凛々とね・・・

病気の記事は「家族がうつ病になった体験談」です。なので、はじめから読んでもらえるとうれしいです。

病気のこと

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身近な人がうつ病になったらどうしますか?
ここでは私が体験したことを書いています。
文章が多少前後して読みにくいかもしれませんが、はじめから読んでいただけるとうれしいです。
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2001年5月から「メンタルクリニックB病院」にて治療を受けてきたが、はじめは何をどうしていいのかわからなかったが、病気を受け入れ、対処していこうと決めてから、徐々に病気とどんな風に付き合っていいのかわかってきたような時期でした。

日記を書くということは、うつ病にとってとても有効なツールです。毎日同じことの繰りかえしと思えることでも、日記をつけることで調子がいいときはいつなのか、悪くなるのはどんなときなのかが見えてくるから。

うつに対して、薬を調整していたけれど、ただ飲めばよいというものではなく、薬を飲むことによって、感情のコントロール、パニックのコントロール、生活のリズムのコントロールをしていたんですね。すべて、本人が通常の生活に戻れるようにしていたことです。

うつ病になると健在だったころできていたことが出来なくなります。本人は焦ります。このままどこまで落ちてしまうのか。。。自分はこのまま何も出来なくなってしまって、人と接することも仕事も外に出て買い物をすることも何もできないという不安、恐怖。また、自分がなぜこのような思いをしなくてはならないのか、どこが悪かったのか・・・答えのない問題を永遠と考え、疲れてしまいます。楽しいと思えることは何もなくなって、笑うこともなくなります。

最後は自分を責めて、生きていく価値がない、生きていても仕方ないと思い、また、周りに迷惑をかけてしまって、申し訳ないと考えたりします。医師が言った言葉でうつ病の人が死にたいと思うことは、病気がそう思わせているのだと。だから、死にたいと思っても病気がそう思わせている、本当のあなたは決してそう思っていないのだから、死んではいけない。と。私もこの言葉を心に刻む。

彼はこのとき完全に私に依存していました。病気になる前から私をとても大切にしてくれて、私の仕事の理解もしてくれていた。私の交友関係、仕事柄飲みが多く、映像系だと下心の多いひとと接していかなければならないこともちょっとはわかっていたと思う。でも病気になってからはそのことが気になって仕方ないようだった。

あるとき、発注をくれたプロデューサから頻繁に携帯へ電話、メールが届いていた。メールの内容はふざけていエロいものもあった。もちろん、まじめなものもあったけど。まぁ、悪のりしている!で、適当にあしらっていたのだが、コレを偶然、旦那に見られたことがあった。彼の精神状態は上に書いたとおり。私の携帯を頻繁にチェックされていた。着暦時間、通話時間、通話明細等々・・・私はちょっとうんざりしていた。でも、しょうがないので、PCを含め、メール、アドレス、携帯も全部見ていいよと伝えた。私自身何も恥じることはなかったから。

でも、夫婦ともなるとこんなことまで、オープンにしなければならないのか、正直イヤだった。なんか、見せたくないお尻の穴の中まで見せてる感じ。浮気なんてしないのになぁ。信じてほしいなぁと強く思ったけど、彼の心理状態もわからないでもないし・・・。私が折れればいいのかと我慢した。でも私も感情のある生き物なんで、わかっているとはいえ、ちょっと冷たく接してしまった。

彼の日記にはそうした私の態度も書かれて、それに対してどう思ったかが書いてあった。このとき、彼は自分の日記を私に(自分のすべてを)見せているから、私のすべてを知りたい、それが当たり前と思っていたのかもしれない。

彼の日記に
「galovanの涙の理由は自分がgalovanをがんじがらめにされているという気がするときに涙が出てくる。何かさみしさを感じる。自分ではそうしているつもりは無いがそう取られているのであれば、最近またメールの内容があたまにわいてくる。だいぶ流せるこうになったが、いっその事すべてを消したい。消せる方法は無いのか?」
とある。

私は10月からフリーランスで仕事をはじめた。旦那も病気、私は失業では生活できないから。
可能な限り自宅で作業できることを始めた。週に数回は打ち合わせが確実にある。
彼を一人で自宅においておくことも出来ず(死にたいという気持があったので心配だったから)、打ち合わせに彼をつれて行った。理解のあるクライアントには現場に。そうでない場合は近くの喫茶店で1時間ほど待ってもらった。とにかく私が自分の知らないところで何をしているか、モンモンと考えてしまうなら、連れて行ってこんなことしているんだと知っているほうが良いだろうと思った。外出の練習にもなるし。。。

■2001年9月24日
3:30ごろ 頭痛
5:00−7:00 ねる
7:30−9:00 ねる おきる
9:30 30分くらい頭痛 後頭部〜首筋にかけてバットでなぐられた様ないたみ。激痛!
10:30 薬
11:30−13:30 ひるね
15:00 薬 体がだるい
18:00−20:30 仮眠
20:30 薬
21:00−23:00 外出
23:00 薬(セル)※セル=セルシン
1:00 はをみがいているいる途中、はき気と共に後頭部の痛み再発。2-3分 朝の半分くらいのいたさ
1:30 眠剤
2:30 ねれない デパス1mg
------
このときの彼の状態は、生活のリズムが完全に狂ってしまっていた。夜眠れず、昼間に眠いという悪循環だった。睡眠薬を飲んでも眠れない。よくドラマなんかで睡眠薬でコロっと寝てしまうシーンがありますが、絶対うそだと思いました。人によって違うと思うのですが。。。

翌朝も痛みがあったので、病院に行ってレントゲンを撮りました。そのときは一応、様子を見ることで帰りましたが、24時ごろ歯を磨いているときにまた激痛が走り、ぶっ倒れてしまいました。本人はパニック状態であたふたしていましたが、言葉にならず。私もバターンと大きな音がしたので、何事かとドアを開けたら、彼が倒れているではありませんか!ビックリしました。

ただ、泡を吹いたり、痙攣を起こしている様子はなく、しばらくすると話が出来るようになったので、倒れた時の状況を聞き、とりあえず、今日行った病院に連絡し様子を伝えた。本来ならば、すぐ救急車に電話すべきですが、レントゲン検査の時、造影剤を注射して、顔色が悪くなり泡を吹くといったことやうつ病で大量に薬を飲んでいたので、まずはかかった病院に連絡してみようと思ったのでした。病状を伝え、病院からは救急車でその病院に来るよう指示され、50分ほどかかって行きました。

到着後、頭部のCTスキャンを撮り、血管が詰まったり、大量の出血まではないとのこと。ただ、少量の出血はCTではわからないので、出血の可能性は五分五分。今後、検査を徹底して行うか簡易な検査にするか彼も含めて話し合いました。

このときの彼の日記には、「出血の可能性が五分五分なので医師も迷っているとのこと。とりあえずリスクのない、簡易検査にすることを妻に決めてもらった」と書いてありました。
徹底的に検査すると本人の身体へのリスクが大きいとの理由で私の判断で簡易検査をすることに決めました。彼はどうして良いかわからないと言っていました。

この日一日ビックリの連続でした。本人もビックリしていましたが、私自身もあわてました。
うつの薬を大量に飲んでいたので、その副作用かもしれないし、それに関係なく起こったことかもしれない。本当にわからないことだらけでした。

あと、日記を部分的に転記していますが、このときは漢字が書けなくなっているんですね。
私は日々彼の様子を見るのと同時に彼の日記(メモ)を見て、彼の状態を判断していることが多かったです。気分の良い日や調子の良い日は漢字も書けるし、コメントが文章になって、簡潔に書かれていますが、調子の悪い日は字がミミズのような字で、単語を連ねているものになります。

■2001年8月24日
会社の保険機関に行くからか、よく眠れない。手に汗がでる。
AM 7:00 薬のむ。ルジ、レキ、コロ
AM10:00 ○○先生と話す。お試し出社してみたいと伝えたが、3ヶ月の休職をすべきだとのこと。
入社してから今迄の経過をを話しているうちに涙が出てくる。頭の中で今迄のことがかけめぐ
る。
PM12:00 ○○課長と話をする。休職になったことを伝える。○○さんが転きんになったことを聞く。
自分が原因なのかと心配になる。
PM 6:00 くすり。ルジ、レキ、コロ、セル
つかれがどっと出て来る。休職処分には納得できない。プロジェクトでメンバーが不足して
いて、相談できる人(設計)を入れて欲しいとさいさんにわたり部長に伝えたが、
入れてもらえなかった。そして自分がうつ病になり、休か、休職(休職は80%給与支給)
と何どもくるしまなければならないのか。しかも会社事由でボロボロになるまで
はたらいたのにこの処分はないのではないかとはらが立つ。それなら、のうのうと
仕事していた方がよっぽどましじゃないのか。納得いかない。
PM10:00 セル
つかれた。
AM 03:00? ねる。
_____
この日は休職を告げられたときの日記だ。会社に関係する出来事があると前日から緊張したり、
不安定になっていた。会社から電話がかかってきても長くは話ができない。話した後は、
疲れて眠ってしまっていた。

自分の立場が病気によって、どんどん悪くなるにつれ、怒りが抑えられないといった感じで、
普段温和な人なのに、頭の中ではぐちゃぐちゃ怒りが渦まいていて、イライラして、
記憶を消したいとまで書いてある。

また、私はそんな彼を見るのがつらかった。どう接していいのかわからなかった。
前は私自身のことはすぐに彼に話をしていたけれど、それはできず、そのせいか、
私の行動を細かく見ているようだった。電話が来れば、誰からの電話?メールが来れば、
誰からメール?と聞かれた。外出すれば、誰と会うか、何時に帰るか?聞かれた。

病気からきているとわかっていたけれど、24時間監視されているようでキツイとおもった。
可能な限り(刺激がないもの)は伝えようと心がけた。が、一度キツイと思ってしまうと
それが嫌でしょうがなかった。

何か考えなくちゃ。イライラを発散すること。私のことを心配した監視すること。

■2001年7月28日(土)
長野の妻の実家に行く。午前中すごくイライラして、大声を出す。
妻が徹夜をしていることが最近多く、体が壊れないか心配。
大声を出した後、妻がもう今日は(実家に)行かないと怒りはじめる。その後、妻が泣き出し、自分の頭が回ってないので、何を言おうとしているのかイマイチわからない。その後もイライラして、有楽町、東京でケンカをする。無理やり引っ張って、東京駅から新幹線に乗る。車内で田中国土交通省大臣がすぐ後ろにいることを発見。イライラもとまった。
−−−−−−−
このとき、彼は私の実家に行くことでパニックを起こしていた。数日前から事前に行くことを告げていた。2週間前には知らせていたと思う。突然、やることが増えるとパニックを起こしたり、うつ状態に入ってしまうからだ。突発的な出来事に対応できないでいた。

あまりにひどいので行くのを止めようかと話したが、彼は行くと言う。このときの私は彼とうまく接しようとしていたが、「もう、行くの止める!」と言ってしまった。彼はしたい、したくないの判断ができず、選択肢を用意するたびにパニックを起こしていたので、ほぼ、私が状況を判断して決めていた(つもり)。無理して行こうする彼の気持はうれしいが、行った後、私の両親に気を使い、気を使うことでまた具合が悪くなるのがわかっていた。

でも、彼は久しぶりに実家に帰るし、私も楽しみにしていたのを知っていたので、行くと言う。結局、私のためだ。なんでこんな思いしなくちゃならないんだろう?何で私は彼に対し、怒っているんだろう?と思っているうちに気持がごちゃごちゃになって泣いた。新幹線乗る直前まで行く、行かないでもめてた。私がいろいろ決めなくちゃいけないのに、最終判断は彼がした。ごめん、全然助けになってないね。

休職と病状

■2001年8月21日
彼の会社の保険機関の担当医と話をした。メンタルクリニックの医師とも連携が取られ、長期休職が決まった。彼が会社に隠していたことが無駄になった。休養と休職では、経歴上、全く違うらしい。休養は3ヶ月まで。休職は3年間まで。休職後3年以内に復帰できないと解雇される。さらに休職をしたことで窓際になってしまうのは確定のようだった。会社のために頑張って、病気になったのにその会社から解雇されることがあるなんて・・・。すごく悲しいことだと思う。彼が不敏で仕方がない。

このときの私はなぜ彼がこの会社にこだわるのか理解できないでいた。こんな思いをしてまで、なぜ?彼自身にはこの会社以外でも働ける場所はたくさんあったのに。ただ、一貫してこの会社でどうするかを考えている彼を私が理解してあげないといけないと思った。

この頃考えたことは、この人とどんな風に生きていこうか、ということ。友人には離婚したほうがいいといわれた。でも、彼は病気になっても自分のことだけ考えているのではなく、私を気遣い、とても愛してくれていたし、大切にしてくれていた。病気をしてもなお、私を心配してくれている彼の優しさに私は感動していた。

会社に対し病気のことがオープンになったことで、会社の親しい人に病気のことを告げた。そのことで彼が差別を受けることはなく、彼を気遣うよう皆さん接してくれていたようだ。とてもうれしかった。こんなことでも二人でわんわん泣いた。

このことで気を許す人が多かったのか、意外にも彼の職場の40人に1人は(隠し)うつ病、または(隠し)うつ病予備軍の人がいることがわかった。このことはとても衝撃だった。彼はどうしようもなくて病気を公表したが、公表できず、ひたすら我慢している人が多い。皆会社にバレるのではないかと苦しんでいる。家族を持っている人たちも大勢いるようだった。自分が経験したことで、皆が早く適切な治療を受けないと大変なことになってしまうと強く思っているようだった。

自分の仕事場のうつ病率が高いことを知った彼の決心は、自分のためにも、皆のためにも病気になっても、必ず復帰できるという事例を作りたいと考えているようだった。うつになっただけで、左遷され、昇格がおくれるなんて、ひどいことだ。怠慢でなるなら仕方ないけど、彼やみんなは怠慢ではないのだ。みんな一生懸命やっているのに仕事で異常なストレスをもったからだ。もたされたといっても過言ではないように思う。

頭回らなくて、苦しいのに。。。他人のことを思いやる気持をもっているなんて。すごい人だ。
私はそんな彼を見て正直、惚れ直した。この人の助けになりたい。そばで見守りたい。もし、彼が一生仕事ができなくなってしまったら、私が仕事をすればいいと思った。その覚悟をこのとき決めた。

友人には離婚したほうがいいといわれたが、私はそんな彼を見ていたせいか、自分自身、今回のことが不幸だとは思わなかった。ちょうど結婚2年目。ちょっと試練を迎える時期が早いと思ったが、まだ20代だし巻き返しが利くし、今だったらやり直せる。そう思った。絶対に乗り越えようと思った。

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