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日本三名橋のひとつ 五径間木造アーチ橋『錦帯橋』
橋長:約193m 幅:5m アーチ部分の最高点は川床から約13m
美しいアーチを描く姿は、見ごたえあります。 訪れた時はどんよりとした曇り空でしたが、2時間後にはこのように青空
が広がり見事なアーチ橋が浮かび上がってきました。
右山上に見えるのは「岩国城」、左上はロープウェイ乗り場です。
訪れた時の橋姿
出来ました。
この場所では、3ケ月もすれば桜に彩られた錦帯橋を見ることが出来る でしょうね。
春は桜、夏は花火、秋は紅葉、冬は雪景色。
どの時期も見てみたいものです。
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史跡・文化財
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詳細
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「肥前さが幕末維新博覧会」のメインパビリオン。
肥前さが幕末維新の「技」
−日本の産業革命は 佐賀から始まったー
4つのテーマに分かれたシアター感覚で、幕末維新期の佐賀の偉業や偉人の
活躍を紹介しています。
さすが、鋼鉄製大砲の製造技術の最先端を誇る藩です。
日本で初の実用蒸気船「凌風丸」の建造にも成功しています。
佐賀の7賢人
鍋島 直正 佐賀藩第十代藩主 近代化の先駆者
島津斉彬と従兄弟(母方)
佐野 常民 博愛社(のちの赤十字社)創設 大蔵卿
島 義勇 北海道開拓使主席判官 佐賀の乱にて刑死
副島 種臣 参議 外務卿 内務大臣卿
大木 喬任 初代文部卿 参議兼司法卿
江藤 新平 司法制度の整備 司法卿・参議 佐賀の乱にて刑死
大隈 重信 早稲田大学創設者 二度の内閣総理大臣
目指すところは、世界文化遺産『三重津海軍所跡』
国産初の実用蒸気船を建造した幕末佐賀藩洋式海軍の拠点です。
日本が西洋の船舶技術を導入し、自力で近代化を目指したことがわかる
貴重な遺跡です。
所々に説明版があるのみです。
ここは海軍術の訓練や様式軍艦の修理などが行われた施設で、調査により 発掘されたドライドッグは現存する中で日本最古のもので、2015年
「明治日本の産業革命遺産」として世界遺産に登録されています。
ドライドッグは木組であるため保存のために埋め戻されています。
発掘時の状態 ©佐賀市
隣接する佐野常民記念館で「みえつSCOPE」(VR機器)を借りて、
約160年前の三重津海軍所のイメージパノラマ画像を散策しながら
楽しめるのですが、時間がなく体験できなかったのは残念でした。
「西洋人も人なり、佐賀人も人なり、薩摩人も同じく人なり。退屈せず、
倍々(ますます)研究すべし」
幕末きっての開明派と謳われた薩摩藩主 島津斉彬は技術者を集めてそう激励
したそうです。 近代化を推し進めた藩と言えば、薩摩藩。そう思っていまし
たが、最初に反射炉を築き、鉄製大砲の鋳造に成功し、初の実用蒸気船を建造
をしたのは佐賀藩です。斉彬が言った言葉のとおり、近代化のトップランナー
は「肥前さが」だったのですね。
鍋島直正と斉彬は母方の従兄弟同士であったため、様々な交流があったと想像
されます。
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福沢諭吉旧居前の梅の木に飾られたお雛様(下げ雛)。
青空の下、心地よい雰囲気が漂ってきます。
背後にある土蔵で諭吉は勉学に励んだようです。
後ろの建物は福沢諭吉記念館。
「学問のすすめ」や書・手紙・写真のほか、一万円札の1号券などが
展示されています。
福沢諭吉のまたいとこに「増田宋太郎」がいますが、この人は西南戦争の時
中津隊を結成して西郷隆盛に従軍して、共に鹿児島の城山での最後を遂げて
います。
大河ドラマ「西郷どん」の終盤に出てくるのでは…。
旧居に訪れた時は、旧居の茅葺屋根の葺き替え工事中のため
下げ雛と旧居のコラボは撮れませんでした。
(工事はこの時期を外してほしいものです……)
これは10年前に撮ったものですが、
旧居は国指定史跡に指定されています。 葺き替え工事中でも屋内には雛壇飾りが展示されていましたが、
それより目に付いたのが、
和傘工房 朱夏 が創っている「和傘あんどん」です。
中津でも最盛期であった昭和の初めには、約70軒あった和傘屋は洋傘の普及
とともに衰え、、江戸時代から続いていた九州で唯一の和傘屋も平成15年に
高齢化当で製造を止めてしまいました。
その後、和傘工芸の伝統を復活させたのが 和傘工房 朱夏 です。
当初、この福沢諭吉旧居のすぐ隣の家屋で作業をしていた時、何度かお伺い
させて貰い、このあんどんも購入させてもらいました。
和紙で包まれた灯りの暖かさは本当に心落ち着くものです。
今は場所を変えていますが、いつまでもこの伝統工芸を守ってほしいものです。
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