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「いただきます」と「ごちそうさま」の由来の2つの話。
「いただきます」
浄土真宗のお寺の佐賀枝弘子さんが蓮如上人500回忌法要が行われてい時に京都でタクシーに載ったら、タクシーの運転手さんから聞いた話だ。
運転手さんが、
「本願寺さんはいいこと言やはるんやねえ。
私はいつやら話を聞いてから、本願寺さんの前をただでは通らんことにしてるんや」
と言われる。若い方なんですよ。
「そうですか。どんないいお話を聞いたの」
と尋ねますと、
「いただきますという言葉は、ただ事でない言葉やったなあ」
と言われるんです。
「いやあ、ぼくはただ、形でいただきますと思っていたけど、
ありゃあ、すべての命をいただいているという、お礼の言葉やったんやねえ。
わしゃ知らなんで、それを聞いてから、本願寺さんの前は車でどう走っていても、頭さげて通っとるんや」
「そりゃいいこと聞かれましたね」
「ごちそうさま」・・・「ことばの力」川崎洋著
食事の後で「ごちそうさま」といいますね。
「ごちそう」は、もともと「馳走(ちそう)」という漢語から出た言葉です。
「馳走」は「走りまわる」「かけめぐる」という意味ですが、つまり、食事を作るために、その材料を集めるのに、あるいは煮たり焼いたりするのに、身体をいそがしく動かさなければならず、その苦労へのねぎらいと感謝から発せられる「あいさつ」のことばで、「ご苦労さまでした」「お疲れさまでした」「お造作(ぞうさ)をかけました」「ありがとうございました」といったニュアンスのことばであるわけです。
だから、なにも料理にかぎったことではなく、たとえばとなりの家へもらい風呂に行ったとき、風呂に入った帰りがけに、「ごちそうさまでした」というあいさつが、今でも使われる場合があるのではないかと思います。
ことにむかしは、風呂ひとつたてるにしても、風呂おけに水を汲(く)み入れ、たきぎを集めたり、つきっきりで火を燃やしたり、大変な労働をともなう仕事であったわけですから、なおさら、「ごちそうさまでした」というあいさつがつかわれても、少しも変ではなく、また、そこにこめられた気持ちには深いものがあったといえるでしょう。
そういえば昔は貰い湯といって、よその家の風呂に入らせてもらうことがあったのだ。
そして「ごちそうさま」とお礼を言ったような気がする。
そのたびに不思議に口のなかにつばきが出たような気持ちがしたものだ
・・・あ、星がきれい!
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