ぎゃらり壷中天 鈍青房掌編

“鈍青房”は小生の庵号です。物をめぐる掌小話を掲載していきます。

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  『ノブレス・オブリージュ』
 
 自分が選ばれた人間ではない。ということを貴志は小学校の四年生の時に初めて自覚した。頭もよくないし、足も速くない。顔も悪いし背も低い。度胸もないからリーダーシップなどあるわけもない。そのことが子供心にわかったのはクラスにそれらのすべてを兼ね備えた友人がいたからである。それが藤原宗介君だった。
「宗介ちゃんは御家柄も立派だからね。お父さんも代議士さんだし・・・」それが貴志の母親の口癖になっていて、「それに比べてうちは父ちゃんもお前もねえ・・・」と続くのが常だった。藤原宗介君との比較という構図の中から初めて自我というものが意識されるようになってきたのであった。
 
 あるとき、学校でいじめが発覚した。一部の者が奥村というクラスメートをことあるごとにいじめていたのである。奥村には確かにその弱さや卑屈さが誰にも伝わるような振る舞いがあったから、直接手は下さないまでも同級生たちは皆その様子を見て見ぬ振りだった。誰の心の中にも自分より明らかに劣っている者への優越感から相手を卑下する心根がある。貴志にも同様の感情が確かにあった。ところが、クラスでたった一人、宗介君だけが敢然と奥村をかばって立ちはだかったのである。
「みんなで一人の友達をいじめるのは」ここですこし間をあけて「卑怯だよ」
宗介君はみんなの前でそう宣言したのである。誰もが宗介君には一目置いていたし、その頃は“卑怯”という言葉が小学生たちにも十分な効果があったから、それ以来、奥村へのいじめも次第になくなっていった。
 それから三十年の時が流れ、長じた貴志は案の定しがない勤め人として、社会の片隅で世の中を斜めに見てはその他大勢の一人に甘んじて生きていた。片や宗介君は父親の地盤を受け継ぎ、若手の政治家として次第に頭角を現してきている。マスコミへの露出度も高まり、次期内閣では閣僚入りも噂され始めていた。
 そんな宗介君を中心に三十年ぶりの小学校時代のクラス会が開かれた。多忙を極めていた彼も懐かしさだけでなく、次の選挙の絡みもあってか、時間をやりくりしてやってきた。スケジュールの都合で最後まで付き合えないという彼にマイクが渡され、そこで彼が語ったこと。
「これはいわゆる竹馬の友である皆さんだからお話しすることです。受け止めようによっては生意気だとか驕りだと取られるかも知れない。でも僕はここで僕の思いを皆さんにだけは伝えておきたいと思っているのです。それはノブレス・オブリージュということ。聞きなれない言葉ですから、わからない人も多いと思いますので、簡単に説明しますと、フランス語であるこの言葉は“社会の高い地位にある者はその等量の義務を負う”ということです」彼は慎重に言葉を選んでいるように見えた。「誤解を恐れず申し上げますが、恵まれた地位や優れた力を持った者が社会的弱者や恵まれない人々を支えていくという考え方。中世ヨーロッパの騎士道精神が今も欧米の社会では生き続けているのです。僕がそういった地位にある人間で、恵まれない人々に施しをしてやろうという話ではありません。子供のころから、つまりここにいるみんなと遊んでいたころから、僕は成長するにしたがって自分の境遇をすこしずつ意識するようになりました。そして実はそのことの重みに悩みました。時にすべてを投げ出したい思いに駆られたこともありました」
 貴志もクラスメートも宗介君の真摯な語り口に静かに耳を傾けた。しかしいったい彼が何を言いたいのかが、なかなか見えてこなかった。
 「どうも今日は普通じゃないな。幼馴染のみんなには隠せないよ」と思い立ったように最後にこう言った。「ややこしいことはともかく、僕がここで宣言したいことは一つです」そこで一呼吸おいて「僕は総理大臣を目指します。そしてノブレス・オブリージュの精神に基づいた新しい社会の仕組みを目指します」大きな拍手が湧いた。結局、同窓会は彼の政治独演会の様相を呈した。しかし参加した者たちは貴志をはじめとしてそれを好意的に受け止めた。宗介君なら本当にそのことを実現させてくれそうに思えた。
 
 その後の宗介君はマスコミから発言を求められるたび、現代社会に歴然として存在する格差を否定するのではなく、だからそれをどう緩和していくのか、そのための具体的方法について語る場面が多くなっていった。
 しかし、貴志はその様子に触れるたびに思うのである。
 ――大多数の選ばれなかった者たちにとって、雲の上で何が起こっていようともその様子はなかなか見えないということだ。ただ雨が降ってこないことを願うばかりだよな、と。為政者の本心はなかなか伝わりにくいものなのである。     
                                                                                                      了
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