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もう、11年も過ぎってしまいました
彼は生きていれば25歳になってる
この遺書はあまりに有名で新聞、雑誌に何回も掲載されました
あらためて読んでみると
ひとりを集団でいじめる酷さは筆舌にしがたい醜いもの
加害者は今、どんな気持ちでいるんだろう?
彼らも25歳。。。
この遺書にもありますが、友達を家にあげることから始まったいじめ
家で楽しそうに遊ぶ姿に親は深刻な事態を理解できないでいた
子供の世界の残酷さがあらわれている
英語の誤字、See yo again が悲しい
もう会うことはなかったね
さようなら。。。
☆☆☆☆☆☆☆☆
いつも4人の人(名前が出せなくてスミマせん。)にお金をとられていました。そして、今日、もっていくお金がどうしてもみつからなかったし、これから生きていても・・・。だから・・・。また、みんなといっしょに幸せにくらしたいです。しくしく。
小学校6年生ぐらいからすこしだけいじめられて、中1になったらハードになって、お金をとられるようになった。中2になったら、もっとはげしくなって、休みの前にはいつも多いときで6万、少ないときでも3〜4万、このごろでも4万。そして17日にもまた4万ようきゅうされました。だから・・・。でも、僕がことわっていればこんなことには、ならなかったんだよね。スミマせん。もっと生きたかったけど・・・。家にいるときがいちばんたのしかった。いろんな所に、旅行につれていってもらえたし、何一つ不満はなかった。けど・・・。
あ、そうそう!お金をとられた原因は、友だちが僕の家に遊びにきたことが原因。いろんなところをいじって、お金の場所をみつけると、とって、遊べなくなったので、とってこいってこうなった。
オーストラリア旅行。とても楽しかったね。あ、そーいえば、何で奴らのいいなりになったか? それは川での出来事がきっかけ。川につれていかれて、何をするかと思ったら、いきなり、顔をドボン。とても苦しいので、手をギュッとひねった。助けをあげたら、また、ドボン。こんなことが4買いぐらいあった。特にひどかったのは矢作川。深いところは水深5〜6mぐらいありそう。図1みたいになっている。ここで(A)につれていかれて、おぼれさせられて、矢印の方向へ泳いで逃げたら、足をつかまれてまた、ドボン。しかも足がつかないから、とても恐怖をかんじた。それ以来、残念でしたが、いいなりになりました。あと、ちょっとひどいこととしては、授業中、てをあげるなとかテストきかん中もあそんだとかそこらへんです。
家族のみんなへ
一四年間、本当にありがとうございました。僕は、旅立ちます。でも、いつか必ずあえる日がきます。その時には、また、楽しくくらしましょう。お金の件は、本当にすみませんでした。働いて必ずかえそうと思いましたが、その夢もここで終わってしまいました。そして僕からお金をとっていた人たちを責めないで下さい。僕が素直に差し出してしまったからいけないのです。しかも、お母さんのお金の2万円を僕は、使ってしまいました。(でも1万円は●●(叔母)さんからもらったお年玉で、バックの底に入れておきました)
まだ、やりたいことがたくさんあったけど、・・・。本当にすみません。いつも、心配をかけさせ、ワガママだし、育てるのにも苦労がかかったと思います。おばあちゃん、長生きしてください。お父さん、オーストラリア旅行をありがとう。お母さん、おいしいご飯をありがとう。お兄ちゃん、昔から迷惑かけてスミマせん。●●(弟)、ワガママばかりいっちゃダメだよ。また、あえるといいですね。最後にお父さんの財布がなくなったといっていたけれど、2回目は本当に知りません。
See yo again
いつも使いばしりにもされていた。
それに自分にははずかしくてできないことをやらされたときもあった。そして、強せい的に、髪をそめられたことも。でも、お父さんは僕が自分でやったと思っていたので、ちょっとつらかった。そして20日もまたお金をようきゅうされて、つらかった。
あと、もっともつらかったのは、僕の部屋にいるときに彼らがお母さんのネックレスなどを盗んでいることを知ったときは、とてもショックでした。あと、お金をとっていることも・・・。
自殺した理由は今日も4万とられたからです。そして、お金がなくて、「とってこれませんでした」っていっても、いじめられて、もう1回とってこいといわれるだけだからです。そして、もっていかなかったら、ある1人にけられました。そして、そいつに「明日、12万円もってこい」なんていわれました。そんな大金はらえるわけありません。それに、おばあちゃんからもらった千円も、トコヤ代も、全て、かれらにとられたのです。そして、トコヤは自分でやりました。とてもつらかったでした(23日)
また今日も、1万円とられました(24日)
そして今日は2万円もとられ、明日も4万円ようきゅうされました(25日)あと、いつも朝はやくでるのも、いつもお茶をもっていくのも、彼らのため、本当に何もかもがいやでした。
なぜ、もっと早く死ねなかったかというと、家族の人が優しく接してくれたからです。学校のことなど、すぐ、忘れることができました。けれど、このごろになって、どんどんいじめがハードになり、しかも、お金もぜんぜんないのに、たくさん出せといわれます。でも、自分のせいにされて、自分で使ったのでもないのに、たたかれたり、けられたり、つらいですね。
僕はもうこの世からいません。お金もへる心配もありません。一人分食費がへりました。お母さんは、朝、ゆっくりねむれるようになります。●●(弟)も勉強に集中できます。いつもじゃまばかりしてすみませんでした。しんでおわびいたします。
あ、まだ、いいたいことがありました。どれだけ使い走りにされたかわかりますか。なんと、自転車で、しかも風の強い日に、上羽角からエルエルまで、たしか一時間でいってこいっていわれたときもありました。あの日はたしかじゅくがあったと思いました。あと、ちょくちょく夜でていったり、帰りがいつもよりおそいとき、そういう日はある2人のために、じゅくについていっているのです。そして、今では「パシリ一号」とか呼ばれています。あと、遠くに遊びにいくとかいって、と中で僕が返って(原文ママ)きたってケースはありませんでしたか。それは、お金をもっととってこいっていわれたからです。あと、僕は、他にいじめられている人よりも不幸だと思います。それは、なぜかというと、まず、人数は4人でした。だから1万円も4万円になってしまうのです。しかもその中の3人は、すぐなぐったりしてきます。あと、とられるお金のたんいが一ケタ多いと思います。これが僕にとって、とてもつらいものでした。これがなければ、いつまでも幸せで生きていけたのにと思います。テレビで自殺した人のやつを見ると、なんで、あんなちょっとしかとられていないんだろうっていつも思います。最後におばあちゃん、本当にもうしわけありませんでした。
大河内清輝(1994/11/27)
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