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薩摩切子
江戸末期から明治初期に薩摩藩で造られた切子ガラス。
鉛を約25%含むクリスタルガラスを使用し、無色のガラスの表面に
色ガラスを1〜2mm程度溶着させた色被せガラスにせカットを施し、
磨き上げた製品。
最大の特徴は、色被せガラスをカットすることにより無色のガラスから
色ガラスの間に出来るグラデーション”ぼかし”です。
薩摩切子の代表的な色
『紅』…薩摩の紅ガラスとして珍重
『藍』…薩摩切子を代表する伝統の色
『緑』…色鮮やかな色合い
『黄色』…すっきりと澄んだ鮮やかな色合いで、大変難しい色。
当時のものが発見されていないため、幻といわれる色。
『金赤』…資料に記述が残っているいるが、当時のものが発見さ
れていない、幻の色。
『島津紫』…薩摩切子の生みの親、島津斉彬は紫色に思いが強かった
とのこと。
カット文様も「薩摩縞」「輪結び文」「魚子文(ななこもん)」
「菊花文」「亀甲文」「八角籠目」…… と様々です。
様々な色合いやカット文様の工芸品を見ていると時間を忘れてしまいます。
薩摩切子の ”ぼかし” は照明の光をかざすと更に魅力にはまってしまいます。
いつかは手持ちにしたいものです。
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鹿児島
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詳細
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大隅半島の山陵にかかった雲越しから昇る朝陽。
ここは鹿児島県薩摩半島最南にある天然の良港「山川港」。
1549年8月 ザビエルがキリスト教伝来で上陸
1705年 さつまいもを伝来させた前田利右衛門(りえもん)帰郷
1837年 モリソン号事件の舞台
1858年 勝海舟を総督とする幕府の練習船「咸臨丸」寄港
1859,1862年 流罪となった西郷隆盛がここから奄美大島、徳之島へ。
と、歴史に名を留めた港です。
昭和の次代は「鰹節の本場」としてかなりの賑わいを醸し出していましたが
現在はすっかり鳴りを潜めてしまっていますが、それでも「本枯節」生産量
は日本一のようです。
指宿ならではのラーメンを作ろうと地元のかつお節業界とラーメン店が協力
して出来たご当地グルメ「勝武士ラーメン」。
山川産の本枯節を使用した特製ダレに、細切りのかつお節をふりかけたかつお
節の旨味が溶け込んだサッパリとした後味です。
私も帰省のたびに食しています。
『元祖 指宿らーめん 二代目』がお気に入りです。
この地にある「山川駅」はかつては「JR日本最南端の有人駅」として慕われて
きましたが、昨年3月26日に無人化となってしまいました。
ちょうど「なのはな号」が指宿駅へ向かって駆け抜けて行きます。
流し撮りに見事失敗(汗)
寂れゆく故郷をおもんばかりつつ、つかの間の帰省にふるさとの有り難味を
改めて実感させられました。
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4月初め、母の一周忌法要のために故郷・指宿へ帰省。
この地をいつも見守ってくれる開聞岳の雄姿に、帰省の実感が湧き上がってき
ます。
昔はこの一帯にはさつまいもや大根が植えられていましたが、少子高齢化で
現在はグリンピース・スナップエンドウ・ソラマメ・オクラ等が主流となって
います。
『フラワーパーク かごしま』園内から望む開聞岳。
ポピーやビオラ、クリスマスローズ・チューリップ等が咲いてはいましたが
旬を過ぎた感じでした。
ミツバツツジやシャクナゲが見頃を迎えつつあります。
園内の「展望回廊」から望む竹山(中央の山)
スヌーピーが寝そべった姿に見えることから「スヌーピー山」とも呼ばれて
います。小学校の頃は遠足でよく行ってた懐かしの山です。
この山のすぐ近くの海縁にヘルシーランドの露天風呂「たまて箱温泉」があり
ます。この温泉は口コミで選ぶ ”旅好きが選ぶ!日帰りスパ&温泉施設” で
2017 日帰り温泉&スパ部門で4年連続全国一位に選ばれています。
また、すぐそばには砂蒸し温泉「砂湯里(さゆり)」もあり、心地よい波の音
を聴きながら心身ともにリラックスできるところです。
私は帰省のたびに露天風呂に入りますが、ここ数年運よく雄大な開聞岳を眺め
ながらゆったりした時間を過ごせることが出来ています。
(偶数・奇数日によって男女の利用できる露天風呂が変わります)
両親が亡くなった今、この地に帰省する機会はどんどん減って行くでしょう。
でも、これらふるさとの山々は帰省のたびに変わらぬ姿を見せてくれること
でしょう。
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『白銀(しらかね)坂』 (国指定史跡)
姶良市脇元から鹿児島市牟礼ヶ岡までの石畳の坂道です。この坂のある山並は、
古代における薩摩国(旧吉田町側)と大隅国(旧姶良町側)の国境でした。
また戦国時代には島津貴久や義弘などの武将たちがこの坂に陣を構えたといわれ
ています。
現在約2.7kmの道のりが残っており、高低差300m以上もある難所です。
「龍門司坂」とは異なって、でこぼこの石畳です。
薩摩藩の主要街道として、鹿児島から熊本へ抜ける薩摩街道「大口筋」の一部
ですが、江戸時代の参勤交代もこの道を通ったことを考えると昔の人の強靭さに
は驚かされます。
気軽に登れると思って訪れましたが、何の何の……。
この坂の中腹には「七曲り」と呼ばれる急勾配の坂もあるようで…。
こんなのはまだまだ序の口……
でしょうが、この坂を登りきるにはそれなりの装備が必要。
普段着では無理!!
いやいや、根性足らずでここから引き返した次第です。
いつか、登り切ってみたいものですが……。
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