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ハイジの法則

5月9日大井町のきゅりあん小ホールで今野華都子さんの講演会があった。
聴衆の半分くらいは若い?!女性だった。

今野さんは最後に「ハイジの法則」を紹介された。

質問の最後に若い女性が手をあげて、「上司が無愛想で挨拶しても返さない。そんなときどうしたらいいんですか?」と質問した。
今野さんは、「すべては自分を映しているんですよ。あなたの名前は何といいますか?」とその女性に尋ねられた。
「○○です。」
「○○さん」と今野さんは呼びかけ、上から一瞥してすぐ目をそらしソッケナイ無関心な態度をとってみせる。
「こういうのと、
○○さん!!」とにこやかに笑いかけて
「○○さん、大好き!あなたはとってもやさしいし、わたしあなたのこと大好き!って言われたら、わたしのこと好きになりませんか?」
「もちろん、先生のこと大好きです。」
「自分から笑顔で相手のいいところを誉めるんですよ。」と言われた後、最後に教えられたのが「ハイジの法則」であった。

「アルプスの少女ハイジは偏屈なおじいさんややんちゃなペーター、虚弱で少しわがままなクララ、ロッテンマイヤーさんだって誰の心にも素直にはいっていきますよね。それは相手のことを判断しないからです。」とおっしゃった。
この「ハイジの法則」は、今野さんのブログではこう言われている。


ハイジの法則

「壁を作らず、誰をも愛し、愛される」方法があります。
私はこれをひそかにハイジの法則と呼んでいます。
「アルプスの少女ハイジ」は心に偏見を持たない。

そのまま受け入れジャッジしない。

人はそれぞれがこの世でうとまれるところを持っている。
おじいさんは頑固一徹
ペーターはおちょこちょい
クララは虚弱で少しわがまま
ロッテンマイヤーさんはやかまし屋、


でもハイジはそこをこだわらないため、
いろんな人にスッと入っていける。
受け入れられて、受け入れることができる。

偏見なく、先に認める側に立つと、相手も同じになってくる。

人間関係の困りごとがなくなる
「究極のハイジの法則」

うふ


ふふ、そぼ降る雨の中、図書館に行って、ハイジを借りてきた。
なんと英語の本もあったのだ。

The pretty little Swiss town of Mayenfield lies at the foot of a mountain range,whose grim rugged peaks tower high above the valley below.

のどかにひろがる昔ながらの小さな町、マイエンフェルトから、一すじの小道が、木立の多い緑の牧場をぬけて、大きくいかめしくこの谷を見下ろす山々のふもとまで続いています。
 (矢川澄子訳)

☆ほう、小さなところが邦訳だと違っているんだ、日本語の自然な調子に訳すって難しいんだな。原語はドイツ語で英語に訳す際に分かりやすくするために、little Swiss town と付け加えたのかもしれない。
山本太郎訳ではこうなる。

こじんまりしたマイエンフェルトの村から木の生いしげった緑の田園を通り、小径(こみち)が一本、丘の麓までつづいています。 

Behind the town a footpath winds gently up to the heights.
The grass on the lower slopes is poor,but the air is fragrant with the scent of mountains flowers from the rich pasture land higher up.

道がのぼりにさしかかるとまもなく、あたりは荒れ野になって、丈の低い草やたくましい山地の植物のにおいが、ぷんと鼻をつきます。このままのぼれば、まっすぐに、アルプスのアルムの山へたどりつく、けわしい道なのです。
(矢川澄子訳)

村から望む丘は大きくたちはだかって谷を見おろし、のぼりにかかるとすぐ、荒れ地は背の低い草花やゴツイ潅木類の草いきれでプーンとにおい、しだいにけわしくなる細道は、まっすぐアルプスへ通じています。(山本太郎訳)

One sunny June morning,a tall sturdy young woman was climbling up the path.
She had a bundle in one hand and held a little girl about five years old by the other.

6月のあるあかるい、晴れわたった朝、このせまい山道をのぼって行く、ひとりの大柄な、がっちりしたからだつきの娘がありました。
このあたりの山地出の娘で、手にはひとりの子どもをつれていました。
(矢川澄子訳)

ギラギラと日の照りつける、よく晴れた6月のある朝のこと、大柄で、がんじょうそうな村娘がひとり、小さな子どもの手をひいて、そのせまい坂道をのぼっていきました。 (山本太郎訳)

The child's sunburnt cheeks were flushed, which was not surprising, for though the sun was hot she was wrapped up as though it was mid-winter.
It was difficult to see what she was like for she was wearing two frocks, one on top of the other, and had a large red scarf wound round and round her as well.

子どものほおはもえるように赤く、さらでだにとび色に日やけしたそのはだが、透けるほどほてっていましたが、そのはずというのに、この子はまるで真冬みたいにいっぱい着こんでいたのです。
それもそのはず、6月の日ざかりだというのに、この子はまるで真冬みたいにいっぱい着こんでいたのです。
年は5つになるかならないくらいでしょうが、ちょっと見にはどんなからだつきか、とても見わけがつきませんでした。
なにしろ、3枚とはいかないまでも、2枚はたしかに重ね着している上に、大きな赤いもめんのショールまでまいて、すがたかたちがぜんぜんわからないほどにしてあったのです。
(矢川澄子訳)

子どものほおは赤くほてり、日焼けして、すっかり鳶色になった肌は燃えるように輝いていました。
むりもありません。
暑い6月のまっぴるまだというのに、この子はまるで真冬のように着ぶくれているのです。
まだ5つぐらいの女の子で、3枚、いや、どう見ても2枚は重ね着したその上に、赤に大きな木綿の布をグルグルまきつけ、ひどくぶかっこうな様子をしているので、やせっぽちか、太っているのか、さっぱりわからないほどです。
(山本太郎訳)

【今野華都子先生講演会】 5月17日 千葉
場所:アミュゼ柏 クリスタルホール
住所:柏市柏6-2-22
時間:19:00〜
参加費:¥3,000
問い合わせ先:CARNAフィットネス&スパ
TEL:04-7168-1810
FAX:04-7168-1811

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以前、サイクリングの途中古本屋に寄ったら、エドガー・ケイシー・レポート「キリストの秘密」(光田秀訳)があった。光田さんといえば、エドガー・ケイシーについての日本の第一人者である。「賢者達のメッセージ」という斎藤一人さんや五日市剛さんなどとの対話集も出版されている。

エドガー・ケイシーのリーディング(催眠中に質問に回答した記録)のうち、イエス・キリストについてのものを集めたものである。

エドガー・ケイシーのリーディングによると

イエスの過去生として最初に受肉したのはアトランティス時代でその時の名前はアミリウスである。イエスは全部で30回の受肉を経験した。聖書のヨブ記はイエスがメルキゼデクとして受肉している時に書いたものである。(262-55この数字はリーディングの整理番号である)ペルシャの預言者ゾロアスターの父であった。その時の名前はゼンドといった。(364-7)

イエスは、人間として、自分の意志を父なる神の意志とし、そして父なる神の意志とし、そして父なる神と一つに融合し、人間の模範となったのである。(900-10)
イエスは他の諸惑星での転生を完成し、地上への転生のサイクルを最初に完了した魂である(5749-14)
悪化の一途をたどっている世界を支える為に必要な聖なる感化力を地上で顕現させるために、その必要なサイクルを完了した(5749-3)イエスは自分の意志で来た(5749-7)

リーディングによるとイエスが来る前にエッセネ派というグループがあって、彼等は自分達に与えられた古からの約束、メシア(救世主)の誕生の経路となるにふさわしい人物を育て上げること、に自らの人生を捧げた(262-61)

彼等は預言者エリアが設立した学校の直系の者達である。彼等はユダヤ人であろうと非ユダヤ人であろうと同等にメンバーとして受け入れた(254-109)
エッセネ派は大きな国際的団体を作っていたが、当時のラビ(律法学者)達からは異端視され、その集会は秘密裏に行われた(2067-11)

イエスの母マリアも父ヨセフも、またマリアのいことであるエリザベツもエッセネ派であり、彼等の子供もエッセネ派として育てられた。

リーディングはイエスの処女降臨だけでなく、マリア自身も母アンに処女降臨したと主張する。(5749-7,8)
「マリアはイエスとツイン・ソウル(双子の魂)であった」(5749-8)

☆なるほどキリスト教を裏で支えているのは実は聖母マリアに対する信仰である。マザー・テレサもまた深いマリアへの信仰を表していた。イエスとマリアがツイン・ソウルであったとする主張は面白い。

メシア(救い主)が地上に降臨するためのカルメル山の神殿でこの任務のために12人の少女が候補として選ばれた。マリアはわずか4歳であった。
12人の少女は正しい食事法や「慈善、純潔、愛、忍耐、忍苦」といった肉体的・精神的な訓練を受けた。マリアがその12人の乙女の中から特別の一人として選ばれたのは12歳から13歳の間であった。

「この日、乙女達は朝日を浴びながら階段を登って行った。太陽は美しい世界を現出せしめ、あらゆるものを紫と金色にくるんでいた。
 マリアが階段の一番上に登りつめた時、雷とイナズマが起こり、天使がその幼な児の手を取って、祭壇の前まで導いた。このようにして選ばれた。このようにして道が示されたのである。この日マリアが他の乙女たちを先導していたのである(5749-8)

リーディングによるとマリアが処女懐妊したのは16歳から17歳の間であった(5749-8)ヨセフがマリアと結婚した時、彼は36歳であった。結婚式はカルメル山のエッセネ派神殿で行われた。イエスが誕生しておよそ10年間、マリアとヨセフは夫婦関係を持たなかった。イエスがエッセネ派で訓練を受けたり、諸外国で修行を積むため、両親の元を離れてから、2人は夫婦として普通の生活を営むようになった(5749-8)
マリアはヨセフとの間に3人の子供をもうけた。ヤコブ、ユダ、娘のルツである。

☆スペインのバルセロナでガウディによって着手され未だに建設中の教会を思い出す。
サグラダ(聖)ファミリア(家族)教会すなわち聖家族であるマリア・ヨゼフ・イエスの三人を祭る教会である。

ヨセフもエッセネ派の信者であり、エッセネ派の指導者たちにマリアの夫となるよう告げられた時、躊躇した。マリアが将来メシアの母となるよう期待されていたことを知っていたからである。またヨシアは年が離れすぎていることを世間からどう見られるか心配したが、ヨシアは自らの個人的な体験を通して、この結婚が神の意志によるものであることを確信してやっと結婚を承諾した(5749-8)。その体験とは夢の知らせであり、つぎにダイレクト・ボイス(直接的な声)であった。

☆マザー・テレサもこのダイレクト・ボイスを聞いている。
マザーテレサは1910年スコピア(現マケドニア)のカトリック教徒家庭の子供として生まれた。カトリックの修道女としてインドの修練院に送られた後、カルカッタにあるカトリック系の学校で教師としての生活を送った。ところが36歳のとき、黙想のためダージリンへ向かう汽車の車中で「神の召命」を受け、修道会を出て貧しい人々の中に入ることを決意したのである。
それは『病める者に手を差し伸べて、家も無く、飢えている者を助けなさい。神の手となり、愛を持って貧しい者の中の最も貧しいものを救いなさい。』というものであったという。

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「キリストの秘密」より

P128
神は仲間を欲せられ、自己を表現したいと欲せられた。

父なる神の仲間となること

神との共同創造者となること。

神は、神と一つのものになり得る個々の魂が、それを達成したり、そのことを経験できるようにするために宇宙を存在せしめた。
主なる神はいかなる魂も滅びることを欲したまわない、と聖書にもあるではないか。
主はいかなる試みにも逃れる道を備えてくださるのだ。

神は、ご自分と一つのものとなるために、その被造物たる人間に意志を与えたもうたのだ。エドガー・ケイシーによると、地球は三次元世界であり、その地球意識から神を眺めた場合、神は父と子と聖霊の三位一体として認識される。
より高い意識レベルから眺めるならば、もっと複雑なものとして認識されるだろう。
にもかかわらず、キリストは神格において本質的なものであり、必須の部分である。

イエスは人間であった。
「イエスは人間として自らの意志を神の意志とし、一つとなり、人間の模範となったのである。」

ケイシーのリーディングによると、キリストは神と完全に同一であり、「創造者であの一部である実体の魂を器に入れるようなものであった。」

ケイシーのリーディングによると、キリストにふさわしいのはアダム一人であり、アダムがイエスとして最終的に現れたという。
「最初のアダム、最後のアダムは、そうして地を治める力を与えられたのである。」
「イエスが肉において自己を克服したがゆえに、自己、死、地獄、さらには墓までが、イエスに従うようになった。」

「この実体は『神は一つ』であるということを教えるあらゆる哲学、宗教思想に、直接的もしくは間接的に影響した。」

先日、サイクリングの帰り道、古本屋に寄ったら100円コーナーにエドガー・ケーシーの本が二冊あったので買ってきた。

1冊は、光田秀さんの訳で「キリストの秘密」とある。
本の元の題名は「UNTO THE CHURCHES」であう。
「UNTO」を辞書で引くと直接は訳が出てこないが、関連して
ùn・tóld 話されない, 明らかにされない
ùn・tóuchable ふれてはいけない
というのがある。

光田氏によるとドラモンド博士が「ケーシー・リーディング」をもとにイエス・キリストの秘められた生涯とその現代的意義を克明に解き明かしたとある。

エドガー・ケイシーのイエスに関するリーディングを見てみよう。

リーディングは
人間を「創造的諸力の随伴者となれるように造られた者」
とみている。
「創造的諸力とひとつになりながらも、その中で自分の独自性に目覚めた存在になることである。」(P66)

リーディングは
「汝の心と精神と力を尽くして主なる汝の神を愛せ。
そして隣人を汝自身の如く愛せ」と頻繁にイエスの戒めを強調する。
「聖書は多くの人々の手を経てきた。
しかしそこに書かれている精神を読み取るならば、それは汝を天国の門へと導くであろう。・・・
聖書に従って生き、聖書を通してキリストが汝と共に歩まれることを知るがよい。」

リーディングは瞑想を大切にするようにいう。
「自己の内にある細く小さな声の中にこそ、あなたを助けるものがある。」

「なぜなら人間にとって、真理は成長するものであるからだ、」

「ナザレのイエスの中に顕現した愛、次いで神性が、汝の動機、汝の衝動、汝の心の働きを測る尺度とならねばならぬ。

「能力が高くなるほど、それだけ自分に対しても、また物質界に顕現する創造的諸力との関係に対しても、より大きなものが求められる」

「汝が蒔くものを汝が刈り取るという律法は不変の理である。
あなたは常に自分自身に出会っているのだ!
あなたが測るはかりであなたも測られる。
友が欲しいのであれば、友情を持て!
神を知ろうとするなら、他人に対してあわれみ深くあれ!」

「(神は)どんな魂をも試みに会わせることはない。
神はその魂の負い切れないものを与え給わない。
そして神は逃れる道を備えて下さっている。
それは自己の内奥にある声に耳を傾けさえすれば、分かる!」

(エドガー・ケイシーにおいて、キリストに帰ることが重要視され、キリストをいつでも思い浮かべることを要請する。おそらくは、ケーシーに顕現する実体は古代キリスト教聖書学者オリゲネスなどに由来するのかもしれない。
オリゲネスは転生を説き、「救いを神の計画に従う全宇宙の回復と同様、人間性の全体的変容に向かって進む過程として捉えていた。」)

「真理とは何か?
律法なり!
律法とは何か?
愛である!
愛とは何か?
神である。
神とは何か?
律法と愛である。
これが真理自体のサイクルである。」

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