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書庫気になる画家千夜一夜(18世紀)

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カナレット

 カナレット(1697〜1768年)はヴェネツィア共和国で活躍したイタリア人景観画家です。
                カナレットの肖像
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 カナレットはヴェネツィアで画家ベルナルド・カナールの息子に生まれました。父親と識別する為に、カナレット(「小カナール」の意味)と呼ばれ始めたようです。20代の頃ローマで父親と舞台背景を描いたりしていたようです。1720年頃にヴェネツィアへ戻りました。英国商人ジョセフ・スミスがパトロンとなり、景観画を多く描きました。1750年前後の10年間で数回英国に滞在したようです。年代順に作品を紹介します。
         サン・マルコ広場(カナレット 1723年作)
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       サン・マルコ広場前の流域(カナレット 1730年作)
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      サン・マルコ広場とバジリカ(カナレット 1730年作)
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       サン・マルコ広場前の流域(カナレット 1738年作)
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      フランス大使のドッジ王宮到着(カナレット 1742年作)
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      イートン・カレッジのチャペル(カナレット 1747年作)
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 ウエスト・ミュンスター橋の下に見えるシティー(カナレット 1747年作)
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        アルンウィック城(カナレット 1750年頃作)
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        サンタ・チアリの運河(カナレット 1750年作)
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         サン・マルコ広場(カナレット 1760年作)
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 調べると非常に多作な画家だったようです。世界中の美術館でカナレットの作品が見られるのも頷けました。

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 アントン・フォン・マロン(1733〜1808年)はオーストリア出身の画家で、主にローマで活躍しました。
            自画像(アントン・フォン・マロン作)
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 アントン・フォン・マロンはウィーンで画家の息子に生まれました。1751〜54年の間ウィーン美術アカデミーで学び、1755年にローマに移りました。アントン・ラファエロ・メングの弟子となり、1766年にアカデミア・ディ・ルカの会員となりました。1772年からウィーン美術アカデミー再編に尽力し、ウィーンやローマで学生を指導しました。作品を紹介します。
          ヨハン・セアヒム・ヴィンケルマンの肖像
         (アントン・フォン・マロン 1768年作)
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    ヨーゼフ2世の肖像(アントン・フォン・マロン 1772年作)
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     ヨーゼフ2世の肖像(アントン・フォン・マロン 1775年作)
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       自画像(アントン・フォン・マロン 1789年作)
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  Michelangelo_Cambiasoの肖像(アントン・フォン・マロン 1792年作)
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        オレステスの帰還(アントン・フォン・マロン作)
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         羊飼いと聖母(アントン・フォン・マロン作)
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       マリア・テレジアの肖像(アントン・フォン・マロン作)
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     Anna_Pieri_Brignoleの肖像(アントン・フォン・マロン作)
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         貴婦人の肖像(アントン・フォン・マロン作)
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         貴婦人の肖像(アントン・フォン・マロン作)
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 眼差しをうまく描いた画家のようです。

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 ヨハン・ペーター・フォン・ランガー(1756〜1824年)は宗教画や肖像画を多く描いたドイツ人画家です。
         ヨハン・ペーター・フォン・ランガーの肖像
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 ヨハン・ペーター・フォン・ランガーはデュッセルドルフで貴族に仕える庭師の息子に生まれました。1775年からプファルツ選帝侯領絵画・彫刻・建築アカデミー(デュッセルドルフ美術アカデミーの前身)で学びました。アカデミー展覧会で1776年に二等、1778年に一等を受賞して、奨学金を得ました。1784年に同アカデミーの教授に就任しました。1788年にオランダ研究旅行をしました。フランス革命後の荒廃でデュッセルドルフ美術アカデミーは活動を停止しました。1801年に平和が訪れ、デュッセルドルフ絵画館館長に就任しました。1802年にデュッセルドルフ美術アカデミーの活動が再開しました。1808年バイエルン王に招かれ、ミュンヘン美術院の校長に就任しました。同年貴族に叙せられました。作品を紹介します。
    思想家ヤコービの肖像(ヨハン・ペーター・フォン・ランガー作)
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    実業家ゼーリヒマンの肖像(ヨハン・ペーター・フォン・ランガー作)
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  Kronprinzessin Thereseの肖像(ヨハン・ペーター・フォン・ランガー作)
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    子供へのキリストの祝福(ヨハン・ペーター・フォン・ランガー作)
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      アダムとエヴァ(ヨハン・ペーター・フォン・ランガー作)
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      キリストの昇天(ヨハン・ペーター・フォン・ランガー作)
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      貞淑なペネロペ(ヨハン・ペーター・フォン・ランガー作)
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       平和の寓意(ヨハン・ペーター・フォン・ランガー作)
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       芸術家の夫人(ヨハン・ペーター・フォン・ランガー作)
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        化学者(ヨハン・ペーター・フォン・ランガー作)
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      芸術家の息子たち(ヨハン・ペーター・フォン・ランガー作)
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      聖ヨハネと聖母子(ヨハン・ペーター・フォン・ランガー作)
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 インターネット上に綺麗な写真が少ない画家です。理由は良く分かりませんでした。

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 アントン・ラファエル・メンクス(1728〜1779年)は新古典主義の先駆けとなったドイツ人画家です。
      自画像(アントン・ラファエル・メンクス 1775年作)
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 アントン・ラファエル・メンクスは現チェコのウースチー・ナド・ラベルでザクソン王室宮廷画家の息子に生まれました。父から絵画の手ほどきを受けました。1741〜44年の間父親とともにローマに住み、ドイツ帰国後17歳の時にドレスデンで画家となりました。1746年に再びローマに行き、カソリックに改宗しました。1749年ドレスデンに戻り、ザクセン選帝侯フリードリヒ・アウグスト2世の宮廷画家となりました。1751年ローマへ行き、サン・ルカ・アカデミー会員になりました。1755年新古典主義理論化と知己を得て、ロココ様式から離れました。その後ナポリ、ローマ、マドリードを行き来し、マドリードではゴヤを支援したと伝わります。年代順に作品を紹介します。
      自画像(アントン・ラファエル・メンクス 1744年作)
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    パリスの審判(アントン・ラファエル・メンクス 1757年作)
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            ガニメデスに接吻するジュピター
       (アントン・ラファエル・メンクス 1759年作)
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  夜に擬人化したディアナ(アントン・ラファエル・メンクス 1765年作)
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  昼に擬人化したヘリオス(アントン・ラファエル・メンクス 1765年作)
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  若いカルロス4世の肖像(アントン・ラファエル・メンクス 1765年作)
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    キリストの捕縛(アントン・ラファエル・メンクス 1769年作)
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    我に触れるな(アントン・ラファエル・メンクス 1769年作)
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      自画像(アントン・ラファエル・メンクス 1774年作)
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    聖ヨセフの夢(アントン・ラファエル・メンクス 1774年作)
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          ヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマンの肖像
       (アントン・ラファエル・メンクス 1777年作)
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        聖ペテロ(アントン・ラファエル・メンクス作)
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         聖母子像(アントン・ラファエル・メンクス作)
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       洗礼者ヨハネ(アントン・ラファエル・メンクス作)
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 新古典主義の香りもしますが、ルネッサンスやスペイン絵画に通じるものも感じます。

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 ヨハン・セバスティアン・バッハ(画家)(1748〜1778年)は同名の音楽家(バッハ)の孫にあたるドイツ人画家です。
        ヨハン・セバスティアン・バッハ(画家)の肖像
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 ヨハン・セバスティアン・バッハ(画家)はベルリンで、音楽家カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの次男に生まれました。ライプツィヒでアダム・フリードリヒ・エーザーの指導を受けました。1773年にドレスデンへ、更に1776年にハンブルクに移りました。1776年9月にローマへ向かいましたが、到着直後の1777年2月に重病となりました。翌年亡くなりました。作品を紹介します。
 神殿と水路のある田園の風景(ヨハン・セバスティアン・バッハ 1776年作)
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DamosとMusidora(ヨハン・セバスティアン・バッハ 1777年に版画の原作)
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    ガラテイアの勝利(ヨハン・セバスティアン・バッハ 1778年作)
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    森の中で入浴する羊飼いたち(ヨハン・セバスティアン・バッハ作)
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   猟師と犬のいるアルカディアの風景(ヨハン・セバスティアン・バッハ作)
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   Paul Gabriel Buffardinの肖像(ヨハン・セバスティアン・バッハ作)
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       山に近い川の風景(ヨハン・セバスティアン・バッハ作)
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30歳で若くして亡くなったようです。

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