|
モニの市場を出発し約30分で、ウォロガイ村に到着。 村の入り口に樹齢が凄そうな巨木が立っています。 村の子供達。 伝統的なスタイルをした家屋。 さっき子供達がいたところの建物は普通っぽい家だったし、この伝統家屋のあたりに人がいなかったので、こちらは昔の生活を偲ぶモニュメントのようなものかな?と思ったのですが、聞けば、今も実際この家に人が住んでいて、私たちが来た時はちょうど農作業などに出ている時間帯とのことでした。 村の中心部の一段と高くなっているところに、一際大きい家と祭壇のようなものがありましたが、こちらには外部の人間は登ってはいけないということで、ちょっと離れた所から撮りました。 私が以前から行きたいと思っている、フローレス島のお隣スンバ島などもそうですが、屋根がやたら上に高く伸びていて、少し異様な姿をしていますよね。 収穫されたコーヒー豆が天日干しされていました。 ドクターHRさんと。 村の奥にあった小さな家では、ここのお父さんが古木を使って木彫りの置物を作っているとのことで、お土産に売っている物を見せてもらいました。 右に写っている大きな置物がかなり素敵でしたが、重くて持ち帰れないので、小さなものをひとつだけ購入しました。 伝統家屋の柱などには、このように趣深い木彫り細工がいろいろ見られました。 ゆったり30分ほど村の中を見て廻ってから、ウォロガイ村をあとにし、エンデに向かいました。 途中、また棚田撮影のためにストップ。 カカオの実もなっていました。 ふと気配を感じ振り返ると、私の後ろ姿をじっと見つめる一頭のシロヤギが。 本人は隠れてこちらを覗っているつもりかもしれませんが、頭と尻が丸見え状態でした。 ウォロガイ村を出て山道を走ること約1時間半、エンデの英雄マリロンガ(Marilonga)の像が見えると、もうそこはエンデの町です。 お昼の12時半、この日泊まる HOTEL GRAND WISATA に到着。 客室に窓が全くないのが難点でしたが、モニのような病院の部屋的雰囲気は全くなく、落ち着く感じのインテリアでした。 荷物だけ部屋に置いて、すぐバスで移動。 近くの中華料理店で昼ご飯を食べてから、午後の行動開始。 まず訪れたのが、このちょっと古めかしい建物。 「Bekas Rumah Pengasingan Bung Karno di Ende(カルノ兄さんが流刑されたエンデの家の跡)」と書かれていますが、これはインドネシア初代大統領であるスカルノがかつてオランダ植民地政府によってこのエンデに流刑された時に暮らした家です。 第2次大戦後の1945年8月、独立宣言と共にインドネシア共和国の大統領に就任したスカルノは、その後1965年に起きた「9月30日事件」によって力を失い1967年に失脚するまでの21年余りの長期間大統領職にあり続けたのですが、このエンデへの流刑はそれより昔の1934〜1938年、スカルノがまだ30代の時のことです。 午前中なら中に入って見学出来たのですが、私たち着いたのは午後2時頃で、残念ながら外からしか見ることが出来ませんでした。 その後立ち寄った小さな村で、イカットを織っているところを見ることが出来ました。 この女性が織っているのは、男性用の腰衣です。 このおばさんたちは織り上がったイカットを持ってこちらにやって来たので、観光客である私たちに買ってもらおうと持ってきたようですが、値段を聞いてみるとモニの市場より随分高かったので、ここでの購入は見合わせました。 手織りをしていた女性の家の庭には、立派なパパイヤの実がなっていました。 (続く)
|
旅行記
[ リスト | 詳細 ]
|
クリムトゥ山の頂で日の出と、朝日に輝く3色湖を見た後、午前7時過ぎには下山し、宿泊しているモニのホテルに向かいました。 フローレスは山がちな島で平地が少ないからか、あちらこちらで棚田を見ることが出来ました。 棚田の写真を撮っていた時に近くにいた、現地の女の子。 彼女が纏っているのは、インドネシアの各地で昔から盛んに作られている手織りのカイン・トゥヌン・イカット。 カインは「生地」、トゥヌンは「機織り」、イカットは「縛る」という意味で、使用する糸を染めるとき、織り上げるデザインに基づき、染めたくない部分を糸や紐で括って染料がその部分にしみこまないようにする技法からこう名付けられています。 経糸だけをイカットする地方、緯糸だけをイカットする地方、両方をイカットする地方といろいろありますが、フローレスのある東ヌサトゥンガラ州は主に経糸イカットです。 日本では絣(かすり)織物と呼ばれるこのカイン・イカットが、この記事の中でたくさん出てきます。 ホテルに戻り、8時頃からようやく本日の朝食。 クレープのような生地の上に乗った目玉焼き。 それとカリカリのトーストが朝ご飯でした。 食堂の壁には、小学生が描いた絵のようなクリムトゥ3湖のレリーフがありました。 珍しくチェックアウトの準備が早く出来たので、ホテルの前に出て、地元の人と一緒に写真を撮りました。 この日はモニとはクリムトゥ山を挟んで反対側にあるエンデの町まで移動しますが、その前に、泊まったホテルのすぐ近くにあるモニの市場に立ち寄ることに。 市場に近付くと、道にはみ出して商品を並べているおばちゃんや、それを買うために車を止めたりしている人で大渋滞。 そこで、途中でバスを降り、徒歩で市場に向かいました。 たらいをかぶって野菜を売るおばちゃん モニ市場の入り口 このモニ市場は、毎週月曜日(終日)と翌火曜日の朝(午前9時くらいまで)のみ開かれているとのこと。 私たち訪れたこの日が偶然月曜日だったので、賑やかな光景を見ることが出来ました。 奥に入るのといろんな店が出ていましたが、元々は広場のようなところなので、このようにシートをかけてテント代わりとしていました。 おっちゃんも外人観光客の出現に「おっ!?」という表情。 さっそく絣織物の品定めを始める嫁さん。 ひとつの場所でひとつのものを売っているとは限らず、この女性のように絣織物と野菜を一緒に売っているところもあります。 ものを売るためこの市場に来ている人たちも、普段はモニ近郊の村で野菜を作ったり織物を織ったりしていて、日曜日のうちに売れるものをまとめて乗り合いバスに乗ってモニに入り、月曜日の早朝から販売を始めています。 それにしても、いろんな色・デザインがありますよね。 嫁さんはこれが気に入って値段交渉していましたが、結局折り合わず。 テントの下はまだしも、直射日光の下に出るとやっぱり暑いです。 その暑い道ばたでおしゃべりを続けるおばちゃんたち。 先ほど売られていた絣織物は普通、男女の腰巻きに使われますが、大きなサイズのものはこのように肩や頭からスッポリかぶることも出来ます。 (続く)
|
|
数日前の旅行記事に登場したクリムトゥ。 その頂上にカルデラ湖が3つあるのですが、これが全て色違いというのがなかなか珍しい光景でした。
しかしこの3湖、実は頻繁に色が変わることでも有名です。
その色変化について包括的に書かれた資料を見つけられなかったので、いろいろな文章の中で拾った断片的な色変化情報を一覧にしてみました。
まず、湖の名前が覚えにくいので、下の画像で一番上にあるアタポロ湖を「TAP」、隣接するヌアムリコーファイ湖を「TiN」、展望台を挟んでヌアムリコーファイ湖の反対側にあるアタムブプ湖を「TAM」と表示します。
ちなみにこの画像の湖の色は、私が数週間前に直で見たものにかなり近いものです。
year アタポロ湖(TAP) ヌアムリコーファイ湖(TiN) アタムププ湖(TAM)
1886 赤 青 白
1915 ? ? 白
1929 赤 緑 青
1950 赤 ? ?
1960 ? ? 白
1978 茶色がかった赤 緑がかった青 黒
1995 赤 ? ?
1996 緑 薄い緑 濃い緑
2006前半 濃い茶色 緑 濃い緑
2006.6 赤 青 濃い緑
2006.12 濃い青 緑 黒っぽい茶色
2007 茶色 緑 緑がかった黒
2008 黒っぽい茶色 薄い緑 黒っぽい茶色
2009 濃い緑 青みがかった緑 黒っぽい緑
2011(現在) 青みがかった緑 明るい青 黒
年ごとの色変化も激しいですが、2006年のように1年の間に何度も色を変えることも時々あるようです。
ちなみに、1983年から1995年の13年間にTAPは26回、TiNは10回、TAMは11回色を変えたそうです。
色を列記しただけではイメージしにくいと思いますので、画像検索で拾った画像で色変化の特徴が分かり易いものをピックアップして、ここでご紹介します。
まずこれは、私が初めて見たクリムトゥの写真。
こちらに来た頃、書店で買い求めた絵葉書で、これを見て 「へぇ〜こんな色の全く違う湖がこの国にあるんだなぁ」と驚いたものです。 しかし、この鮮やか過ぎるTAPとTiNの色を見て、これはきっと色のコントラストを際立たせるために印刷時に着色してあるんだろうと疑っていたことも確かです。
これが最も古そうな写真で、Wikipediaによるとこの画像は1913年に撮られたもののようです。
カラーではありませんが、TAMが白っぽいのがよく分かります。
これも古い写真で、TAMは白色です。
これはこんな小さなサイズの画像しかなかったのですが、上の表にはない色の組み合わせ(TAP:群青色、TiN:水色、TAM:赤)です。 いろいろ読んだクリムトゥの話の中で、かつてTAMが血のように赤い時期がかなり以前にあったという記載がありましたが、年代が具体的に書かれていなかったので上の表には記しませんでした。 この画像を見ると、どうやら本当にそんな色の時期もあったようですね。
ここから推測すると、1990〜1991年頃のTAMはモスグリーンのような色をしていたようです。
雲がかかって見えにくいですが、5000ルピア札の3湖と似た配色になっている航空写真。
これは衛星画像を拡大したものと思われますが、 ここではTAMはもう真っ黒に見えます。
これは今世紀に入ってからの画像のようですが、TAPがかなり茶色っぽく見えます。
同じくTAPが茶色の画像。
なんだかジオラマ模型のような画像ですね (^^)
こちらはTiNがエメラルドグリーン、TAPが黒っぽい茶色をしている時の画像。
この2つの画像では湖の色の違い以外に、クリムトゥ3湖のある辺りの地形がよく分かります。
湖水の色は、太陽光線の当たり方によっても多少違って見えます。
これはうすく紫がかった水色に見えるTiN。
このように色変化の著しいクリムトゥ湖ですが、表にあるように1996年と2009年、トーンは違うものの一時的に3湖とも緑色になり、その時は今後3色湖が1色湖になってしまうのでは?と心配されたようです。 しかしどちらの時も、その後また3湖は違う色へと変わって今に至っています。
こんな近い場所にあるのになぜこんなに色が違うのか?という疑問にはまだ完璧に答えが出ていないようですが、下記の要因が考えられるようです。
1) 各々のカルデラを形作っている岩石に含まれる鉱物の違い
2) 湖水中の酸素濃度の違い
3) 火山活動の違い (1968年以降は噴火していないクリムトゥですが、現在でも TiNは活発な火山活動、
TAPは中規模の火山活動、TAMは不活発、という分類になっています)
クリムトゥは、現地のリオ語でクリ(keli)が「山」、ムトゥ(mutu)が「沸騰した」という語源であり、以前はかなり強い噴火があったことをうかがわせます。 上記3)についても、現在はTAMが最も不活発であり、湖面の色変化が近年は一番変化に乏しくなっているのも、もしかしてこの火山活動の度合いと関係あるかもしれませんね。
ところで、3湖のうち隣り合っているTAPとTiNは、
このように薄い岩の回廊のようなもので仕切られていますが、これは年々どんどん浸食されているらしいです。
昔(どの程度の昔か分かりませんが)この回廊は人が歩けるほどの幅があったようですが、今はとても薄くなっていて、この上を移動することはまず無理です。
この壁が一部でも崩壊すると、現在の3色湖が2色湖になってしまう恐れもあり、後世のためにもなんとかこのまま残って欲しいものです。
最後に、このクリムトゥ3湖についての地元の言い伝えを。
この地に住む人は、死ぬとその魂は全てクリムトゥに集まると信じている。
アタポロ湖は「妖術師の湖/悪人の湖」、ヌアムリコーファイ湖は「若者の湖」、そしてアタムブプ湖は「老人の湖」とも呼ばれており、死者の魂は聖なるクリムトゥへ入る前に、プリコンデ(Perikonde)という門を守る番人であるコンデ・ラトゥ(Konde Ratu)と対面し、コンデ・ラトゥがその魂の持ち主の生前の行いなどから、各々の魂を3湖のどこに入るべきか判断し振り分ける。
この3つならやっぱり「若者の湖」に振り分けて欲しいですよね (;^_^A
|
|
フローレス島旅行記事、前回 http://blogs.yahoo.co.jp/gandaria0708/35263828.html の続きです。 (2日目) この日は、宿泊したモニから距離にして約13kmのところにあるクリムトゥ山の3色湖を朝日のご来光と共に見るため、午前3時起床。 そして4時にはバスに乗って、宿を出発しました。 車窓の外の灯りがほどんどないので、山に入って行く道中はなんだか魔宮にのみ込まれるような感覚でした。 山腹にある駐車場に到着しバスを降りると、まわりはまさに漆黒の闇。 懐中電灯を持っている人のそばを歩かないと、足元が全く見えません。 そんな中、一緒に登った物売りのオバチャンは、両手と頭の上に荷物を持っているにも関わらず、闇夜をかなりのスピードで進みます。 聞けば、毎朝この時間にこれら商売道具を持って山頂に行っているとのことで、さすが日々鍛えられた健脚です。 5時17分。 東の空が少し白んできました。 駐車場から約30分で、標高約1640mのクリムトゥ山頂の展望台に到着。 東に向かって眼前にひとつの湖が見えますが、まだ色までよく分からず。 この湖は「Tiwu Nua Muri Koo Fai」という名ですが、「Tiwu」は現地の言葉(インドネシア語ではなく、フローレスのリオ語)で「湖」という意味なので、ここでは「ヌアムリコーファイ湖」と記します。 5時55分、ついに太陽が姿を現しました。 と共に、徐々に周囲の景色が鮮明になり、眼前のヌアムリコーファイ湖の右手奥、崖のカーテンを隔てた向こう側に別の湖「Tiwu Ata Polo(アタポロ湖)」の姿が見えてきました。 そして3つめの湖は、私たちの立っている展望台の真後ろ。 この「Tiwu Ata Mbupu(アタムブプ湖)」は展望台を挟んで他2つの湖とは反対側にあるので、この場所からの撮影で3つの湖をひとつの写真におさめることは出来ません。 3色湖と呼ばれているこの湖の現在の色は、ヌアムリコーファイ湖が明るいトルコブルー、アタポロ湖が深い青緑色、そしてアタムブプ湖は黒色をしており、これだけお互い間近にある3つの湖が違う湖面の色をしているというところが、なんとも不思議です。 夜明け前の山頂は肌を刺すような寒さでしたが、直射日光が当たってちょっと暖かくなってきたので、先ほどの物売りのオバチャンであるマルティナさんと、彼女の娘であるウリンちゃんと記念撮影。 展望台に3箇所に銅板のようなレリーフがはめ込まれていました。 レリーフの中には、上空から見たクリムトゥも。 このように飛行機などに乗って上空から撮れば、3色湖を1枚の写真におさめることも可能です。 ちなみに我々がいる展望台は、真ん中のヌアムリコーファイ湖と右下のアタムブプ湖の丁度真ん中、稜線の頂上です。 しばらく景色を見てくつろいでいると、一匹のサルがどこからともなく現われ、観光客から投げ与えられたスナック菓子をつかみ取ると... 一目散に崖になっている縁まで移動し、そこで美味しそうに食べていました。 すぐ後ろは切り立った崖で、人ならまず足がすくんで立てない場所ですが、サルはそんなこと全くお構いなしのようでした (;^_^A ウリンちゃんがお菓子を追加してあげようとサルに近付きますが、いくら長年慣れ親しんでいるとはいっても極めて危険な場所なので、すぐこちらに呼び戻しました。 ふとアタムブプ湖の方ももう一度見てみると、こちらにも別のサルがやって来ていました。 「ええ絣の織物が安いで〜!」という感じで呼びかけるオッチャン。 内心買う気満々ながら、戦略的にその買い気配を消し、さほど興味なさげに値段を聞く嫁さん。 オッチャンは最初1枚20万ルピアと言ってきましたが、値段交渉のきつい客には最安値で10万ルピアくらいで売っているという情報をウリンちゃんから事前に掴んでいる嫁さんは、「えっ!去年ここで買った時は10万ルピアやったのに、ちょっと酷いんとちゃう!」と、去年どころか初めて来た場所にもかかわらず、そういう切り口で値段交渉を始め、結局2枚20万ルピア(1枚あたり約870円)で買うことが出来ました。 フローレスに来てから最初の購入品である織物を羽織り、あらためてヌアムリコーファイ湖の前で記念撮影。 早朝は暗くて見えなかった山頂への道は、明るくなってから見るとこんな感じでした。 駐車場へ向かう途中にひとつの分岐ルートがひとつあり、そちらの階段を登るとアタポロ湖のすぐ近くに出ました。 同じブルー系でも、さきほどのヌアムリコーファイ湖のような明るさとは違う落ち着いた青色ですよね。 アタポロ湖に向かって左側。 そして右側。 クリムトゥ3湖全てに共通していますが、本当に湖面の周囲全てが断崖です。 アタポロ湖を離れいよいよ駐車場に戻ろうとした時、道ばたの案内看板で見たクリムトゥ3湖の説明写真。 この写真の中の湖面の色、なんだか今見たばかりの色と違いますよね。 実はこの3つの湖、至近距離にあるのに3つとも違う色という特色以外に、各々の湖面の色がまるで信号のように時折大きく変化するという摩訶不思議な現象でも有名です。 この興味深い色変化の話やこの湖の言い伝えなどについては、次の記事の中でもう少しご紹介したいと思っています (^^) (続く)
|
|
ここのところ、6月に西カリマンタン州(ポンティアナック)、7月にはクラカタウを見てきましたが、先週もイスラム正月を利用して3泊4日でフローレス島に行ってきました。 突然フローレス島と聞いても、ピンと来ないと思いますが、 地図の中央下、緑の線で囲った島がフローレスですので、東西に長いインドネシアのほぼ真ん中あたりに位置しています。 (初日) ジャカルタの国際空港に午前5時半集合であったため、午前2時起床・3時出発で家を出ました。 早朝のため道は空いていて、5時には空港に到着。 しばらくラウンジでくつろいだ後、7時発のデンパサール行きガルーダ航空4022便に乗り込みました。 午前10時にバリ島デンパサールのングラライ空港に到着。 ジャカルタからのフライト時間は約1時間45分ですが、ジャカルタとバリでは時差が1時間あり、ここで時計の針を1時間進める必要があります。 乗り継ぎのフライトまで3時間半も待ち時間があったので、空港からタクシーを使って近くのシーフードレストランに移動。 ここで早めの昼食をとりました。 食事のあと空港に戻ってスケジュールボードを見ると、一番下に私たちが乗る予定のライオンエア1820便マウメレ行きが表示されていました。 搭乗までまだ1時間ほど時間があったので、嫁さんと空港内でマッサージをしてもらいました。 時間が限られていたので嫁さんは肩・背中・腰のマッサージ、私はフットマッサージの共に30分コースを選びました。 私たちの乗るフライトの搭乗案内アナウンスが入り、バスに乗って駐機している場所まで移動。 待ち構えていたのはライオンエアの子会社であるウィングスエアの ATR 72-500。 機体に乗り込むまでのタラップはまずか5段でした。 ATR 72-500 は最大客席数が74席とのことで、機内は左右2席ずつの配置でやはり狭かったですが、機体自体はかなり新しい感じでした。 ライオンエアは当地でも定刻に離発着出来ない飛行機会社不名誉ランキングのトップクラスで、最近も政府から改善指導が入ったところですが、この日は予定の午後1時35分ほぼきっかりに飛び立ち、乗っているこちらがびっくりしました。 ここからフローレス島のマウメレまでは、真っ直ぐ東に向かうおよそ2時間のフライトで、バリ島を出た後、ロンボク島、スンバワ島など大きな島の上空を通過します。 この辺りの島々は独特な形の海岸線であったり、2〜3000m級の大きな山がたくさん連なっていますので、外の景色を見るだけでも楽しいです。 そして、ハチュ飼育者なら見逃すことが出来ない島々がスンバワ島を越えたところにあります。 インドネシアと言えば... そう、最重量巨大トカゲであるコモドドラゴンが棲息するコモド島・リンチャ島です。 世界的にも有名なこのトカゲは、コモド・リンチャ以外に周辺の更に小さな島やフローレス島南海岸部にも一部棲息するようですが、メインはやはりこの2島です。 ちなみにこの地図の上の矢印はフライトの進路及び進行方向。 以下は飛行機の右側の窓から撮った写真を、オレンジ色の線で囲んだ4ブロック分ご紹介します。 1. コモド島西側の海岸線 2. コモド島中央部の湾になった部分 この2枚の画像を見るだけで、コモドドラゴンがいかに木々が少なく乾燥した場所に生息しているか分かるような気がしますよね。 3.右端にちらっと見えるのがコモドとリンチャの間にあるパダール島、そして中央奥の大きな島がリンチャ島です。 パダール島にも以前は棲息したらしいですが、彼らの餌となっていた鹿を人間が狩猟し尽くしたことによって絶滅したそうです。 4.右・リンチャ島、左・フローレス島西岸部 地図で見るとおり、リンチャ島とフローレス島は間に狭い海峡があるだけで、まさに目と鼻の距離ですよね。 コモド島やリンチャ島に行くには、同じフローレス島でも最西端の町であるラブハンバジョを起点に動く必要があり、今回の旅の目的地であるマウメレ〜エンデとは直線距離でも200km以上離れていて立ち寄ることが出来ません。 このエリアは別の機会に、今度はコモド島・リンチャ島上陸&野生コモドの観察を目的とした旅に出たいと思っています。 更に30分ほど飛び、この景色はフローレス島中部の北岸エリア。 コモド島と比べると、まだこちらの方が緑が多そうです。 マウメレの町の上空に到達し、いよいよ着陸態勢。 午後3時半、素晴らしく定刻通りに、フランス・セダ・マウメレ空港に到着。 今回のツアーは20人と大所帯なので、空港を出てからは2台のバスに分乗しての移動です。 それにしてもこの橋、長いのにすれ違いが出来ないほど狭い幅ですよね (;^_^A 初日の夜は、マウメレから96km離れたモニという町(村?)で宿泊します。 フレーレスは山がちな地形で道がヘビのように曲がりくねっており、移動にも時間がかかるので、道中半分ほど過ぎたところにあるパガという村の浜辺で一旦バスを降りて休憩。 ここで食べたピサン・ゴレン(揚げバナナ)がとても美味しかったです。 マウメレ空港を出て約3時間半、午後7時半にようやくモニのフローレス・サレ・ホテルに到着。 各自の鍵を受け取り、部屋に入ったところ、 嫁さん「病院みたい...」 私 「遺体安置所みたい...」 とほぼ同時につぶやいていました。 ホテルのベッドにしては足が高すぎて、どうにも落ち着かない感じです。 明朝は午前4時出発なので、あまり深酒はせずこの夜は早めに就寝しました。 (続く)
|





