時事随想抄

国家と国民のための政治を考える

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  今日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が記事を書かせていただきます。「ミュンヘンの宥和」のミュンヘンがバイエルン地方の中心都市であることも、イルミナティーと戦争との関連の問題を考える上で注目されます。イルミナティーが設立されたのが、バイエルンのインゴルシュタットIngolstadtであるからです。
 
そもそもバイエルンは、イエズス会の活動が活発であった地域、すなわち、ヨーロッパにおけるイエズス会の活動拠点とも表現できるような土地柄であったと言うことができます。その理由は、バイエルン公国の王家であったヴィッテルスバッハ家Wittelsbachsとイエズス会との密接な関係にあります。
 
16世紀、宗教改革が発生して神聖ローマ帝国内の諸侯たちが、プロテスタント派とカトリック派に分裂してゆきますと、バイエルン公国のヴィルヘルムⅣ世は、カトリック側に与し、1541年に公国内にイエズス会士たちを招聘し、「イエズス会・インゴルシュタット大学the Jesuit College of Ingolstadt」を設立させるのです。そして、この大学で教育を受けた次代のアルベルトⅤ世 AlbertV1528 – 1579年)の時代には、教育制度が、次第にイエズス会の手に握られてゆくようになり、プロテスタンティズムについての研究を進めることは、バイエルンでは事実上、妨害されるようなるのです。
 
このことは、ヨーロッパにおける近代戦争の問題と関連しているようです。ヨーロッパ全域を戦禍に巻き込んだはじめての戦争は、30年戦争とされております。30年戦争の張本人とされるのは、神聖ローマ皇帝・フェルディナント2Ferdinand IIですが、その母親のマリア・アンナ・フォン・バイエルン (1551-1608)が、ヴィッテルスバッハ家の出身です。このことから、フェルディナント2世は、幼少からイエズス会の教育を受けていました。そして、フェルディナント2世の最大の協力者であり、ミュンヘンで生まれた当時のバイエルン公・マクシミリアン1Maximilian I1573417 - 1651927日)も、イエズス会の教育を受けて成長しております。このイエズス会の教育を受けた二人によって、30年戦争は激化していったのです。
 
すなわち、30年戦争は、ヴィッテルスバッハ家とイエズス会によって引き起こされたと言っても過言では無いでしょう。
 
16世紀は、「戦国時代」と称されておりますように、日本におきましても戦争の時代です。来日していたイエズス会士のガスパル・コエリョGaspar Coelho1530-159057日)が聖職者であるにもかかわらず、武器弾薬を集めて戦争を準備していたことは、先に述べました。イエズス会の恐ろしさは、表向きは聖職者を養成する修道会でありながら、実際にはカルト的思想教育を行って洗脳することで、‘戦争屋’を養成していることにあるのかもしれません。すなわち、イエズス会とは、「戦争屋養成学校」であると考えることができるのです。
 

このように考えますと、近現代においてとみにその規模と範囲を拡大させるようになった戦争の勃発原因の解明は、カルト思想教育の問題も含めたイルミナティーの問題を抜きにしては議論できないのではないでしょうか。

 

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(続く)

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