凛々とね・・・

病気の記事は「家族がうつ病になった体験談」です。なので、はじめから読んでもらえるとうれしいです。

病気のこと

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身近な人がうつ病になったらどうしますか?
ここでは私が体験したことを書いています。
文章が多少前後して読みにくいかもしれませんが、はじめから読んでいただけるとうれしいです。
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春に前向きに会社への復帰を期待して徐々に良くなって着たように思えたが、私がいないと不安が募って仕方ない様子。

私は可能な限り一緒にいられるように仕事場、又は近くまで彼を連れて歩いた。
病気のことをオープンにしていたので、仕事を出してくれる方がとても理解を示してくれてありがたかった。ときには奈良県まで連れて行ったこともあった。

病院に通い始めて1年がたった。
私も病気に対しての対処の仕方がわかってきたし、彼自身も自分の病状に向き合ってきたので、
病気とうまく付き合って行こうと話し合ったりした。
パニックを起こすことをしない。人ごみに行かない。急な行動をしない。
起こしそうなときには事前に薬を飲むなど。

このときの日記の文字はしっかりしていて、以前に比べると落ち着いている感じがする。
徐々に会社に復帰できるようにパニックを回避しながら、ちゃんと会社まで行けるように自主的に練習を始めたところだった。

そんな中、会社の保険機関と復職についての話し合いの場がもたれた。
なぜか、健康機関は早々に会社の用意した復帰プログラムを受けるように急かせる言葉を吐いてきた。
もう一年たったから治ったと思ったのだろうか?彼にとって一番苦手な対処をされた。
案の定、その場でパニック、この日からがっくりと体調が悪くなった。

担当の先生は鬱に対しての知識があまい人で彼のペースを理解できない様子だった。
おまけに前回の話し合いの内容を覚えていない・・・。
何度も同じことを聞かれた。その先生はそのたびにメモを書いていた。いったい何のメモやら。
会社の健康機関は会社と本人とメンタルクリニックの医師をつなぐ役割を持っているのに・・・。

毎回、嫌な思いをして具合が悪くなるので、私が代理で健康機関との話し合いをすることになった。

代理で行った私はほとんど健康機関の医師とケンカをしに行っているような感じだった。
もう今は印象しか覚えていないけど、結局、その先生のアシスタントしている人に頼って通訳をしてもらう始末。その人曰く、健康機関のその医師は話し合った内容を覚えられないらしい。だから一言一言メモをとっているとか・・・。だから彼のカルテはあんなに分厚いんだ。と思ったのをよく覚えている。

このころは彼が会社にもどったら・・・どうするか、どのような仕事がよいか、考えていた時期でした。

とても会社に復帰できるような状態ではなかったけれど、以前のように無表情で、力なく横たわったりしてはいなかった。波はあるけれど上昇じているような感じがする時期でした。

今までは全く本が読めなかったのが、読もうという気持になったり(実際長い時間は無理ですが)、
私以外の人と会話ができたり、率先して外出したりしていました。
また、私の仕事を手伝ってくれたり、パソコンのセットアップをしてくれたり、ちょっとづつですが、出来ることが増えたり、前向きな考えに変わっているようでした。

ただ、上昇しているとはいえ、数週間ごと調子が良くなったり、悪くなったり、また、1日の中でもいいとき、悪いときがありました。

3月末に行った血液検査(定期的に行っている)で高脂血症と診断され、甘いものを食べることを控えた。日記には食べたものをメモするようになった。このままいくと糖尿病になってしまうとのこと。
このころ、糖尿病の本を買ってよんでみたり・・・。
(わからん。料理は苦手です。)

彼の体重がどんどん増えていきました。私は逆にやせていきました。
同じものを食べているのになぜ?

彼が前向きになってきたのもあって、体調は万全ではないのですが、5月に旅行を計画しました。

うつになった原因が会社での過剰な労働が原因だったので、
会社との接点を極力切っていた。

メール、電話等一切を本人に送らないように頼んでいたし、
本人も会社からのメール・電話があると当時のことを思い出し、
パニックを起こしたり、うつ状態になっていた。

しかし、体調が落ち着いてきたせいか?、
それとも、自分の査定などをひどく気にしていたからか?
本人は会社との接点を持つよう心がけていたようだ。
復帰を意識していた。

自分の信頼する課長に連絡をとったり、職場に顔を出したりしていた。。。
このころから、ちらほら復職の話が出てきた。

会社の保険機関、主治医と連絡がとられ、主治医も復帰を目指した治療を始めた。
彼の日記には、パニックを起こした時間、眠った時間などわかりやすく印をつけるよう指示されている。

この印の意味は、1日に何回パニックを起こすのか、何をしようとすると起こるものか、
を理解するために。また、眠りが浅かったか、熟睡したかなど。

何週間かそれを続け、パニックを回避する方法、
パニックが起こらない生活を意識するように訓練していた。
睡眠に関しても同じ。

2002年2月19日の治療中の彼のメモには、
先生からのコメントが書かれていた。
--
・無理せず、焦らず、落ち着いて対応する。(パニックに対して)
・コーヒーは夕方は飲まない。
・薬を飲むときは充分に水分を取るように。
・パニックと上手に付き合っていく。
・32条適用されるとリスクを伴うので・・・(意味不明)
・2〜3種類の薬は治ったと思っても、半年から年単位で飲み続ける。
--
この治療のあとの日記には、
・外出をしたか、しないか。
・パニックを起こしたか、起こさなかったか。
・眠った時間。よく眠れたか、そうでないか。
がはっきりとわかるようにマーキングされるようになった。

今、思い出したがこのころ私も睡眠導入剤(レンドルミン)を飲み始めていた。
きっかけは・・・。
彼:「一緒に眠ってほしい」(私が隣で寝ていないと気になって眠れないから)
私:「同じ時間に眠れないよ」(確かにこのとき夜型になっていた)
彼:「でも、自分が寝れなくて困るから」
私:「わかった。寝る努力をするよ」(実際、眠れず、彼が寝た後、こそこそ起きていた)

そんなことが続いて、「眠れるように薬をもらったほうがいいよ」と言われ、
睡眠障害に苦しんでいる彼に対し、悪いと思っていたので、あまりいい気持はしなかったが承諾。

といった流れ。

でも、睡眠導入剤飲んでも、眠れないものは眠れないのよ。。。
なんで、私が薬を飲まなきゃならんの?という気持と、
仕方がない、それで気が済むのなら、という気持でモヤモヤしてしまった。

本人が前向きになっていたので、それで良かったと思っていました。

12月に入ってからは特に調子が悪かった。
日記の内容は、「おきる」「ねる」「おきる 薬」「ひるね」で表記され、たまに「全てのことがめんどうになった。何もしたくない。死んでもいいとちょっと思った」などと書いてある。
---
【1週間をまとめたメモ】
1.すいみんについて
日曜日をのぞいて良くねれた。じゅくすい感が得られた日もあった。
2.イライラ感について
薬を飲んで3〜5H後、薬が切れた感じがする。また、イライラ感も非常に強く、
物をこわしたり、なぐったりしたい気分になり、とまらない。セパゾンを飲んで、
1H位するととまる。夜、イライラすると薬がないので困る。
3.galovanが横で寝ていないと気になって起きてしまう。
4.自殺願望が出ることがある。
5.食欲がない。

翌週メモが書けず、まとめて記載
【12/4〜12/10】
1.すいみんは良くとれた。
日中もすごくねむく、本を読んではねるのくりかえし。夜は3日間、夜1時にねて、
3時にめがさめる日があった。その日はねた気がせず、日中よくねれた(そのうち2日は妻徹夜)
2.イライラ感について
3日間、イライラ、モヤモヤ感がある日があり、足をばたばたさせたり、頭をたたいてみたりを
1〜2時間していた。夜中にでることが多い。
3.食欲は出てきた。
4.自殺願望は今週はなかった。
5.パニックは1回あった。
今週外出したのは、1日だけでその外出の日、映画を見に行った。土曜日の昼だったので、
人がすごく多く、気分が悪くなった。そば屋に入り、セパゾン(※精神安定剤)を1錠だけ飲んで
館内へ、映画の途中ねてしまった。
6.コロネル(※整腸剤)をください。
---
この後の日記では・・・
・会社からのボーナスが支給される時期と査定時期とが近いため、自分への評価が気になっていること
・出かける前に準備が整わなかったことでパニックを起こしたこと
・通院に私が付き添っていたが仕事で先に帰ることになったことが不安になったこと
・おそらくその不安が原因で、数日、精神的に不安定になったこと
・私が夜仕事をしていることを不満に思っていること
・私宛てに仕事の電話がかかってきて、落ち着かない・・・自分が仕事をしているような気分になってしまうこと

どうも私が仕事をしたことで、彼に影響をかなり与えていた。彼が一番心配していたのは会社での立場、そして私。ちょうど会社が下す査定で自分が会社にどのように評価されるか、唯一形としてわかる時期だった。そんなときに私自信は仕事に逃げていたのかもしれない。

また、自宅で仕事をすることが彼自信が働いていた会社を思い起こすきっかけになっていたようだ。
当時はそんな些細なことが彼に大きく影響するとは予測できなかった。
今、日記をみると一目両全なのに・・・。

■2001年11月27日
AM 1 ねる
AM 5:30 おきる。少しねた気がする
AM 6 薬
AM10:30〜12:00 ねる
PM 2 薬
PM 3 外出(区役所)
PM 4 帰宅
PM 4:30
くやしい。会社を1年休んだことは事実だが、元を正せば、会社が自分に対して、負荷をかけ、HELPにも応じずこうなった事が原因であることを何で、会社はつぐなわないのか?こんなに苦しい思いをして働いて病気になった自分に対しての評価は1年の休職。それだけかよ、会社としてつぐなえ。この1年の苦しさを何らかの形で評価しろ ちくしょう やりきれねぇ
PM5〜6 ねる
PM6〜7 TELでおきて、またねる。
PM 8 薬
PM 10
いじょうにこうふん状態 ラリっているような感じ。体のこうふん.心のこうようがおさまらなく、うんどうきを使ってまぎらわすが、かわらない。急にわらったり、かなしくなったり、いじょうだ。体のこうふんがおさまらない。妻にきいた所 目がラリっている目だと言っていた。AM12:00にだいぶおさまる。
AM0:30 眠剤
AM 1 ねる
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このころは毎日家でソワソワして、落ち着かず、だるくて昼間に数時間ほど寝て、起きる。また、ソワソワして、だるいのでまた寝るという状態。昼間寝てしまうせいか、夜の眠りが浅い。

何もしていないと頭の中で嫌なことを考えてしまうので、何かしようとして本を読もうとしたり、ネットワークのテストをやってみたりしていたようだが、全くできなかった。

唯一、集中して出来たのがパチンコ。。。パチンコに行っては負けて悔しい思いをしていたようだ。私も一緒に行っていたので、二人で折半して勝ち負けトントンといったところ。このとき聞きかじったことだが、うつ病の人は割とパチンコはできるらいしです。なんか落ち着くみたい。なぜかはわかりませんが・・・。

薬も半端なく飲んでいたので、1ヶ月くらい、もっとかな・・・薬のせいか、目の下にクマが出来て、目がうつろで、ときどきニマ〜と笑ったり、と思うと泣いたりコロコロと表情が変わって恐かったです。もちろん、このことは医師に伝えていました。

メモも単語で書かれていたかと思うと急に思ったことをガーと書いてあったり・・・。脇にいてハラハラしていました。このときは私は昼間は可能な限り様子を見て、夜こっそり仕事をしていました。彼はそれが気に入らなかったようで、「夜、仕事をしないで昼間やればいいのに」と日記に書いてあります。

仕事の内容(イラストレータさんのイラストの締め切りが24時でそれをまとめ納品する仕事)のせいもあるけど、一日のどこかで気を抜いている時間が欲しかったんです。それが彼が寝ている間ですが・・・、私が隣にいないと起きてしまって、眠れないとのこと。理由を説明したが理解してもらえませんでした。。。

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