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早いもので、インドに赴任してから4回目の夏を迎えます。
しかしながら、出不精の私はインド国内を旅行することもなく
平凡な(とはいっても、驚くことも少なくないわけですが・・・)日々を暮しております。
インドの建国からすでに50年、カースト制は原則廃止されたというものの
やはり5000年の歴史の中で培われた、慣性がわずかその100分の1の
期間でまったくなくなるなどと言うことは、しょせんありえない。
ベンツのAMGに颯爽と乗るご婦人が通過する交差点には、数人の物乞いがいて
がりがりに痩せ細った体で、車の窓をたたいて回る。それが現在のインドなのだ。
そこで私も、ここいらでせめてガンディーの1冊ぐらいは読んでおかないと
インドで暮らす意味はないのではと手に取った1冊です。
1930年ヤラヴァーダー中央刑務所に収監されたガンディーが彼の弟子たちに送った
15通の手紙を1冊にまとめたものです。
(ただし、最後の1通に関しては、出所後書かれたものとのことです。)
この1冊しか読んだことのない私が、こんなことを書くのは非常に僭越かとは思いますが、
思い切って言わせていただきましょう。
『ガンディーは、まるで良寛和尚のようではないか』
インドの建国の父とうたわれ、マハートマ(偉大なる魂)と呼ばれたガンディー、
でもその出張は非常に単純で明快だ。
真理(サッティヤー)を求めるために、愛(アヒンサー[ただし、本来の意味は愛ではなく
不殺生・不傷害等を意味する言葉])を与え、純潔(プラフマチャリヤ)を守り・嗜欲を抑制し・
不盗(アステヤ)も守り・無所有(すなわち清貧)であり・無畏(畏れなき心)を持つ。
真理に関しては、この手紙ではあまり詳細に述べられていないし、私のブログ程度で
その内容のすべてをお伝えできるほどの大きさではないと思われるが、
上記の内容は、普通に物事を理解できる大人であれば十分理解できるほど
容易であるような気がするのだが、それは私の浅慮ゆえであろうか。
と言うより、『賢者とは、誰にでもわかる言葉で語るもの』という鉄則に基づくものと考える。
さらに、捕捉させていただけば、上記の不盗などはこのように語られている:
【要りもしない果物をもらったり、必要以上に多量にもらうのは、盗みです。】
なんと単純明快か。
しかも、ガンディーは、ヒンドゥー教徒でありながら、キリスト教・イスラム教・仏教等の
経典もしっかり読んでおり、その中で最後にそれらが目指すことは同じことではないかと言う
結論に達していたように感じる。
このことは、仏教とともに八百万の神を信仰してきた日本人には非常に理解しやすいと感じる。
不思議な気分だが、ガンディーはいいおじいさんなのである。
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『賢者とは、誰にでもわかる言葉で語るもの』
名言だと思います。
日本仏教の教典は名著かもしれませんが、
同時に非常に難解です。
しかし釈迦が述べたといわれる言葉は非常に平易で奥が深い。
もしおひまな時があれば【人物列伝】のカテゴリーの「釈迦」の記事をご覧になってみてください。
ガンジーは中国の諸子百家にも傾倒していて
中でも老子を好んでいたといわれます。
確かに非暴力不服従の思想の中にはそういう要素が見られるところがあるような気がします。
2014/3/26(水) 午後 3:03 [ もたんもぞ ]
もたんもぞさん、貴重なご意見ありがとうございます。
一時は仏教関係の本も多少は読んだのですが、
それではじめて、経典などと言うものはなく、
単に釈迦が語った言葉そのまま残されたことを知り
感動した記憶があります。
人物列伝ものぞかせていただきます。
2014/3/27(木) 午前 4:52 [ gak*1*66* ]