時事随想抄

国家と国民のための政治を考える

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今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。昨日、悪魔崇拝のモロッコ教の神(ルシファーLuciferとも)が、どのような思想の持ち主であるのかをめぐり、『旧約聖書』「イザヤ書」のルシファーの言葉における一人称の「I(我)」の多用を指摘いたしました。
 

自己中心的な考えの人々の特徴として、他者の権利を尊重するよりも自らの欲望や利益を優先させる点を指摘することができます。すなわち、自らの望みを叶えるためには、手段を選ばないということにもなるのです。この点をめぐって、『Conspiracy of theSix-Pointed Star: Eye-Opening Revelation and Forbidden Knowledge About Israel,the Jews, Zionism, and the Rothschilds (『ダビデの星の陰謀:イスラエル・ユダヤ人・シオニズム・ロスチャイルドをめぐる啓発的暴露と禁断の知識)』(Texe Marrs, River Crest Publishing, 2011年)によりますと、蛇神としても表現されるルシファーのモットーは、“自分のやりたいようにやれDo as thou wilt」であるそうです。

 
騙し、殺人、虚言、何でもありであり、このような邪悪な手段を用いて自らの欲望を満たし、野望を実現することが、むしろその信者にとってルシファーへの忠誠の証となるというのです。
 
一人称の多様については7月27日付『万国時事周覧』(gooブログ 倉西雅子)において、北朝鮮問題をめぐり以下のような指摘がなされております。
 
――『元朝秘史』には、一人称の表現が極めて多く散見され、収録されている詩にも、フレーズの末に“我”や“我等”を付している作品が見られます。
 
   “…黒き、足早き馬にのれり 我
   鋼の己の衣をまといたり 我
   鋼鉄の、己が槍を把れり 我…”
 
というように。北朝鮮の体制を支える国家イデオロギーの名称が主体思想であり、それが独裁者の自我としての主体のみを認める思想であるのは、モンゴル的な“我”の今日的な表現なのかもしれません。そして、“自我”への常軌を逸する執着は、“他者”の主体性の否定と侵害という“侵略”や“侵害”を帰結する傾向にあり、北朝鮮の自己中心的な思考回路を説明するようにも思えるのです。――
 
モロッコ教の思想とモンゴルの思想との間には、自己中心性の強さという共通点があることになります。モンゴル帝国とロスチャイルド家・サスーン家・イエズス会を中心とした「黒いユダヤ人」の国際組織との関連につきましては、本ブログにて再三にわたって指摘しておりますが、こうした自己中心的な思想や国家体制の起源、根源には、太古より存在するモロッコ教等のアニミズムの流入があると推測することができるでしょう。

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(続く)

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