私の濫読日記

4/24 なんと今日は、下院選挙のための休日でした。

感想文(小川洋子)

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 次のページ ]

イメージ 1
 
久しぶりに、洋子さんの本を見つけました。
なんと、佐野元春さんとの共著です。
 
とは言っても、別に佐野さんが文章を書いたわけではなりません。
洋子さんが彼の10曲を選んで、聞き続ける中で浮かんできた物語を
短編にしたと言うことです。
 
いつのも透明感とモノトーンな感覚はやはり変わらないなと思いつつ、
ここインドのレストランの片隅でこれを読む感覚は、ちょっと不思議。
 
私のこれまでの読書記録の大半も日本で書いたものは少なく、
ほとんど海外(とは言っても中国ですが・・・汗)で読み、そしてここに書く。
 
しかし、最初の数ページを読んでいる間は、周辺も意識しているので、
窓の外の真夏に、肌の黒い人々。耳慣れないタミール語などが気になるのですが、
洋子さんの世界自体が、時も場所も感じさせない内容ですから、
いつのまにやらそれらもすっかり気にならなくなり、自分自身も不可思議な世界の一員になる感じですね。
 
この本の解説で、江國香織さんが、洋子さんの小説は「なにひとつ突出させない」と
書いていましたが、いつも私の感じることとは逆なのだなと、改めて人の感受性の多様さを感じました。
 
是非とも、まだ洋子さんを読んだことのない方に読んでいただいて、
いろいろな意見を聞きたいですね。
 
 
さて、久しぶりに洋子さんの作品だったのですが、以前は私の洋子などと
偉そうに書いておりましたが、久しぶりですと呼び捨てにするのも恥ずかしいですね。
よりを戻すとはこんな物なのでしょうかね。  (-恥-)

イメージ 1

さて、久しぶりの洋子さんです。

とは言っても、今回は小説ではなくエッセイ。

個人的には少々物足りないかなと言ったところです。

しかし、こうやって洋子さんの私生活の一面を覗いてみると、本当に普通の方なのだな
と言う印象のみが強く、どうしてこの方があんな小説を書くのだろうと
考えてしまいますね。

誰にでも、この物に対するこだわりはあるでしょう。
ある方にとっては、お金や地位、美貌、健康etc・・・

そのなかで、この一言にこだわる方が作家なのでしょうが、
日常生活のなかで不用意な発言をし続けてきた私としては、
なかなか苦々しいことでもあります。

さて、ちっとも感想文とはなりませんでしたが、小川さんの一面を見たと言うことで
ファンとしては満足しています。


さて、ブログもほとんど更新できておりませんので、簡単に近況報告を

いよいよ、10月となりましたので、上半期から下半期へと移ったわけですが、
経理マンとしては、上半期の報告を作成しなければならない時期でもあるわけです。
少々、複雑な事情も絡み、業務は超多忙を極めており、帰宅も遅く
土日も結構出勤であり、更新するより寝ようと言う状況です。

おかげで、本はそれなりに読んではいるのですが、感想がちっともUPで来ませんし、
皆さんのブログへもなかなか訪問できておらず、少々疲れ気味です。

まあ、なんと言っても今月来月を乗り切れれば、多少は時間に余裕も出来るかと思いますので、
そのときには、また皆様のブログへも役に立たないコメントを残せるのでは、
と考えております。

では、季節の変わり目です。皆様ご自愛ください。

イメージ 1

久々に未読の本を見つけてしまいました。
ファンにとって、多作な作家と言うものはいいものですね。
特に、洋子さんの場合、いろいろな出版社から出ていますので、
このように私にとって比較的馴染みのない出版社から出ていると、
未読の作品に会えますので、嬉しい事態です。

さて、中身ですが、こちらはいつもの通り陶酔させていただきました。
皇女アナスタシアと剥製に刺繍、儀式を踏まない限り戸口をくぐれないニコ、
そしてそれらすべてをなんの違和感もなく受け入れてしまう『私』。

不思議なもの、不自然なもの、それらを全く意に介さずに小説に取り込んでしまいながら
それでいて、小説の流れに不自然さを感じさせないあたり、流石は私の洋子である。

また、病気が再発しそうな気配ですね。
実は、洋子のハードカバーが手元に数冊あるのですが、通勤時に読みにくいので
ついつい敬遠していたのですが、これでダメかもしれません。


さて、これから息子の野球の応援に行かなければなりませんで、
短めですがこの辺で・・・・行ってまいります。

イメージ 1

久しぶりに洋子の本を手に入れた。
ただし、残念なことに小説ではなくエッセイと旅行記の中間のような作品である。
さらに、表題からも解るとおり、アンネ・フランクを取り扱ったものだ。

私は、自慢にはならないが『アンネの日記』は未読である。
何故読まないのかといわれると、これと言った理由があるわけではないのだが、
なんとなくと言うところか。(単に皆が読む本なので読まないのかもしれないが・・・)

しかし、何はともあれ洋子が書いたとなれば、読まなければならないのである。

展開としては、30代前半の洋子が、アンネの縁の地、アムステルダム・フランクフルト・
ポーランド・アウシュビッツそしてウィーンと旅行し、感じたままを書くというだけである。

しかし、ホロコーストに関する記載もあるものの、それは後半の極々短い部分を占めているだけで、
洋子はアンネの生き方をなぞろうとし、わずか16歳で亡くなった彼女を
犠牲者として扱うのではなく、洋子の心の友人の一人として眺めるのである。

この書き方がいいのか悪いのかは、私が判断すべき事項ではないだろう。
ただ、その態度が洋子らしいなと言う気がするだけである。

まあ、『3つ児の魂、百まで』で妙に細部にこだわる洋子の姿勢はいつもどおりである。

でも、やはり洋子の書く小説の方が私には向きそうである。


最後に、ホロコーストと言う歴史的出来事にだけ一言触れておく。
これは規模こそ違うとはいえ、一種のいじめだろう。
どんな場合でも、比較すると言うことからは逃れることは出来ない。
見方によって、いいものと悪いもの、好きななもと嫌いなものが出来てしまうことは
仕方のないことである。しかし、嫌いだからと言ってそれを拒絶することは
どう考えてみても大人のすべきことではないと思うのだが、
あなたはどう考えるだろうか?

イメージ 1

「記憶狩り」、なんとも不思議な世界である。
これまでも、小川作品を読む度に主張してきたことであるが、
そのテイストは、いつもの彼女(簡単に言うと、「モノトーン」と「フェチ」と言うところか)
であるが、今回の設定は本当になかなか面白い。小川作品としては、異端の部類だろうか。

一般には、小川作品の最大の特徴は、日常の中に入り込んだ非日常あり、
一見するとまっすぐなのだが、よく見ると微妙に曲がっていて、
進めば進むほど道をはずれ戻れなくなる。

しかし、この作品では、島民の「記憶」が次々と消滅していく。
さらに、作中作として「タイピスト」に関する物語も平行して語られて行くと言う、
珍しく複雑な構成となっている。

「記憶」が消えていくと言うことは、誰にでもあることだろう。それは関心の低さが
原因であったり、年月の長さによるもの、ある種の病気によるもの等々。
だが、それが何らかの理由による強制的にかつ島民すべて(ただし、例外もある)に
起こっていくとは、何と言う世界か。さらに、一部の記憶を失わない人々は、
「秘密警察」に検挙され、いずこへともなく連れ去られ決して戻らない。

確かに、歴史を長期的に見れば、これと同じことが起こっているのかもしれない。
過去のどのような出来事も世代を減ることで磨耗し、記憶からどんどん薄れていく。
また、記憶をとどめることで迫害にあう人たちがいることも事実だろう。
でも、普段さして意識することのない「記憶」と言う一言から、
これだけの物語を作るとは、やはり小川タダモノではない。と嬉しくなりました。

あ〜あ、これで手持の洋子作品が一つもなくなりました。
文庫に関しては、ほぼ全社の作品をあたってしまったようですので、
これからは、ハードのエッセイあたりを探さねばならなくなりそうです。

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 次のページ ]


.
gak*1*66*
gak*1*66*
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

最新の画像つき記事一覧

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事