時事随想抄

国家と国民のための政治を考える

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  今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。イルミナティーは、スコットランドのテンプル騎士団を乗っ取ることで、産業革命によってスコットランドにおいて発展していた紡績産業を利用したとする仮説を昨日提起いたしました(当時のグラスゴーは、ヨーロッパにおいて4番目に大きな都市となっていました)。すなわち、紡績産業の原材料をアメリカ大陸やアジア地域からスコットランドに齎し、この地で生産された製品を輸出することで、大きな利益を得るという計画を立て、かくて、「三角貿易triangular trade」と称される構図が出来上がり、当時の英国は、「世界の工場」とも称されるようになったと考えることができるのです。
 
ところで、ここで言う「三角貿易」とは、厳密には、茶・アヘン・綿織物を中心とした英国・インド・中国間の「三角貿易」のことです。その理由は、17世紀初頭に、インドのゴアが、モザンビークから長崎に広がるポルトガル海上帝国の首府として「東洋のローマ」と呼ばれていたことが示すように、ゴアが、所謂「ポルトガル海上帝国」の中心地であったからです。
 
Wikipedia(日本語版)は、この英・印・中間の「三角貿易」について、以下のように述べております。
 
「三角形の頂点にあたる地域は、イギリス・インド・清の3つの国。辺にあたる貿易ルートは実際には両方向通行であり、またインドの中継貿易の形をしているため、三角形の形になっていないが、手形の流通によって三角形となっている。主要な取引品目の流れについて記載。

清 → イギリス(茶)
イギリス →インド(綿織物)
インド → 清(銀、のちにアヘン)

始め頃、イギリスとインドの2国間貿易ではイギリスの貿易黒字、イギリスと清の2国間貿易ではイギリスの貿易赤字が続いていたが、対インド黒字で対清赤字を穴埋め出来ず、国際通貨の地位にあった銀が対価としてイギリスから清に流出していた。ただし、この時期、既に為替手形による国際貿易が成立していたため、手形交換所があるロンドンから直接清に銀が流出していたのではなく、中継貿易地となっていたインドから清へ銀が流出していた(インドの対清赤字)。事態打開を図るため、インドで麻薬であるアヘンを製造し、清へ密輸する活動が活性化した。」
 
このように、インドから中国(清)への銀の流出を防ぐため、アヘン(麻薬)がインドで栽培・生産されるようになったのですが、その担い手こそ、バグダット出身のセファルディ系の「黒いユダヤ人」であるサスーン家であったと考えることができるのです。恐らく、イルミナティーは、インドにおけるアヘンの製造を「黒いユダヤ人」の国際ネットワークコネクション、即ち、イルミナティー・ネットワークを通して、サスーン家に依頼したのでしょう(サスーン家は、その本拠地をバグダットからインドのゴアに移し、さらに、ロンドンに移している)。
 
イルミナティーが、ロスチャイルド家、イエズス会、サスーン家の3勢力によって成り立っていることは、本ブログにおいて再三にわたって指摘しております。イルミナティーにサスーン家が入っている理由は、まさに、「三角貿易」の成立によって説明することができるのです。
 
 
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(続く)

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