時事随想抄

国家と国民のための政治を考える

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 今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。その父が墓堀人夫であったともされ、卑賤な‘従軍慰安婦’からピョートル1世の妃となり、ロマノフ朝第2代のロシア皇帝となったエカチェリーナ1Catherine I(Екатерина I Алексеевна, 1684- 1727年、在位:1725 - 1727年)、すなわち、マルタ・ヘレナ・スコウロンスカMarta Helena Skowrońskaの祖母のドロシア・ハンDorotheaHahnは、「ハンHahn」という家名から、モンゴル系であると考えられること、そして、ロスチャイルド家の元の家名も「ハンKhan」であることから、マルタはロスチャイルド家の支援を受けていた可能性があることを、11月28日付本ブログで述べました。
 
しかしながら、昨日、本ブログで述べましたように、ロスチャイルド家の出自は、アムシェル・ロスチャイルドの祖父のモーゼス・カルマン・ロートシルト(Moses Kalman Rothschild17351019日没)というフランクフルトのゲットーの絹布貿易商兼金融業者までしか遡れず、そのカルマンの時代こそがエカチェリーナⅠと同時代であることを踏まえますと、カルマンは、スコウロンス家の親族、遠戚であり、エカチェリーナⅠが、ロスチャイルドの支援を受けたのではなく、逆に、ロスチャイルド(ハンKhan)家が、ロシア皇帝一家と親族関係にあることを利用して、金融界において伸し上がったのではないか、と推測することがもきます。
 
ロシア皇帝位は、近衛兵を用いたエカチェリーナⅠの皇帝位簒奪クーデター以降、結局は、代々、エカチェリーナⅠの子孫に受け継がれてゆくことになりました。当時、ロシア皇帝一族は、世界1、2位を争う有数の大金持ちでしたので、そのロシア皇帝一族との親族関係が、ロスチャイルド(ハンKhan)家にとって、金融業における所謂‘信用’として作用したのではないか、と推測することができるのです。
 
皇帝一族との親族関係が利用できることに気付いたロスチャイルド(ハンKhan)家は、その後、メケレンブルグ公国、英国、そして日本など、世界のあらゆる王室・皇室を次々に乗っ取るという作戦を遂行していったと考えることができるのです。
 
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(続く)

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