前 0:44 [ nozakitakehide ]

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爺氏が、「法學の目的は政治的なものである」と信じてゐるのは、法學を侮辱するものであると思ひます。

私の意圖が「政治的」であるにしても、「天皇主権(親政)万歳」であると見るべき必然性はなく、寧ろ、福田氏の文章を讀み、私の主張を讀んでゐれば、私が「法治主義萬歳」=「民主主義萬歳」である事は判ると思ひます。

何うも爺氏は、「人文學」の領域では、政治的意圖に基いた歪曲が當然のやうに認められるものと信じてゐるやうです。
成程、價値觀に基いた解釋の違ひはあり得ます。けれども、意圖的に價値觀に基いて事實を歪曲する事は許されません。意圖的な歪曲が認められれば、その解釋は信用を失ふだけです。

その點で、自然科學と同じく、人文科學も、「客觀性」を要求されます。

2009/9/22(火) 午前 0:55 [ nozakitakehide ]

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その「客感性」の爲に、人文科學も自然科學の方法を參考にするのであり、「反證可能性」も當然のやうに受容れざるを得ません。が、それは人文科學の方法に從つて必要な變更を受ける。それが自然科學の潔癖な人々には氣に入らないのでせうが、しかし人文科學の妥當な方法である限り、人文科學として認められる訣です。私の言つてゐる事は抽象論だから解らないでせうが、人文科學の領域で必要とされる技術について知りたければそれぞれの專門書に直接當つて下さいと私としては言はざるを得ない――それだけの事です。

2009/9/22(火) 午前 0:55 [ nozakitakehide ]

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なほ、規範が一切の批判を受附けないものであるならば=科學に基づかない「絶對的」なものであるならば、「疑問假名遣」の類もあり得ませんし、そもそも「整合性を持つ(無矛盾である)」「学び易い」「適応性が有る」等の觀點からも檢討出來ません。

そもそも、「絶對的に、爲政者が勝手な判斷で決定した、命令によつて定められたもの」としての「規範」なるものが、檢討される意味はありません。
政治的な意圖から行ふ非難=爲政者に反抗する立場の人間が行ふ<攻撃>として、「あり得る」、と云ふだけの事でせう。

2009/9/22(火) 午前 1:26 [ nozakitakehide ]

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