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鹿児島

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★全国県民性論破★
鹿児島県編/県民性

鹿児島の県民性
環境の良さと協調性に順応性が鹿児島県の県民性
◇ 鹿児島人

鹿児島の男性は、性根の据わった質実剛健の気性と、短気で怒りっぽい面を持っている。
論理よりも行動が先という性格である。
鹿児島人は上下関係に厳格な意識があるため、職場で従順な部下になりそうなものだが、実際は難しい。
直情怪行で気が短いから、しばしば上司とぶつかるのである。

上司が一度決めた方針を変えたりすると、説得するのに大変な時間がかかる。
夢は大きいが、不器用なため、何を考えているかわからないところもある。

薩摩は、こまごまとしたことを指示されることを嫌う気質が残っている。
「てげてげにしておく」という方言が、それにあたる。

また「議をいうな」という気質が強い。
つまりつべこべいうなとか、理屈をこねるな、という意味である。
年功序列を重んじる気風が強く、年長者は無条件に尊重して黙って従うのが美徳とされている。
したがってタテ社会になりやすい。
郷中でも、年長者が年少者を全人格的に教えていた。
郷中から一人の成功者を出せば、周囲の多勢が恩恵を被ったのである。
これが俗にいう「薩摩のイモヅル」である。イモヅルはいまも県民に受け継がれ、
出身高校別の同窓会は花盛りで、身を立てた先輩が後輩の面倒をみる慣習になっている。

◇ お 墓

鹿児島ほど墓を大切にする県は稀である。
明治維新の立て役者の基は観光地にもなっているので、いつも清掃されているが、
民家の墓も驚くほどきれいに清掃されている。
墓参りといえば、他県では盆と彼岸のせいぜい2回くらいだが、こと鹿児島においては1週間に1回、
多い人で3日に1回の墓参りが習慣となっている。

◇ 男尊女卑の風土

薩摩藩では女性の教育にも厳しく、「女大学」「女論語」などの女性教訓書を通し、
女性が人から認めてもらい、敬意を払ってもらうには、夫や姑に尽くし、
子どもの教育に熱心にならざるをえない風土を築き上げた。
つまり男は外へ、女は内へである。
これが今日まで続く鹿児島の「男尊女卑」の下地になった。

ただ、ここでいう「男尊女卑」は、男性が大いばりで、女性が服従してし、るという意味でなく、
女性がしっかりと家庭内の実権を振っているということである。
女性は男性より賢明で、表面的には男性を立てながら賢く生きてきた。
つまり男性を守ってきたのである。
西郷隆盛、大久保利通ら、偉大な人物を輩出した背景には、鹿児島女性の力があるように思える。
男尊女卑というが、女性に家の一切を任せられる安心感があったからだろう。

≪総 括≫

不言実行で、情熱的だが、融通がきかない保守的な頑固者。
先輩が後輩の面倒をよく見る。軟弱な面もある。

鹿児島県は、男尊女卑の厳しい風習を残していることで有名ですが、いまは随分と変わりました。
それでも男たちの気質は情熱的で暴勇血気を尊ぶところが残っており、一旗上げて成功するより、
どれだけ無謀な挑戦をしたかを自慢したいところがあるのが、鹿児島県の県民性です。
よって行動力においては、非常にバイタリティがありますが、行動してから考えるタイプが多いのも
鹿児島県の県民性で、せっかくの行動力も先を見据えたものでは無いためゴール地点そのものが
失敗とういうケースもあるようです。

ほなみサンからの投稿)↓

 だんなを立ててるつもりですが・・・
 私はどうもいつの間にかだんなのダメ出しばっかりしてるようで・・・
 かかあ天下になってしまいました。いちおだんなが4つ上なんですがね・・・。

ゆきえサンからの投稿)↓

 ものすごく納得しちゃいました。鹿児島に来て8年ですが、良し悪しです(笑

(鹿児島県民その1サンからの投稿)↓

 徐々に変化しつつあると思いたい・・・県民の一人として(苦笑)
 そうした風土であったと認めるしかないですね。
 たしかに質実剛健は県民あげて学校の校風とかになってました

ゆうママさんからの投稿)↓

 鹿児島人です。お墓参りは週に2回です・・・。あたりまえだと思ってました・・・・。(=_=)

鹿児島の男性

「焼酎気質」と言われるのは、熱しやすく冷めやすいから。
保守的で、男尊女卑の思想が残っていたり、年長者の影響力が強かったり、
先輩が後輩の面倒をよくみたりする気質がある。
金は汚いものという考え方が残っていて、金に対する執着心は薄い。
無愛想で口下手、照れ屋でお世辞を言えないから誤解されやすいが、思いやりのある優しい人が多い。
控えめな女性が好みで、その気になると猪突猛進する!

鹿児島の女性

男尊女卑の歴史からも真面目で控え目な人が多い。
だが、表面はおとなしそうに見えても芯は強いしっかり者で、根性も座っている。
鹿児島男性に比べ柔軟性もあるし、包容力もある。優柔不断な男、軟弱な男は嫌われる。
恋愛には慎重な傾向があるが、いったん恋に落ちると、とことんついていくタイプだ。
結婚したら亭主を立てるやりくり上手に主婦に。
スポーツ選手の奥さんになる人が多い。

※一言県民性:薩摩隼人、男尊女卑


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鹿児島県編/キーワード

【キーワード】

●加治木町
   鯛めしが有名。「クモ合戦」が恒例行事に。
●川辺町
   仏壇の産地。
   国から伝続工芸品の指定を受けている。
●知覧
   薩摩の小京都。お茶(知覧茶)が有名。
   十五夜になると、農作を祈るソラヨイ祭りがある。
   ソラヨイとは「それはよい」の意。
●東町
   温州みかんの発祥地。養殖ブリ生産トップ。
●指宿
   天然砂蒸し温泉。
●種子島
   日本一のサテツの木あり。
●山川町
   「鰻」の姓が多い。
●大口盆地
   鹿児島の北海道。寒さの厳しいところ。
●奄美大島
   大島紬。
●西表島
   マングローブの群生。
●悪石島
   「ゴゼ」という祭り。秋田のナマハゲと似ている。
●尚古集成館
   島津時代の殖産産業の機械工場。
●薩摩切子
   カットグラス。
●黎明館
   明治雑新の展示館。
●ナンコ
   大人の遊び。
   3本の棒を隠し持 って相手の数をあてる。
   負ければ焼酎を飲む。高知の箸拳と似ている。
●文旦飴
   1926年に誕生。鹿児島に育った和風菓子の超ロングセラー。
●与論島名物
   もずくそば。

も〜サンからの投稿)↓

 はじめまして!おもしろいブログですね!鹿児島人の私もへ〜って思いながら読んでしまいました。
 私のブログも鹿児島ならではの鹿児島黒牛をちょこっとのせてます。
 黒牛の全国で一番の取引量のある市場があるのは鹿児島なんですよ!
 養殖うなぎ一番の生産量も鹿児島です。


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★全国県民性論破★
鹿児島県編/地域性

【異国言語】

鹿児島県を訪れた他府県人が最初に困るのが、難解な方言である。
まるで「異国」に行った感じさえする。
とりわけ商談時に焼酎が席に出たら、会話の成立はほとんど無理と心得ていたほうがよい。
通訳が必要になる。
隣県の熊本の人間でも、鹿児島弁は理解できないという。
歌うような抑揚と省略の多い言葉は、鹿児島弁でなく、鹿児島語といったほうがよさそうである。

 「じゃっと」という言葉には多様な解釈があって、
  その微妙なイントネーションで判断しなければならず、
  他府県人にとって商談はいよいよ窮地となる。

戦前に標準語奨励運動があったが、鹿児島では標準語といわずに普通語といった。
方言のコンプレックスは全国いたるところにあるが、鹿児島人にはコンプレックスがない。
実に素晴らしいことだと私は思う。

関西や東京に出ても、鹿児島弁に対する劣等感がないので、そのままの言葉で入っていく。
方言コンプレックスが鹿児島にないのは、維新の活躍者を多く輩出したためである。

ちなみに「おい、こら」という巡査言葉は、鹿児島の方言から生まれたものである。

こうした難解な言葉のため、鹿児島人を「ふるさと人事」する企業が多くなっている。

【畜産県】

台風の常襲に加え、集中豪雨、桜島の噴火による降灰が人びとを悩ませる。
火山灰台地のため、水田耕作はもちろん、畑作でも十分な収穫を得ることが難しい。
そのため肉用牛・豚の畜産に活路を見出し、畜産県として知られるようになった。

鹿児島は全国一の養豚生産県(黒豚)である。
日本が宗教的理由で獣食を禁じていた頃から、薩摩は豚の密輸を盛んにやっていた。
養豚は1871(明治4)年以降から全国に普及し始めたが、
それ以前から飼育されていたのは、鹿児島・長崎・横浜以外にはない。
島津藩が琉球を征服してからは、琉球を経由して豚がどんどん輸入された。
そこから「とんこつ」が生まれた。

豚の芸術品といわれる黒豚は最も重宝がられ、豚養殖が県内で盛んに行なわれた。
その結果、全国1位の養豚県になった。
県内の黒豚消費量は10%で、残りの90%は東京に輸送され、県財政の一役を担っている。

【王 国】

◇ 焼酎王国

夜の酒場では焼酎が中心になる。
焼酎は男が明日の英気を養う酒で、鹿児島では、ダレヤメ(ダレ=疲れ、ヤメ=止める)といい、
誰ともなく、「よか晩なぁ」と声をかけ、それぞれ好みの湯割で飲む。
郷土料理の豚肉、つけあげ(さつまあげ)、キビナゴの刺身に焼酎はつきものである。
さつまあげは中国の福建省から琉球に伝わり、それが江戸時代に薩摩に入ってきた。
琉球語で「チキアーギ」、薩摩では「つけあげ」「さつまあげ」と呼ばれるようなった。

鹿児島の地元の商店は兼業・零細店が多い。
酒販店だけをとれば、埼玉・千葉に匹敵する店数(約3000店)が点在する。
鹿児島はこれまで、酒屋で「酒ください」と注文すると、焼酎が出されるという県だったが、
消費性向の中央志向化が一段と進み、焼酎の消費量は減少し始め、逆にビールが急増し始めている。
目下の焼酎ブームでその傾向はやや衰えてはいるが他県と違い以前に比べビール・発泡酒が
急増している。

またディスカウントショップも参入し、業態変化も急速に起きている。
しかし新業態に経営改革しようとする地元の商店の意識はきわめて低く、結果的に他県からの参入で
制覇されているのが実態である。
「薩摩に商人なし」といわれるように、現在でも地元で成功している企業人の大半は県外人である。

コンビニはいまもほとんどないが、新しいものに飛びついて失敗でもして、
親の財産を潰したくないという風土が根強い。
また外販市場はゼロ市場といわれ、門を開ける家はない。
そのため訪問販売が育たない。

◇ 超老人大国

過疎化、核家族化に伴い、配偶者との死別などで独り暮らしを余儀なくされたお年寄りが
全国的に増加している。
中でも鹿児島は全国平均よりはるかにその割合が高くなっている。
75歳以上の人口も増え、超老人大国となった。
しかし鹿児島は温暖な気候も手伝って、老親を残して別居することにさほど抵抗がなく、
悲惨なイメージはない。

【日本樹林帯の縮図】

宮之浦岳(標高1935m)を筆頭に、山々が連なる島で、洋上アルプスとも呼ばれている。
島には太古以来の自然が息づいており、樹齢1000年といわれる縄文杉をはじめ多くの屋久杉が
昔のままの姿を見せている。
月のうち35日は降るといわれるほど雨が多いため、豪快な滝も多数あり、目を楽しませてくれる。

1993(平成5)年に世界遺産に認定された。
海岸線は、マングローブなどの熱帯樹林で覆われ、標高100mは照葉樹林帯、500mになると広葉樹林帯、
1000mになると針広混合樹林帯、1700mになると針葉樹林帯になる。
まさに日本の樹林帯の縮図島といってよい。
樹齢1000年以上の屋久杉、樹齢7200年以上の縄文杉、これらはまさに人類共通の財産として
未来に引き継ぐべき自然の宝庫である。

【日豊ラインと都城】

鹿児島は、産業誘致計画が乏しいため、ますます過疎化が進んでいる。
現状のままでは過疎化傾向はいっそう進む。
しかし消費性向は東京に向いている。
東京情報にきわめて敏感な一面を持っており、ブーム商品に飛びつく購買習性が旺盛で、
ブランド固定が少なく、東京の需要変化はかなり早いスピードで浸透する。
シェアの変動が起きやすく、トップ企業といえども安泰の地とはいえない。

また鹿児島は宮崎方面からの日豊本線と熊本方面からの鹿児島本線の終着地であるが、
観光客や物資は宮崎方面(日豊本線)からの流入が圧倒的に高い。
そのため宮崎の需要変化と同似しやすい。
熊本とはもともと対立圏にあって、人の交流も少ない。

宮崎と鹿児島の接点にある都城は両県攻略の最重要地区である。
都城は宮崎管轄であるが、もともとは薩摩藩で、言葉は鹿児島弁に近く、ショッピングは
鹿児島でするというパターンをとっている。
要するに都城は鹿児島のほうに親近感がある。
したがって南九州攻略の上陸点は都城となる。


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鹿児島県編/地域性

【シラス台地と火山灰】

本州最南端・鹿児島。大隅半島と薩摩半島に挟まれ、錦江湾があり、
その中間に鹿児島人自慢の桜島がある。
桜島の火山灰により、全県52%がシラス台地で覆われた特有の地層になっている。
また平野が少なく、県全体の70%は山地である。

シラス台地は、地層に保水性がないため農産物の生産に不向きである。
そのため米作にはほとんど適さず、サツマイモ、大根、煙草が唯一の土からの恵みであった。
またシラス台地は山芋には適した土壌で、これが鹿児島銘菓カルカンになる。

水分をすぐに吸うので平地の宅地にはよい。
灰白色した砂質の灰で大小の軽石とその細かな破片が雑然と混じっている。
その特性は吸水、吸音、断熱、軽質などで、早くから牛舎や豚舎などの床敷、園芸用材料、
甲子園球場のグランドに使用されてきた。

しかしシラス台地は地盤が軟弱なため、
豪雨の季節になると例年崖崩れで何人かは死亡する事件が発生するが、
恒例のためか新聞沙汰にもならない。
そしてまた高台でのビアガーデンは禁止されており、火山灰のため百貨店の屋上でのビアパーティーは
この地では見かけない。

桜島の噴火による降灰が風しだいでどちらに向くかによって、服装や洗濯といった身の回りの事から、
道路の停滞、交通ダイヤまで市民生活に直ちに影響をおよぼす。
鹿児島が九州の中で福岡に続いて新車の販売台数が多いのは、硫黄分を含んだ火山灰によって、
ラジエターの損傷が激しいからである。
スラックスやストッキングが膝まで真っ白となり、晴天にもかかわらずコートや傘が手放せない。

また桜島の火山灰のおかげで、若者のシャンプー消費量(人口比)は、全国トップとなっている。
夏ともなると風が市内に向けて吹くため、降灰で洗濯も屋外に出せず、エアコンがなければ
蒸し風呂の夜を体験せざるをえない。

nishiasaサンからの投稿)↓

 桜島の火山灰のせいで、鹿児島の車は、外気取り入れボタンを押すことができない。(笑)
 間違って押してしまったが最後、車内は真っ黒い灰ぼこりに襲われるから(笑)マジですよ。
 僕の故郷、鹿児島のインターネットライブカメラをブログにて公開してます。

【気 合】

◇ チェーストー

鹿児島の企業や支店で、販売目標を掲げる際、スローガンに「チェーストー」を採用するケースが多い。
営業マンを攻撃的な気持ちに駆り立てる、格好の言葉である。

これはもともと、丸棒で立木を打つ稽古法で有名な東郷藤兵衛重位を流祖とする
薩摩示現流がルーツである。
攻撃一本の実用性に重点を置く剣術で、頭蓋骨がこなごなになるまで打ち続ける
凄惨なものであったという。
ちなみに大学の体育会系のクラブで用いる「ビンタ」は鹿児島弁である。

【郷中教育理念】

◇ ぼっけもん

「ぼっけもん」とは、命知らずの暴れん坊で、勇敢で根性の据わった豪傑を意味する。
薩摩人はこの「ぼっけもん」を理想とし、藩をあげて少年教育に熱中した。
郷中という少年団にすべての少年を所属させ、郷中単位で少年たちに相互に切磋琢磨させたのである。

少年教育の目標は、学問を高めるというものではなく、心のさわやかさを第一とし、
臆病を最も卑しいものとして、弱者は強者に挑まなければならないという精神を養うものであった。
喧嘩も一個のスポーツであり、それが終われば怨恨を残さないということをもって美とされた。

この気質は、闘鶏という娯楽にもあらわれている。
鶏の脚に刃物をくくりつけて闘わせ、どちらかが死ぬまで闘わせる。
試合前に蝮(まむし)を食べさせ、卵を飲ませ、焼酎をぶっかけてやる。
負けた鶏は、その場で絞めて食べる。
土佐にも闘鶏はあるが、死ぬまではやらせない。
まさに闘鶏は薩摩の心胆を練るための遊戯である。

幕末から明治初期における寺子屋の数は、県内にたったの19であったが、
こうした集団教育の結果、知的水準も高くなった。
明治以降は教育に熱心な県となり、全国有数の教育県となった。

【4 S】

4Sとは、西郷・さつまいも・桜島・焼酎のことで、中でも西郷隆盛は何といっても鹿児島の誇りである。
鹿児島では大久保利通の悪口はいってもかまわないが、西郷の悪口だけは絶対にしゃべってはならない。
「もう、イモ焼酎になれましたか」と、地元の人が酌をしてくれ、上機嫌になって西郷論を始めても、
「西郷の悪口だけはいうな」が鉄則である。
西南戦争後、薩摩の威力は消滅し、西郷は偶像化され、薩摩隼人も平均的な日本人に変貌した。

【加治屋町】

加治屋町は、甲突川の土堤下にある低湿地気味の下町である。
明治維新のときには下級武士の団地で、70〜80戸の郷中の町であった。
この小さな下町から維新の志士が大量に輩出した。
西郷隆盛、大久保利道、大山巌、東郷平八郎、山本権兵衛らの維新の立て役者たちが多く輩出した。
維新改革と日露戦争はまさにこの町内でやったといっても過言ではない。


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鹿児島県編/歴史性
県旗
【島津支配700年】

奈良時代に薩摩と大隅半島を住国としていたのが、「隼人」である。
隼人は海岸に住んでいた。
目に赤いクマドリをし、ときには頬に赤い染料をぬり、その行動が敏捷であるためハヤヒトと呼ばれた。
何人種であったのか、いまも謎となっている。
多血質で進退が敏感で、戦士として無類に強く、奈良朝廷はこの種族の強さには手を焼いていたらしい。

鎌倉時代に入ると、源頼朝の一族である島津氏がこの地に入り、三州(薩摩、大隅、日向)を統一した。
荘園制度の時代から明治に至るまで約700年間、島津以外の藩主に交代したことは一度もなかった。
これは驚異的なことで、全国に例を見ない。

秀吉の時代には、各地方ブロック勢力である仙台の伊達、関東の北条、中国の毛利、四国の長宗我部らが
秀吉に併呑されたが、島津のみ違った。
県民からいまでも、「島津に醜相なし」とか、「薩摩に馬鹿殿なし」といわれるのもうなずけよう。

マイホームナビさんからの投稿)↓

 こんにちは、鹿児島に住むものです。
 薩摩隼人という言葉は今でもよく使われます。動きが素早く、強く、知恵と行動力があり、
 考え方がかっこよい人のことを言うように思います。
 記事を読んで「隼人」のことを知り、なるほどとうなずけました。

潤香サンからの投稿)↓

 待ってました!鹿児島県!かっこいいですねー「隼人」!
 その血をひいていることに誇りを持ちたいです。

【独立国・薩摩】

長い支配のもとで藩主と堅い絆で結ばれ、男子は一朝有事の際に捧げるため
君主から預かったものとして尊び、そのことが尚武の気風を養うとともに、男尊女卑の習俗を生んだ。

朝鮮遠征時の薩摩軍の活躍はめざましく、第2回の遠征時には多くの陶工を連れ帰り、
これが現在では鹿児島の重要な産業となった。

薩摩軍は馬には乗らない。歩兵仕立ての軍であった。
薩摩隼人の歩行力は抜群で、集団機動の能力は高かった。

外城に住む武士を郷士と呼び、独特の教育につながっていった。
幕末になると「島津斉彬」という特筆すべき人物が登場する。
農業を奨励する一方で、西洋文化に注目し、軍備の拡張と産業の開発に努めた。

いくつかあげれば、反射炉、洋式造船、地雷などの軍備生産、ガラス、写真撮影、電気、ガス、
紡績など、実用化できるまで発展させた。
中央とこれほどの遠隔地にありながら、中央の動きに鋭敏であったこと、この一つをとってみても
驚嘆すべきことである。
外交感覚と外交政略は見事であったというほかない。

【貧乏藩と密貿易】

薩摩藩は人口の3分の1が士氏族であった。
1871(明治4)年の調べでは、平民対士族の人口比は、薩摩の2.8に対して全国は16.5であった。
実に3人以下の労働で1人の士族を養っていた。
現在でも県民所得は最下位に近く、藩政時代においても50万石弱の貧乏藩であった。

こうした貧困財政をカバーするため、薩摩藩は活路を海に求めた。
殖産を興すため、南方貿易、朝鮮との交易を早くから開始し、その後琉球を征服し、薩摩の配下に
置くことで、50万石から73万石の藩に成長した。

1753(宝暦3)年に幕府から木曽川治水工事を命じられ、経費は実に30万両を超える
莫大なものであった。
この費用を捻出するため、奄美大島全島に強制的にサトウキビを植えさせ、黒糖を製造させ、
これを徹底的に搾取した。
「黒糖地獄」といわれ、食べていけない人びとは奴隷となった。
これを「家人(やんちゅ)」と呼んだ。

坊津はかつて南方貿易で栄えた港で、伊勢の津、福岡の博多津とともに、日本三津として名をはせた。
吹上浜(日本三大砂丘の一つ)は、帰化人渡来の地で、朝鮮と薬草で密貿易取引を行なった浜である。
陶器の里といわれる苗代川沿い(現在の東市来町美山)周辺は、拉致された高麗人によって
陶芸技術が広まった地である。

幕藩体制のもとでは、藩貿易は禁止されていたにもかかわらず、薩摩はすでに交易を盛んに
行なっていた。
その後、策略で琉球・奄美大島を征服した。
こうした背景もあって、いまでも鹿児島と奄美大島とは仲が悪く、沖縄で鹿児島を褒めるのは
禁句とされている。(〜されていた)

【二重鎖国】

シラス台地のため農作物の生産が極度に低いので、「門割制度」という強制耕作制度を実施した。

薩摩藩は、その耕地面積に比して士族の数が多すぎて、藩の経済政策として、
百姓を奴隷同然に酷使する以外に薄財政は成り立たなかった。
そのためか、富農が存在しなかった。
その一方で、熊本や宮崎に対する防衛のための外城制度を強行した。
とくに薩摩街道側は、鶴の飛来地として有名な出水に北辺要塞を建築し、
江戸体制の中でさえ頑強に国境を閉ざした。

江戸時代に使われた言葉であるが、「薩摩へ走らせた飛脚は戻らない」、
つまり他国から侵入した者は生きて帰れないことを恐れた。
このことを「薩摩飛脚」という。
江戸初期以来、幕府の密偵でさえ、ここに潜入して無事に戻れた者は稀で、
薩摩に潜入すれば二度と戻れなかったという。
薩摩は、幕府の密偵が入ってくると容赦なく切り捨てたからだ。

鹿児島に赴任した支店長は、本籍を鹿児島に移し、その戸籍謄本を地元の人に見せなければ
信用してもらえなかったという。
隣の肥後は官であり、中央集権体制はすでに肥後まで浸透していたが、久七峠(薩摩と肥後の国境)を
境にして、薩摩は700年も独立圏を維持してきた。
豊臣・徳川時代と二度にわたり封じ込め政策にあったが、その苦境を乗り越えることができたのは
優越意識があったからである。

【種子島と鉄砲】

種子島は国産第一号の火縄銃発祥の地である。
ポルトガルから来た銃を日本人の手で初めて作成した。
2000両の大金を払って2挺を譲り受けた島主は、刀工八板金兵衛に命じて同じものをつくらせた。

この頃、紀州人・津田監物という人物が島に滞在していた。
津田は、種子島と熊野灘をしばしば在来している交易商人で、早速、この鉄砲を紀ノ川流域で
一大勢力を擁していた真言宗の根来寺に持ち込んだ。
根来寺には刀鍛冶が多く、さらに堺へ伝わって鉄砲の大量生産が開始されることになった。


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