私の濫読日記

4/24 なんと今日は、下院選挙のための休日でした。

感想文(サイエンス)

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]

イメージ 1

新年明けましておめでとうございます。

10月以降、ほとんどブログを更新することもできないでおります内に
ついに新年を迎えてしまいました。
まあ、本来のこのブログの目的を考えれば、更新するどうこうというよりは、
読書記録を残すと言うことが大切言うことではあるのですが、
その目的も果たせないままに新年を迎えてしまいました。

と言うことで、本年は心機一転、昨年の積み残しも含め、更新していけたらと思っておりますが、
いかが相成りますことやら、仕事の方が相変わらず厳しい状況ゆえ、
心理的に余裕がない状況は変わっておりませんが、せめて新年ぐらいは更新したいと思います。

さて、これも暮に読んだ1冊ですが、久しぶりに図書館で調達した本です。
近所に図書館がオープンしたのですが、なかなか行く機会がなかったのですが、
暮にやっとその機会を得て、書庫を歩いておりますと、私に手を振っている本がある。
迷わずに借りたこと1冊ですが、内容も結構面白かったです。

暴力を嫌い平和主義を貫きながらも、原爆の原理を見つけてしまったアインシュタイン。
それまでの仏教に疑問を抱き、密教と言う新しい形の仏教の普及に努めた空海。

時代も背景も全く違う二人に会話させながらその共通点を見つけ出していくと言うのは、
非常に興味深く読めましたね。

しかし、それが結果的に一神教を主体とし、人間がその中心であるとする西洋文化と
自然の調和を主体とする東洋文化という結論に持っていってしまう点に関しては
少々強引さを感じないではないものの、納得のいく結論といえるでしょうね。


さて、今年もいい本にめぐり合えますように!

イメージ 1

アクゼルの本はこれが2冊目となる。
前が『天才数学者たちが挑んだ最大の難問−フェルマーの最終定理が解けるまで−』であり、
どちらも科学に関する著書なのだが、嬉しいことにほとんど数学や化学式等々の
専門知識を必要とせず、『天才数学者・・・』ではフェルマーの最終定理を証明した
アンドリュー・ワイルズ自身を、この本では相対性理論ではなくアインシュタインその人の
生き方と考え方を非常に丁寧に解説してくれている。

勿論、この本では相対性理論のある意味での概要も説明してくれているものの
決して数式ではなく、こうした数学の進展があったからアインシュタインは次のステップに
進むことが出来た。また、こういった協力者があったから相対論が完成したと解説してくれている。

また、それだけではなくアインシュタインのおかれた環境、彼の手紙等から
彼の心理状況や周辺の人間関係と非常に人としてのアインシュタインを見せてくれている。

私の場合、この表題を見ただけで理解できなくとも、この本を買わずには済まないのだが、
往々にしてこの手の本は私の脳みそには理解不能であるため、途中からは
字顔を追うだけとなりがちなのだが、この本は最後まで堪能できました。

アクゼルは、ハヤカワ文庫からこれ以外にも数冊の本を出していますので、
これから楽しみに読ませてもらおうと思います。

イメージ 1

この本ですが、これはかの本楽家協会会長より買い求めた本であります。
もう、1ヶ月以上たってしまいましたが、高円寺でのガレッジセール(古本市?)の際に
会長の蔵書より選んだ1冊です。

私の場合、大学も経済学部(不経済学部との説もありますが・・・笑)の卒ですが、
本人はいたって理科系だと自負(過信とも言う)しており、こうしてたまに
科学・数学・物理学と言った本にも手を出しています。

この本は初版が2005年6月ですから、一見すると新刊のようですが、
本当の初版は1934年にドイツで刊行されています。

と言うことは、すでに70年以上経過しており、通常の科学系の本としては、
ほとんど古典の域ですから、これが物理学や数学なんかであれば、ほとんど理論としては
塗り替えられてしまっているような時間が経過しているわけですが、
そこは生物を扱った本だけあって、まだまだ現役の感があります。
(勿論、最新の研究は更にこの先に行っているでしょうが・・・)

さて、内容ですがどこまで正確に要約できるかの自信がないのですが・・・行ってみますか。


生物には『環境』と『環世界』がある。

『環境』は、もちろんそれぞれの生物を取り巻く世界であり、夏は暑く冬は寒いし、
水中と高山では全く異なったものであり、それを『環境』と呼ぶ。
生物は、その『環境』において、順応し生活しており、時には冬眠するものもあるが、
基本的な生活を送るための場所でもある。

それに対し『環世界』とは、生物が認識する周辺の状況あるいは刺激を指す。
例えば、林に生息する「マダニ」にとって、通常は『環境』は存在しない。
「マダニ」のそばに哺乳類が近寄り、その皮膚腺から分泌される酪酸が感知されて
初めて『環世界』が存在するようになる。

これは、考えてみればすごいことだ。
それぞれの生物によって、その『環境』のあり方が変わってしまうと言うことであり、
例えば人間の1万倍以上の嗅覚を持つ「犬」にとっての『環世界』は、
きっと我々が想像するより、ずっと刺激の多い世界なのかもしれないし、
「ハエ」にとっての世界は、もっとずっと単純に出来ているはずである。

また、「人間」だって「男性」と「女性」では見ている世界が違うのかもしれない。
眼の中にある細胞には、光を感じる細胞と色を感じる細胞があるそうだが、
「男性」と「女性」では、その比率が異なる。基本的に屋外での作業を
その生活の中心としてきた「男性」は、光を感じる細胞が多く、
「女性」はその逆である。早い話が、お店で奥様が「こっちの赤とあっちの赤と、どちらが
見合うと思う」、そうするとご主人が「君には、どっちも似合うと思うよ」と言う会話となる
訳であるが、じつはご主人はその赤の違いをほとんど認識していないと言うことになる。
(これが、夫婦喧嘩の原因となったとしても、それは本筋を外れてしまうので、
ここでは、割愛させていただくものである。・・・陳謝)

つまりは、「人間」だけを取ってみても「男性」と「女性」ではその「環世界」が
異なると言うことである。

うむ、いつもの通り本の中身からそれまくりであるのだが、結構考えさせられる本でした。


最後に、会長    ありがとうございました。

イメージ 1

おじゃ様より先月中旬にこの宿題をいただいておりましたが、これまで書くことが出来ませんでした。
会社の業務が最悪の状態で、あまりの余裕のなさに読む方は何とか先月中に終わらせましたが、
ブログの方にUP出来るほど心の余裕がなく、時間がかかりましたことを先にお詫びいたします。

さて、本題に入る前にこれまでの第2周の経緯を書いておきます。
5/12 おじゃさん 本楽家タイトルリレー第2周第5番 山崎豊子「大地の子」
3/12 ちいらばさん 本のタイトルリレー第22周第4番「子どものことを子どもにきく」
2/3 大三元さん  赤川学『子どもが減って何が悪いか!』〜〜「本のタイトルリレー」第二週第三番
1/10 りんごさん 本のタイトルリレー*2周目*第2番 『本棚が見たい!3』
12/14 田中栞さん 「本のタイトルリレー」 喜国雅彦『本棚探偵の回想』双葉社

と言う状況です。(1周目に関しましては、栞さんのページをご参照ください)


そろそろ、本題の方に移らせていただきます。
おじゃさんからの課題は『大地の子』だったわけですが、申し訳ありませんが最も安直な
『の』の字を選ばせていただきました。その理由としましては、その汎用性が高いことが
第一の理由として存在するわけですが、それにもまして1周目の記録を見ますと
リレーされた本の多種多様さ(統一性のなさと言う見解も聞かれますが・・・)に
驚くと共に、本楽家の裾野の広さに感心したものです。しかし、私はそこに1点の
新分野を追加できるのではないかと気がついたのです。

そうです、科学です。ということでこの本を選ばせていただきました。
『天才数学者たちが挑んだ最大の難問〈フェルマーの最終定理が解けるまで〉』
(それに題名が長いので、次の方は比較的楽ではないかとも思いまして・・・笑)

数ヶ月前となりますが、サイモン・シンの『フェルマーの最終定理』と言う本の
読書記録をUPしましたが、この本はそれとはまた一味違う面白い本です。
サイモンの作品は、その定理を証明したアンドリュー・ワイルズに焦点を当て
ワイルズの葛藤やどのようにヒントを得たかと言った点を追いかけていたのに対して、
こちらの本は、近現代数学史と言った内容です。

勿論、フェルマーの最終定理を証明したのはワイルズであるわけですが、
そのバックグランドとなった近現代の数学の進歩、それに貢献した数々の人々
(一部には、それを阻害した人々もいるようですが)の研究と発見を
時系列に紹介してくれています。その始まりは紀元前2000年の
チグリス・ユーフラテス川にまでさかのぼります。

そして、この本の最大の嬉しいところは、サイモンの本と同様に、
数学(数式)自体は殆ど登場しないことです。おかげで、理系ではない私にも
こうして感想文が書けるわけです。

さて、あまり長くなりましたので、この辺でとさせていただきますが、この記事を
読んでくださった本楽家のどなたかの所へこれから訪問させていただきますので、
是非ともバトンをお受けくださいますようお願い申し上げます。

イメージ 1

『捏造』この言葉は、皆さんにどう聞こえるだろうか?

自分の理論の正しさを証明するために、実験結果を捏造する。
確かにその程度には違いがあり、データーの一部を整えてしまう・不都合なデーターを
選択しないと言った比較的可愛いものから、全くデーターを修正してしまう、
最悪のケースでは実験そのものを行わずデーターを作成する。

作者達は、その事実を記者として書いている。

科学者たちは、科学者とは真理の探求者であり、科学には自浄作用もあり、
不正なデーターは存在し得ないし、仮にそんなことをした者がいたとしても、
事実は不変であり自然淘汰され、正しいデーターあるいは理論しか残らないと言う。

しかし、最近の数多くの医学関係の暴露本などを見ていれば、そんなことは
ありえないことは、言われてみれば当然である。

コペルニクスもニュートンもデーターを『捏造』とまでは行かないかもしれないが、
都合のいいように修正してきたが、その理論が間違いでなかったために、
問題とならなかったのだと作者達は言う。

所詮は科学も探求しているのは人間であり、特に現代の様にその研究に
費用がかかるとなれば、科学者個人個人が何らかの成果をあげない限り、
補充金は打ち切られ(あるいはもらうことさえ出来ず)、研究室はもらえず、
教授や助教授の椅子ももらえないとなれば、そうなることが普通なのかもしれない。

科学は万能薬と信じている私にとっては、ちょっとショッキングな本だったが、
やはり、科学者には真理の探究者としての道をきちんと進んでもらいたいものである。

開く トラックバック(1)

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]


.
gak*1*66*
gak*1*66*
男性 / A型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

最新の画像つき記事一覧

Yahoo!からのお知らせ

よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事