時事随想抄

国家と国民のための政治を考える

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  今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。歴史的に見まして、‘皇室劇場’の問題の始まりは、16世紀、大航海時代のフランシスコ・ザビエルの来日、すなわち、イエズス会が日本にその触手を伸ばした時点にあるようです。
 
昨今、江戸末期、孝明天皇の子の睦仁親王が大室寅之助なる人物にすり替えられたとする相当に信憑性が高い説があります。それ故に、この説については、多くの研究があるようです。インターネット上に公開されているそれらの研究によりますと、寅之助の父親の作蔵は、まったくの身元不明者であり、母親のスエは、京都西本願寺の大谷家の血縁者であり、山口県の田布施町の正興寺に住んでいた際に、作蔵と知り合って結婚しているとのことです(作蔵を外国からの密入国者とする説もある…)。その後、スエが作蔵と離婚し、南朝の後醍醐天皇の末裔という伝説が伝わる「大室」という姓の人物と再婚したことから、寅之助は、大室姓を名乗るようになったそうです。明治天皇すり替え問題をめぐって、「たとえ、大室寅之助が明治天皇となっていたとしても、明治維新を南朝の再興と考えれば問題は無い」とする意見も聞かれますが、寅之助が作蔵の息子であることを踏まえますと、明治維新南朝再興論は成り立たないことになります。
 
さらに、スエの問題にも注目してみることにしましょう。Wikipediaによりますと、大谷という姓は、浄土真宗の一派である本願寺の法主を世襲によって継承した覚如(親鸞の曾孫)の子孫の家号でしたが、住職家が明治時代に名字必称となり姓として用いるようになったそうです。従いまして東本願寺大谷家と西本願寺大谷家があることになりますが、スエは、西本願寺大谷家の血縁者であるとされております。
 
そこで、西本願寺について調べてみますと、①本建物を豊臣秀吉の伏見城の遺構とする俗説がある、②親鸞は明治天皇から見真大師の大師諡号を1876年に贈られた、③寺に遺る江戸初期の文書『紫雲殿由縁記』(寛永15年成立、延亨4年増修)には豊臣秀吉の遺構だと記されていることから聚楽第の遺構との説も広く流布されている、④確証はないが寺院の唐門は、華麗に過ぎるところから聚楽第の遺構とも伏見城の遺構ともあるいは元和2年以降破壊が進んだ豊国神社から移築されたものとも伝えられる、といった点から、西本願寺と豊臣秀吉との強い関連性が認められます。西本願寺は、あたかも秀吉の居城を移築したがごとくの様相を呈しているのです。
 

豊臣秀吉の時代とは、大航海時代の只中にあり、イエズス会が日本国内におきまして活発に活動を展開していた時代です。山口県は、フランシスコ・ザビエルが滞在していたイエズス会色の強い地域であります。スエ問題に考察を加えることで、明治維新という‘皇室劇場’の発端となる事件の真相が明らかとなってくる可能性があると言えるでしょう。


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(続く)

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