ぎゃらり壷中天 鈍青房掌編

“鈍青房”は小生の庵号です。物をめぐる掌小話を掲載していきます。

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ゆらぎ

  『ゆらぎ』
 
 「数学的見地から言えば、どこまでもまっすぐにのびる無限の線のことを“直線”、有限のものは“線分”として区別する」竹中さんは言う。彼は建築家。「直線とは人工的なものだ。自然界に直線は存在しない。目の前の水平線がまっすぐなように見えても大きな曲線の一部であることはピタゴラスやトスカネリやガリレオ・ガリレイに聞かなくたって、現代人ならわかるよね」
さらに続けて、
「しかし、都市には直線が溢れている」
「人間がつくった道路や建物は確かに直線的ですね」
俊平君は画学生。自分のスタイルを懸命に模索している。絵を描くことを男子一生の仕事として自分に課していこうと決めた、と言う頼もしい青年だ。
「直線は物理的な強度をもっているだけでなく、見た目にも痛快だ。ある種の心地よさをともなう」
竹中さんの言葉はたくさんの経験の中から導かれているから、大いに説得力がある。しかし、二人のやり取りを傍で聞いていた夏子さんは何か言いたそうだ。彼女は文学部の学生。就職を控えている。竹中さん、俊平君、夏子さんの三人は初対面。夏子さんは二人のたたみかけていくような会話になかなか口をはさめないでいた。
「夏子さんはどう思うの?」
骨董屋の店内で居合わせた三人。ひょんなことから話は佳境に入ってきた。店主の中川が夏子さんに振る。
「私が今一番関心があるのは、“ゆらぎ”ということなんです。お二人が話されている直線の魅力に関する刺激的なやり取りにも納得するところがいっぱいありますが、たとえばこんなふうにも言えませんか」夏子さんは話しながら、次第に自分の考えの道筋が見えてきたようだ。「都市にはゆらぎもある」
「おもしろそうだ」
竹中さんはすぐに反応した。
「都市を作ったのは人である。人と人との関係性にはゆらぎがある。個々の魂のゆらぎ、存在のゆらぎから生ずる人間関係のゆらぎのことです。それは平均率によって画一化され統制されることのできない世界です。都市はゆらぎで成り立っている。そういうとらえ方・・・なんですけど・・・」
最後はちょっと自信なさそうに。
「“ゆらぎ“という言葉を夏子さんがどういう意味で定義しているかをもう少しはっきりさせてからでないと、この問題をみんなで掘り下げていくのにはズレが生じてしまうよね」
中川が助け船を出す。
「でも、おもしろい観点だよ」
竹中は言う。
「僕もそう思います」
俊平君も同調する。
「“ゆらぎ“は芸術や文学にはもちろんだけど、建築や都市工学なんかにもどこかで関わってくる要素ですよね、きっと。おもしろそうだ」
中川が話をまとめる形になってしまった。これはとても短時間で語りつくすことのできない問題だ。閉店の時間をとうに過ぎていたし、みんなお腹が空いていたから、「ひとまず今日はこの辺でお開きに」と、またの再会を約束して竹中さんと俊平君が帰っていった。最後に夏子さんが残った。
「自分だけで考えていると、漠然としてちっともまとまらないことが、人とのスリリングな会話の中からクリアーになっていくことってやっぱりあるんですね」夏子さんはまだ話し足りない様子だった。
「みんな同じような場所でうろうろしている種族だからかな。シンパシーを感じ取ってしまうんだろうね」
中川は片づけものをしながら答える。
「私、決めました」
「何を?就職のこと?」
「いえ、それはないしょです。何年か経ったら、また報告にきます」
という会話があってからもう五年くらいは過ぎただろうか。中川はすっかり忘れかけていたが、ふと夏子さんの言葉を思い出した。彼女はまだ報告に現れていない。
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