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ソクラテスが、3人の人物と対話する形で、自分の主張を述べてゆく
劇作形式のの内容となっている。
前半は弁論術について、後半は人とはどう生きるべきなのかと言った論点へと移っていく。
普段、哲学などとは非常に縁遠い私にとって、難しすぎるかと思っていたのだが、
すべて内容がソクラテスとゴルギアスをはじめとする3名の人物との対話で進行していくため、
そんなに構えなくても、討論会の見学者といった感じに入っていくことができた。
ソクラテス曰く(勿論、プラトン曰くでもある)、弁論術は技術ではなく、経験と熟練に過ぎず、
例えば医者(医学)とは本質的に異なる。
当時、著名な弁論家であるゴルギアスを論駁していく。
善と快は、別の概念でありどちらを目的とするかによりはっきりとその本質が異なる。
善は、絶対であり論理的に考証すれば結論は一つであり、その因果関係は明確である。
医者の治療は明確にその目的を持っており、その治療と治癒の間には明確な関連があり、
体育教師であれば、どのように鍛えればどのような結果をもたらすかも理解できる。
それに対し、快は経験と熟練の上に立ち成り立つだけで、その因果関係は不明確である。
おいしい料理は、食材や香辛料、調理方法といった経験の上に成り立つものであり、
おいしいことは、人に快をもたらすものの、結果として善となるとは限らない。
今風に言えば、ディベートがうまくても、人として正しくなければ、意味はない。
とプラトンは行っているようだ。正直、2500年以上も前に書かれた本にこんな簡単に
賛同できるとは考えてもいなかった。
逆に言うと、2500年を経ても人間はそれほど進歩していないといことなのか。
私は、主にアメリカ風の勝った方が正義式の考えたかは、正直なじめない。
やはり、どちらかと言えば仏教式の人は亡くなれば、すべて仏であり、
すべてのものに神が宿る八百万の神方式の方が性に合っているようだと痛感する。
また、いつもの通りに感想文からは程遠いところに来てしまいましたが、
プラトンもう少し勉強してみたいと思う1冊でした。
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