土佐(ドサ)日記

理科系爺が何の因果か假名遣ひとか憲法とか……

御冗談でせう佐藤さん

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もうそろそろこの「書庫」も店仕舞ひにしようかなと思ってゐたが、佐藤さんが、
相変はらず「鸚鵡返し」を囀ずるので……

> むしろ戰後、GHQの壓力により日本国憲法が成立してしまつたことで
> 戰前の“日本の民主化”が無かつたことにされてしまひ、日本国憲法
> の成立によつて日本は“一等の民主国”の仲間入りをしたのだ、と勘
> 違ひをしてしまつた。

さうかなあ、それを「勘違ひ」と思ふのは鸚鵡真理教の面々だけでは?

> 帝国憲法下での“民主政治”は今の日本から見れば不足と思はれる點
> は多い。だが當時の日本人は、日本人による日本の民主主義をうち
> 立てやうとしてゐたのだ。その努力を忘れてはならない。

ふんふん、努力は忘れないけど、不十分だったよね。あと、現今の基準から言っ
ても明治期の自由民権運動の目標・理想は、より「民主的」だったと思ふが、帝
國憲法はそれへのアンチテーゼだったやうです。つまり、戦前の民主化の努力を
忘れない、と「帝国憲法の改正を是とする」は両立する。

> @osucoshift7 帝国憲法が改正されなければ日本は非民主国のままだ
> つたのではないかと思はれるかもしれませんが、帝国憲法下でも普
> 通選擧、議會政治が行はれてゐました。帝国憲法でも民主的政治を
> 行ふことは十分にできます。

ええ、可能だと思ひますよ。でも、現実の歴史では、軍国主義の台頭や「大東亜
戦争」での敗戦を避ける事ができなかった。

> @osucoshift7 帝國憲法の制定に“外国の介入”はありません。日本人
> 自らが發議したのであり、外国の憲法を參考にしてはゐても“外壓”
> は無かつた。日本国憲法の發議はGHQが行つたものです。帝国憲法を
> そのまま使用してゐても何の“問題”も無かつたのです。

いやいや、「発議」は昭和天皇がなさったのですよ、佐藤さん(もうちょっ
と……)。また、「帝國憲法をそのまま使用してゐても何の問題も無かった」とい
ふのは、時の権力者達を除けば、とても同意できない能天気な認識でせうな。

@osucoshift7
> @SatoSuguru 介入の程度が異なるだけです。60年前の強制力を含ん
> だ成立があったにせよ、現行が日本を明らかに苦しめた点がない以
> 上、介入がなされたこと自体は問題にならないと言いたいのです。

でよすねぇ。しかも、「いや問題になる、だから帝国憲法に戻れ」って言ふばか
りで、「どうやるか」についてはノーコメント、なんだから。

さて、やはり次は御常連、だが、あまり進展は無い。何でも一応言葉を書いてお
けば、「反論の形になってゐる」と思ってゐる節があって、とても話にならない。
なので、「これはあんまりだ」と思ふのだけをピックアップしておく。

まず塗炭さん、

そこでの塗炭さんとのやりとりは、すでに
<http://blogs.yahoo.co.jp/gahahayoumustbekidding/20205491.html>に纏めてあ
るが、それが「ばーか」で終ったてゐたので、よもや参入はして来まいと思って
ゐた。が、さにあらず。塗炭さんは「恥づかしい」なんて感情とは無縁なのか、
はたまた、野嵜兄いの参入に元気づけられたのか、さらパワーアップ(悪口雑言
が)して出てきた。しかし、相変わらず仰る事は箸にも棒にもかからん……

------ 全文引用 -----

塗炭さん、

> 最う直近のN爺様のコメントは拝読してをりません。N爺様におかれましては次の
> 指摘に就いて有効な反論をして下さいますやうお願ひ申し上げます。

えーっ、まだやるんですかぁ、塗炭さん。といふか、読んでくれない人に返事を
書くのも虚しい気がする。あ、いや、「読んでない」は実は爺の質問に答へない
ための逃げ口上、といふ事ですかね。(怒ってなくても支離滅裂な塗炭さん。)

> そもそも人間の本質に関はる問題を科学的合理的に割り切れる筈がありません。
> これを無神論はやらうとした――科学の優越を示そうとしたから破綻したのです。

これに反論を、との事ですが、爺には塗炭さんがそもそも何を仰りたいのかよく
解らないのですが……

1) 「人間の本質」って何ですか。騎士道精神を発揮するなら、「それが無かっ
たら人間でなくなるもの」でせうか。認知能力、言語能力、隣人愛、道徳?
で、それに関はる問題とは、「私はなぜいまここに居るのか」「いかに生くべ
きか」「善とは何か」等々でせうか。
2) (たとへ何であるにせよ)「それに関はる問題を科学的合理的に割り切れる
筈がない」等といふのは、また極端な割り切りですな。少くとも、聖書に書い
てある事、経典に書いてる事よりは、科学的世界観の方が問題解決能力に於い
て優れてゐる問題・分野が数多くある。
3) で、それをやった、もしくはやらうとしてゐる、のは科学者、合理主義者で
あって、残念ながら、必ずしも無神論者ではありません。
4) 何に対して科学の優越を示そうとしたと仰ってゐるのか解りませんが(「宗
教的世界観」?)科学の相対的・総体的な優越は明白で、なので、まだその試
み(人間の本質にかかはる問題を科学的合理的に解かうとする)は「破綻」す
るどころか、ますますその守備範囲を広げ、宗教的世界観を追い込んでゐる。

で、「有効な反論」になってゐるでせうか。

ちなみに「反証」なら「科学は破綻してゐません」で済むかと思ひます。

爺> ちなみに、塗炭さんが認める「真当な左翼」って例へばどのようなお方なの
爺> でせうか。

> 私は右翼である。しかし佛教が教へる「全ての人間は不完全である」を正しいと
> 信じてゐる(信仰といふ意味では絶対であると信じてゐる)ので、私がする右翼
> の主張の脆弱さも認めてゐる。それを矯正して呉れるのは現世では――といふか
> 直接には左翼の人だ。

成程、塗炭さんは左翼の人に主張を矯正してもらってゐるんですか。で、それを
有り難いと思ってゐる。何とも公平無私な態度で、いや、全く恐れ入ります。実
際、世の右翼の方々が皆塗炭さんみたいだったら、世の中どんなに平和な事でせう。

> しかしN爺のやうな自称無神論者は、お前の主張の「論理」はをかしい、と言ひ続
> けるだけで自分では何ら有効な主張をしない。だから腐つた左翼と言つてゐる。

何言ってるんですか、塗炭さん。「論理がをかしい」は一番手近で有効な「矯正」
でせうに。普通の理解力を持つ人なら誰にでも納得できる筈の論拠ですよ。それ
を指摘しつづける爺は、従って、塗炭さんの「矯正」に最も貢献している一番
「まっとうな」左翼だと思ひます。(爺は「左翼」と言はれても嬉しくないです
が。)

> 自称無神論者は70年代にもゐて(当時は通称ノンポリ)、私は学生時代に何回か
> 彼らと「議論」した。今N爺と「議論」するのはデジャブみたいな物だ。正直うん
> ざりしてゐる。うんざりしてゐるが、現代の日本に於いてかつては左翼と称され
> てゐた考へ方が「常識」とされてゐる事には我慢ならない。宗教者の端くれとし
> ては抵抗の姿勢を示して措く。

「無神論者」をノンポリと言ふからには、それを左翼学生と区別できてる筈……
しかし、左翼的思想が蔓延してゐる、と爺に文句を言ふのは、爺を左翼と見てゐ
る訣だ。しかしそれを(右翼としてではなく)「宗教者」の端くれとして言
ふ……さっぱりワケワカですが。敢へて辻褄を合はせようとするなら、昔はとも
かく今は「無神論者 = 左翼」と思ってゐる、といふ事になりますかね。

でも、同じ無神論者でも、野嵜さんは右翼的、爺は(ちょっとですが)左翼的で
すよ。

うーむ、やっぱり爺ごときには、塗炭さんの「矯正」は無理、といふ事のやうで
す。
---------- 引用終り -----

もはや何を言っても聞く耳持たん、何を聞かれてもやう答へん、の感じですが、
でも「左翼の方に矯正して頂いた」といふのは大いに受けました。ちなみに、
「人間の本質」とは例へば「性善説」なんだとか。「来生を信じる方が人間の本
質をよりうまく説明できる」さうですが、これに「性善説」を代入したら、意味
がもっと通り難くなるやうな気がします。いやはや、かういふ方と無神論有神論
を闘はせようといふのが所詮無茶な試みでしたか。

本人不在の宗教談義

また、佐藤さんのところ
<http://pu-lab.sakura.ne.jp/blog_dive/2010/10/mistake.html#comment-444>
から締め出しを食ってしまった。その理由が

佐> やつぱり爺氏は“話”にならない。

佐> ぼくが野嵜さんや塗炭さんのコメントについて何もいはないのは「全
佐> くそのとほり」と思ふからです。爺氏に對して何もいはないのは讀ん
佐> でないからです。

なんださうな。しかし、爺のコメントを全く読まないで、野嵜さんや塗炭さんの
コメントに「全くそのとほり」と思ふってのも何とも不思議な理屈ではある。要
は自分では判断できない、といふ事か。「みそっかすを返上しましょう」との爺
の働き掛けは所詮無理な要求だったのかも知れない。残念。

しかし、いつものやうに最初は(記事は)格好良かったんだけどなぁ。曰く

佐> ぼくがwebで發言するとき、自分の意見が100%正しい、と思つて發言してゐるわけ
佐> ではない。逆に、間違つてるかもしれないけど、間違つてゐるかもしれないから
佐> こそ、世に“問ふて”みよう、と考へて發言する。もし間違ひであればその間違
佐> ひを指摘してもらひ、意見を修正する。指摘が納得いかないものであれば意見を
佐> 變へる必要はない。

さすが、その言やよし。でも、

佐> 「反證主義」といふ言葉を最近知つたのだが、ぼくの考へがこの主義の理念に近
佐> いものであり、“間違ひ”ではないことを知つて非情に心強かつた。

と続いたので、ちょっとなあ、となった。有り体に言へば、「世に問はう」とす
るだけでは、また批判を受け容れる用意が有るといふだけでは、反証主義とは言
へない。その世に問はんとする命題や仮説が、反証可能な形になってゐなければ
ならない、といふ事なんですが。

--------------------------------------
とりあへず訂正。
爺> (*1)A->B の対偶を取って B*->A* とするのは良いとしても、B* が偽であるか
爺> ら命題全体が偽であるとは言へない。全体が偽であるとするには、B と A* が偽
爺> であると言ふ必要がある。(高校数学の教科書に書いてあると思ひますが。)

は間違ってはないだらうが、佐藤さんの言ひ分への批判としては的外れ。

> (*1)A->B の対偶を取って B*->A* とするのは良いとしても、A* が偽であるか
> ら命題全体が偽であるとは言へない。全体が偽であるとするには、B と A* が偽
> であると言ふ必要がある。

「論理学徒」といふ方の参加があって、上のあたりでスネに傷のある爺は、少々
身構えたが、何の事はない、あちらの方が一枚上手の「発展途上」の方だったよ
うで、

論> N爺さんは「この「命題」を偽である、と証明するには、間違ったことをいふ人間
論> の中には、発言する資格が有る人もゐる、と言はねばなりません。佐藤さんはそ
論> れを証明できてゐない。」とご指摘になりました。これはちょっとおかしいです
論> ね。これは証明する必要がありますか。「間違ったことを言う人間の中には、発
論> 言する資格がある人もいれば、ない人もいる、このことを証明しなさい」とN爺さ
論> んは言っていますが、何をどう証明すればよいのでしょうか。「人の中には、女
論> もいれば、女でない人間もいる、この論理を証明してみましょう」と言っている
論> ようなものです。N爺さんは論理学がよく分かっていらっしゃらないのではないで
論> しょうか。

などと仰る。言ふまでもなく論理学徒さんの言ひ分がおかしいのであって、「す
べての人は女である」の否定は「人の中には女でないものがゐる」となる。これ
が自明だといふ事は、もとの「すべての人は女である」はあきらかに間違ってい
るといふだけの事。しかし、それに納得しなかった論理学徒さんは、

論> うーん、困りましたね。
論> それじゃあ、AはBであるかBでないかである、を証明してください

ときた。それは常に真であるから証明は要らないと答えたが、明かに論理学徒さ
んは、命題の意味をとりちがへている。「すべての A は B である」が今の話題
で、A の集合のどの要素も B である、と言ってゐる。当然その否定は、A の要素
の中には、B でないものもある、となる。同値でもっと自然な命題は、「A の要
素の中には、B でないものもあり、また(別に)B であるものもある。」論理学
徒さんが持ちだした命題は、「A の各要素は同時に B であるか B でないかであ
る」であり、これは常に真。ちなみにこの否定は、「A の各要素は B であり、か
つ B でない」となり、これは常に偽。

論理学徒といふよりは論理学童といふべきか。なんだか微妙なところがあやふや
な感じが野嵜さんによく似ているので、これはきっと野嵜さんだったのだらうと
今でも疑ってゐる。でも、こんな事してゐたのでは、進歩は無いと思ふのだが。

-----------------------------------------
もう一人新しい人の参入が有った。(ダブハン野郎共が本当に個別の投稿者なら、
今回は大賑わいである。)例の三法則の 330 (耳夫)さんで、相変らず鋭い事
を仰る。

耳> 雑誌のパズルコラムで読んだことがあるのですが
耳> 「『怒らないと勉強しない』の対偶は『勉強すると怒る』である。
耳> 母『勉強しなさい!怒らないと勉強しないんだから』
耳> 子供『その対偶は『勉強すると怒る』だよね?じゃ、いつでも怒られっぱなしじゃん?』
耳> 母『え?…あら、変ね?』」
耳> このパズルの解釈はともかく、そういうこともあると考えて「出てきた答え
耳> が常識と一致するかどうか」を一度問うてみるのが良いかと思います。

これに、論理学徒さんや佐藤さんが挑戦するが、ちょっとおぼつかない答だった。
さういふ爺も実はすぐには解らなかったが。でも、耳夫さんは、

耳> いや、「ほぼあっている」ではなくて
耳> 「同じことを言葉を違えて言っている」ですね。
耳> つまり「正解」と言うことだと思います。。

ととても優しい。しかし、野嵜さんの妙ちきりんな理屈には鋭く対応
野> キリスト教の神樣は「存在が證明出來ない」と定義されてをりまして
耳> 本当ですか?たくさんの哲学者や神学者が「神の存在証明」をしようとがん
ばったのは、どうなるんでしょう?

野> 現代のカトリシズムは「神は巧みに隱れ給ふもの」と説明してゐます。
耳> 現代ならそうなのかも知れませんが。

また、

野> 330さんは性急に過ぎますよ。今度キリスト教關係(或は無関係)の本を讀む
野> 時、私の示唆を頭の隅にでも置いて、それで本の内容と突合はせつゝ、考へなが
野> ら讀むやうにして貰へれば良いと思ひます。

などといふ、上から目線を装った必死の逃げ口上にも騙されず、

耳> はい、わかりました。
耳> で、「存在が證明出來ないのは神の定義だ」というのは野嵜さんのお考えな
耳> んでしょうか?(野嵜さんが定義したこと何でしょうか?)それとも、広く知ら
耳> れていて(認められていて)私だけが知らなかったことなんでしょうか?

耳> 教えいて頂いたURLは「神の存在を証明することは無意味だ」みたいなことが書いて
耳> あって定義では無いように思いますが。

と追及を緩めない……。

以降も追及を続けるが、野嵜さんや塗炭さんの「とんでも粘着論理」や「あいまい
言語学」に嫌になってしまったのか、

耳>>N爺さん
耳> 呆れるとともに、諦めました(いろんな意味で)。
耳>>佐藤さん
耳> この場所をお借りできたことに感謝をするとともに、うまく話を進められな
耳> くてすみませんでした。

と、ついに諦められてしまった。確かに、野嵜さんの

野> キリスト教の神樣は「存在が證明出來ない」と定義されてをりまして、となると
野> 「存在しない事が證明出來る」事は神を否定する事ではなく、逆に神を肯定する
野> 事になるのであります。

は「なんぼなんでも」だったし、それもさる事ながら、その後の弁解があまりに
も酷かったので(「急ぐな」とか「本を読め」とか……)無理もないと思ふ。で、
未だに野嵜さんはこれを説明してくれない。(今は御自分でも馬鹿な事を言って
しまった、と後悔してるに違ひない。)

某所で、また塗炭さんとやり合った。以下はその魚拓。
<http://pu-lab.sakura.ne.jp/blog_dive/2010/10/mistake.html#comments>


--------
2010-11-12

塗炭さん、

五月蝿い奴にコメント頂きありがたうございます。

爺> 仏教でも、お釈迦様御自身は「神は居ない(し、死後の世界も、当然輪廻も
爺> 無い)」と仰ったやうな気がします。

> 「やうな気がします」。阿呆か、お前は。こんな物を根拠に他人の主張にけちを
> 附けるな。左翼なら左翼らしく、釈迦が述べたとされる○○の佛典には ××と書
> かれてゐる。拠つて論理的に死後の世界も、当然輪廻も無い、ぐらいの主張をし
> たらどうだ。あんたは自分の主張は好い加減にして措きながら、他人の主張の粗
> 探しに異常に熱心だから嫌はれるんだよ。

確かに典拠が曖昧ですね。すみません。「上座仏教」ではそう教へてゐると記憶
してゐますが、今典拠を挙げる事ができません。だから「気がします」と書いた
のでした。しかし、そんなに「一つ前」の「口振り」に切れるところをみると、
塗炭さんも、「人は神にはなれない」と書いてある経典が見付からなかったと見
えますね。「私は真理を述べている」はちょっと言ひ過ぎでしたか?

> 死んだら終りと考へるよりも、死んでも來世があると考へる方が人間の本質を上
> 手く説明出来る。人間は自分の命を擲つても何かの為に行動する事があるからだ。
> 腐つた左翼には解らんだらうがね。

さうですねぇ、爺のやうに「腐った左翼」には、「来世が有る」は「人間の本質
を上手く説明」できてはゐないが、「人を自殺的行為に駆り立てるには都合が良
いだらう」と思へます。

> 現世に於いて全ての人間は不完全である事を免れない。したがつて自身の理性と
> 神佛の命令との挟間で死ぬまで葛藤が止む事は無い。現世では精神の安寧は得ら
> れないゆゑに伝統宗教では來世での救済を説いてゐる。ただし來世で救済される
> 為には現世をより良く生きよとしてゐる。

来世の御利益については上記参照。しかし、そんなに葛藤を感じるのは、やっぱ
り前提条件に無理が有るのではないですか?神仏は居ない、とした方が、ずっと
楽かも知れませんよ。C. Dennette さんは、神を信じられない神父さんが増えて
いる、と書いてます。
<http://www.epjournal.net/filestore/EP08122150.pdf>

でも、そんなに悩む人が居るところを見ると、キリスト教はまだ見込みが有るの
かも。我が「葬式仏教」に至っては、妻帯、飲酒はあたり前、それに怒り悩む人
は少数派、ですもんね。

> どちらにしても來世を否定する伝統宗教は無い。あるとしたら現世利益を説く怪
> しい新興宗教だ。

いえ、「エホバの証人」は、はっきり「死後の世界等といふものは無い」と言っ
てます。

> 私は一介の在家である。宗派などに拘らず伝統宗教に共通する考へ方を述べてゐ
> る。伝統宗教に共通する部分は真理と言つて良い。なあ、爺さんよ、あんた伝統
> 宗教を批判してゐるのか、さうではなく私(塗炭)と云ふ人格を批判してゐるの
> かどちらだ。私個人を叩いたところで伝統宗教を批判した事にはならない。兎も
> 角、経典でも宗教書、哲学書でも良いから名著と言はれる物を数冊読んで出直し
> て来い。ばかたれ。

さうですか、塗炭さんは「伝統宗教に共通する部分」つまり真理を述べてゐる、
と。でも、その割には、典拠が曖昧なのは何故?共通する部分ならば山程出典が
見付かるでせうに。また、原始仏教や上座仏教に疎いのは「葬式仏教で良い」と
思ってゐるからでせうか?でも、いつか「原典にあたれ」とか仰ってましたよね。

言ふまでもなく、塗炭さんの人格を批判してゐるのではなく、その論じるところ
を批判してゐます。浅学非才の爺は、ついつい塗炭さんの論じるところから、仏
教全般、伝統宗教全般を判断してしまふ。しかし、さすがに「ばかたれ」から、
僧侶全般を断じたりはしませんので、ご安心を。

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2010-11-12

塗炭さん、

> あんた、都合が悪くなると細かい点を挙げて相手の揚げ足を取る。俺様はお前の
> やうな素人には絶対に負けないとでも思つてゐるんぢやねえの?

いや、そんな風には思ってゐません。弄けず、勝ち負けにはこだはらず、より真
当な結論に近付くやうに努力しませう。

> 「人間は神にはなれない」は「全ての人間は不完全である」から容易に導き出せ
> る。「全ての人間は不完全である」は何処かで書いたやうに佛教でさう教へてゐ
> る。何度も繰り返すが、自称無神論者の爺さんに要求してゐるのは「神はゐる」
> を否定するか「全ての人間は不完全である」を否定するか、そのどちらか一方だ
> け。うじうじ言つてゐないでさつさとやれ、馬鹿。おまえのかあちやんでべそ。

いや、それはをかしい。「全ての人間は不完全である」は多分仏典に書いてある
だらうと爺も思ひますが、そこから「人間は神にはなれない」は言へないでせう。
あと、「神は居ない」を「証明」しても、「全ての人間は不完全である」といふ
命題の真偽とは何の関係もない。「全ての人間は……」が塗炭さんの仰りたい事
であれば、何だか無駄な努力をしてゐるみたいですね、我々。

ちなみに、塗炭さんの相手を長々とやってゐる爺は馬鹿でせうが、その母親はで
べそでありませんでした。

> 助け船を出しておく。ニーチェ辺りの思想書に基づいて「神は死んだ」と主張す
> れば一応「神はゐる」を否定出来る。かつてかう主張する左翼が大勢ゐた。左翼
> なら左翼らしく、と書いただらう。伝統宗教を根幹から引つ繰り返さないまでも、
> それを揺るがすきちんとした主張をしろと言つてゐるだけだ。私は真当な左翼は
> 認めてゐる。

助け船ありがたうございます。でも、爺の感想は「もともと無いものが、死ぬ訣
ないぢゃないか」です。といふかニーチェさんの「神は死んだ」はレトリックだ
と思ひますけど。

「伝統宗教をひっくり返す」のが爺の趣旨ではありませんが、塗炭さんは、伝統
的な仏教を引っくり返してゐると思ひますよ。在家とは言へ仏教徒だのに、一神
教の神々はおろか八百万の神の存在を信じる、と言った時に。

ちなみに、塗炭さんが認める「真当な左翼」って例へばどのようなお方なのでせ
うか。

---------------------------------------------------
2010-11-13 (Sat)
>> 爺さんへ
> ばーか。

---------------------------------------------------

がははは。他愛もない。(ばーかと言ふ前に「さんづけ」するあたりが可愛い!
ほんとは塗炭さんは良い人なんだ、きっと。)でも、これで「在家」らしい。こ
の上実際に得度してるとしたら、日本の仏教はもうダメかも、といふ気がする。
勿論そんな事はないだらう、と期待してゐるが。

塗炭さんが、佐藤さんのブログ
<http://pu-lab.sakura.ne.jp/blog_dive/2010/07/faith.html>
で曰く

> 「自分は『何のために』ここにゐるのか」といふ問ひかけに對する答へなんて出
> ません。少なくとも伝統佛教では数千年もの間、出してゐない。出せないのです。
> 信仰は人間が不完全な存在である事に拠るので、人間つまり自己の存在理由を自
> 分では答へられない。もちろん僧とて人間ですから答へは出せません。それが可
> 能なのは自己を超越した絶対の存在(神佛)のみ、と考えられてゐます。この辺
> は多くの伝統宗教に共通する部分だと思ひます。

ほう、「答へなんて出ません、出してない」とは、また自信たっぷりですね、塗
炭さん。でも、キリスト教やイスラム教については、明かにそれは間違ってゐま
す。それぞれの「神」の存在を前提にして、「何のために」(=「神の御心に随
ふために」)を説くのが「伝統的一神教に共通する部分」だと思ひますが。それ
とも、仏教以外の伝統宗教は塗炭さんの定義によると宗教ではない、と仰りたい
のでせうか。

> 答へを出して見せる人が居ます。爺さんもさうなのでせう。各種セミナーの先生
> や新興宗教の教祖に多いのですが、それらの人は宗教的雰囲気で生徒や信者を騙
> してゐるのです。といふより自分を絶対の存在に見立ててゐる時点で、その人は
> 宗教家ではありません。

さうなんですか。爺はともかく(といふか、塗炭さんに「答へ」を言った事はな
いと思ふが)、仏陀やキリストやマホメット達も、自らを絶対的存在(少くとも
「自身が最初に悟りを開いた」、もしくは「預言者として最高の存在である」)
と見做してゐます。だとすれば、彼らと新興宗教の教祖達との違ひは端的に言っ
て何処にあるのでせうか。

> いづれにしても、答へが出るならそれは「知識」であり、
> 出ない答へを求め続けるのが「信仰」と言へます。若し人間の問題を割り切ろう
> としてゐるなら、その認識は間違ひです。

何だか御自身が新興宗教の教祖様みたいな物言ひですが、でも(いつもながら)
仰ってゐる事がよく分りません。「人は何のために存在するのか」といふ問ひに
答へようとするのが信仰で、しかし、もし答へられたら、その答は「知識」であっ
て、信仰(の対象)ではない、と?宗教(家)が何をどうしようとしてゐると言
ひたいのかさっぱり分りません。(当然ながら、伝統的世界宗教は、そんな「定
義」は採用してないやうですが。)

あと、「人間の問題を割り切らうとしてゐるならその認識は間違ひです」のあた
りは爺には理解も要約もできませんが、

・「割り切らう」としてゐるのは誰?

・「人間の問題」って何?それを割り切るってどうする事?

・「その認識」って、「人間の問題」を割り切れると思ふ事?ひょっとして、割
り切らうといふ「意図」を言ひ間違へた?

素朴な疑問ですが、塗炭さんはこのあたりが多少なりとも筋道立った言ひ分で
あるとお考へなのでせうか。それとも推敲不足、もしくは睡眠不足で、こんな風
になってしまふのでせうか。

> 日本人はキリスト教を知る為に聖書を読む事はあっても、何故か佛教を知る為に
> 御経(経典)を読もうとしません。後者は読めないと云ふ事だろうと思ひますが、
> 先づ原典にあたるのが正攻法であります。『般若心經』は短い御経ながら佛教
> (特に禅宗系)の核心部分を説いてゐるのでお奨めです。尚、宗教を否定出来な
> い根拠は人間が不完全な存在である事。人間が完全なる存在ならば宗教は不要で
> す。

「読もうとしない」「読めないから」「でも(読めない)原典にあたれ」???、
どうすれば良いんですかね――ともあれ

さうですね、どうして佛教の経典だけは漢訳「だけ」でよしとするのか、また、
なぜ日本語訳をしないのか。日本の仏教者(僧侶)の大方は、原典に当ってより
確かな解釈を探る事も、それを平易な現代語に訳して広める事もしない。イスラ
ム教やキリスト教と比較して、どこか怠慢といふか、堕落してゐるやうに思ふ。

で、般若心経を勧めるならば、どの解釈、と言はなければ意味が無いでせう。

「人間は不完全であるから宗教を否定できない。」塗炭さんのお好きな(スロー
ガン風)信条のやうですが、もうちょっと噛み砕いて頂ければ嬉しい。人間が不
完全といふのは、何か「完全な存在」が有って、それと比較して何か欠けてゐる
部分が有る、といふ事でせうが、その完全な存在って何ですか?あと「宗教を否
定できない」とは、「必要とする」といふ事でせうか。で、その時の「宗教」は、
宗教全般、それとも特定の宗教?あと、具体的に言って法事やお葬式の時のみ仏
教を意識する佐藤さんのような人は、否定している事になるのか、否定できてな
い事になるのか。

いずれにしても、あまり感心するやうなお説ではないですね。例によって、何の
説明にもなってないやうな。

の | 2010年7月 8日 23:49 | 返信
「の」さん

> 爺さんは理系の人だから宗教を輕蔑してゐるんですよ。文系人間もまた。

それは違ひますね。爺の身内や友人には信仰を持つ者が何人か居て、その方たち
の無私で謙虚な姿勢・生き方を爺は尊敬してゐます。ましてや宗教一般を軽蔑な
どしてゐません。特に近代日本のキリスト教徒の著作には感銘を受ける事が多い。

爺が軽蔑するのは、信仰や宗教について良く知りもしないで、もしくは、よく考
へもしないで、したり顔で分ったやうな事(もしくは訣の分らない事)を言ふ人
達です。(もっと痛いのは、信仰を持つ人に対して自分がより深刻な侮辱を加へ
てゐるのさへ気がつかないやうに見える人。「化けて出るのも宗教」「御遺体を
生ゴミで出す事に違和感を感じるのが宗教」といふ人の事ですよ、馬鹿念です
が。)

しかし、何より、理系対文系等といふ有りもしない対立軸を拵へて、自身への批
判を矮小化しやうとする人の性根は「軽蔑にも値しない」と思ふ。

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