時事随想抄

国家と国民のための政治を考える

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本日も、古代・中世史研究家の倉西裕子が、記事を書かせていただきます。フルベッキの集合写真には、大室寅之助が明治天皇として写っている他に、西郷隆盛も写っております。この点からは、大室寅之助、西郷隆盛、西郷隆盛の謎の長男(呉亀力)の3者が「チーム明治天皇」となったとする説は成り立たず、やはり大室寅之助のみが、明治天皇に成り済ましていたということになるのですが、以下の点から、やはり「チーム明治天皇」であったと考えることはできます。
 
それは、明治天皇の肖像画や肖像写真から、明治天皇には、眉が極めて太くて濃いという特徴があることです。この特徴は、ヨーロッパのユダヤ人にも見られることから、1891年(明治24)に来日したニコライⅡ世が会見した“明治天皇”は、この特徴を有していたと推測することができます。
 
ところが、フルベッキの集合写真の大室寅之助の眉には、この特徴がありません。むしろ、明らかにこの特徴を有しているのは、同写真においては西郷隆盛なのです。Wikipedia(日本語版)によりますと、ニコライⅡ世が来日した際に、世間では、「西郷隆盛は、西南戦争では死んでおらず、ロシアに逃亡しており、ニコライⅡ世の船で、日本に帰って来た」という噂がひろく流れたそうです。案外、この噂は本当であったのかもしれません。
 
ロシア国内のイルミナティー(黒いユダヤ人の国際組織)が、ニコライⅡ世の知らぬ間に、密かに西郷隆盛を露軍艦に乗せて日本へ帰還させたとも推測することができます。このように考えますと、西郷隆盛が「チーム明治天皇」に加わったのは1891年からであったと推測することができるかもしれません。西郷隆盛が征韓論者であったことは、よく知られております。征韓は韓国併合を意味している点を踏まえますと、1910年の日韓併合は、「チーム明治天皇」の一人となった西郷隆盛の主導で行われたと考えることはできるのではないでしょうか。
 
西郷隆盛の征韓論とは、西郷が李氏朝鮮に赴き、そこで騒ぎ、すなわち、西郷暗殺事件、もしくは、暗殺未遂事件を起こさせ、これを理由に韓国を武力併合するというものでした。1910年の日韓併合は、伊藤博文の暗殺事件を契機としていることにおいて、そのプロットは、西郷の征韓論に近いのです。
 
今日、5月11日は、大津事件の起こった日です。大津事件を起こした津田三蔵は西南戦争に下士官として従軍しており、西郷が生きていたとなりますと、西南戦争での栄光がなくなると思い、凶行に及んだといわれております。津田がこのような大事件まで起こしたことは、西郷帰還の噂には、かなりの信憑性があったことを示唆しているのではないでしょうか(従軍していたからこそ、西郷が生存していることを知っていたのでは)。

 
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(続く)

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