時事随想抄

国家と国民のための政治を考える

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  今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。明治維新によって明治天皇となったと考えられる大室寅之助の母親のスエは、西本願寺の大谷家の血縁者であった点、そして、西本願寺には豊臣秀吉との強い結びつきがある点は、昨日指摘いたしました。そこで、「大谷」という苗字が、関ヶ原の戦いにおいてその勝敗を左右したとされる豊臣方の武将、大谷吉嗣(1559〜1600年)を想起させる点が注目されてまいります(関ヶ原の戦いでは、徳川方、すなわち東軍は、先陣が切られると、まっさきに大谷陣に攻め入ったとされている)。果たして、大谷吉嗣には、以下の点からイエズス会との接点があるようなのです(1776年に、イエズス会士のヴァイスハウプトJohann Adam Weishauptがイルミナティーを創設)。
 
①吉嗣の父親の吉隆について、『姓氏家系大辞典』に「大谷刑部少輔吉隆は豊後の人にして」、『名将言行録』に「吉隆は大友家の臣なり、大友家亡し時、浪遊し、姫路に来り、石田三成に寄り、秀吉に仕ふ」、『国史大辞典』に「父は豊後の国主大友宗麟の家臣大谷盛治であるといわれている」とあることから、大谷家は、キリシタン大名の大友宗麟の家臣であったと考えられる。昨年の6月4日付本ブログにて指摘したように、フランシスコ・ザビエルやフランシスコ・カブラルと同様に、「ドン・フランシスコ」の洗礼名を持つ大友宗麟は、イエズス会内の親フランシスコ派であると考えられる。このことから、大谷家は、吉嗣の父親の代から秘かにイエズス会に入会していたとも推測される。
 
②天正13年(1585年)7月以前に、大谷吉嗣はキリスト教に改宗していたとされる。当時、日本において活発にキリスト教を布教していたのはイエズス会であることから、当然、吉嗣の改宗は、イエズス会への正式な入会をも意味していたと考えられる。
 
③吉嗣は、イエズス会宣教師のガスパル・コエリョGaspar Coelho1530-159057日)が秀吉を訪問した時に、安威了佐(あい りょうさ)と共にコエリョへ果物と干柿を持参している。ガスパール・コエリョは、ポルトガル出身のイエズス会士の宣教師であり、日本支部の準管区長を務めていた。コエリョは、1585年(天正13年)にキリシタン大名を支援する為、フィリピンからの艦隊派遣を求め、日本全土を改宗した際には日本人を尖兵として中国に攻め入る案を持ち、さらに、バテレン追放令が発布されると、大友宗麟や有馬晴信に対して、キリシタン大名を糾合して秀吉に敵対することを求め、自身もその準備に乗り出すなど、数々の軍事計画を立案した(コエリョは島原にて没している)。
 
このような3点から、豊臣家を軸に、西本願寺大谷家(大室寅之助・明治天皇の母親の実家)と大谷吉嗣との間には接点があり、その背後にイエズス会の存在が見え隠れしているようなのです。

 
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(続く)

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