★エッセイ★

[ リスト | 詳細 ]

ふとも思いついた順に乗せて行く「ざくろ流エッセイ」コーナー。
ほんわかしたり。時々考えさせられたり。懐かしかったりと色とりどりです♪皆さんのお心に届けばいいなΣ(ノ∀`*)ペチ
記事検索
検索

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]

母の寝顔

引っ越してから、よく、母の寝顔を見るようになった。
今までは別居状態だったから、年をとった母の寝顔は見た事なかったのだ。

 
幼い頃にも見ていそうなものだが、私は祖母の意向で幼い時から(それこそ物心つくくらい
から)祖母と一緒に寝ていたので、若い頃の母の寝顔はほんの数回しか見ていない。
 

引越しして、母が寒い時はこたつ虫になっている、この冬。
あーなんて年取ったんだろう?って思った。寝顔は決して安らかではない。なんとなく
険しい感じだ。
苦労ばかりかけてきた。
無理して専門学校も卒業させてもらったし、今まで色んな意味で甘えてきた。
今も。
健康なら花嫁修業でも何でもするのだが。いかんせん、病気持ちでウツウツしてる時は
なにもできない。そんな自分が悔しい。

 

本当なら家事手伝いだってしたい。
母の助けをしたい。
でも、出来ない自分のもどかしさ・・・・。

 

ごめんなさい、お母さん。
私は、今描きたいもので溢れているんです。本名のように。
他の何を差し置いても描きたいものがあるんです。傍から見たらくだらない絵でも。
今、私が唯一「熱心に」出来る事。
絵を描くこと。
一日一枚でもいい、何か絵を描く。
描きかけに終わってもいい。
それが目標なんです、お母さん。

 

いつもすっぴんで、化粧っ気もなくて、ひっつめ髪で。
でも、私にとっては最高のお母さんです。
寝顔を見ては、苦労かけてすまないなぁ・・・・と思います・・・・・。
ただ、私が早く結婚すればいいとか、平凡な話じゃないし。
病気が治る事。
これが先決。

 

今、私は旅の途中。
いろんな所で旅をして。色んな刺激を受けている。
病気も、絵を描けるくらいになら、まぁ、なった。
旅立てる日は、いつだろうか。
その時に。
母に最大級のありがとうが言いたいんだ。

 

旅立つ日には、何をあげよう。
満開の花束?
好きな本?
綺麗な服?
それとも、それとも私の笑顔かな。

 

今までが嘘のように笑いたい。
その時が来たら。
快活に、溌剌と。子供の頃のように。
何事もなかったかのように。
そうしたら、母の寝顔のしわはとれるだろうか。

 

苦労ばかりしてきたお母さん。
幼いころに両親を亡くし、父と恋愛結婚したのはいいものの、嫁いびりに泣かされて。
それでもめげずに生きて、働いてきたお母さん。私を育ててくれたお母さん。
夜勤をした後、農家の仕事もして、家族の健康に気を配った食事を作り、洗濯し、
掃除し。
それでも勘違いでも何でも愛情を注いでくれるお母さん。

 

ありがとう。
ありがとう。
ありがとう。

 

こんな所ではこぼせない涙が、心の中で溢れているよ。
面と向かっては、何故か言えないひねくれんぼんばの私。
でも、心の中ではいつも思ってる。
ありがとう。
母譲りの癖っ毛も。
同じ足の小指の爪の形も。
年をとったら二重になるこのまぶたも。
丸っこい指も。
全部、貴方からの贈り物です。

 

お母さん。
いつか、私の病気が治ったら。貴方が働かなくなるような家庭になったら。
二人で温泉に行こう。
背中流しっこしよう。
お母さんの好きなお寿司も食べよう。

 

ママの笑顔とキスはラズベリー。
その甘さと酸っぱさが私を泣かせる。
でも、それがあるから私は行けるよ。遠く、遠く、何処までも。

 

母の寝顔を見るたびに思うこと。
あの懐かしい母の胸の柔らかさ。温かさ。肌触り。
どんなに大きくなっても覚えているよ。
どうか長生きしてください。母よ。いつか、
「あんな事もあったわね」
と語り会える日が来るのを夢見て。

 

お休み。
お眠り、愛しい母。
最上級のキスと、最愛のキスを込めて。

5月の便りと想い出と

私のじいちゃんは、毎年、5月に向けて我が家にいろんな色のつつじを増やした。
ピンク・赤・白・紫、どれをとっても見事に咲いた。
地元には、有名なつつじスポットがあるのだが、其処に行く必要もない位、我が家のつつじは
綺麗に咲いた。きちんと刈り込んである、つつじたちの花咲くときの美しかった事!!
他にも園芸が趣味で、薔薇・桜・馬酔木・柿の木・栗の木・梅・椿・紫陽花・それらを一切合財管理していた。

しかし、この季節になると、やはりつつじだ。
ぽん。ぽん。ぽん。
ある朝起きると、お庭は一挙につつじ祭り。
ぽんといつの間にか咲いたそれは、じいちゃんの愛情と、太陽の恵みを受けて、色鮮やかに
花束をどんと置いたように咲き誇った。
色とりどり、立派にたわわに咲いたそれは、じいちゃんのしわくちゃの手で、大事に管理されていた。
私は、何気なくそれを目にするたび、
「ああ、今年も5月が来た、夏が来る前だなぁ」
と思ったのを思い出す。

じいちゃんは、昔うちの家系が途絶えそうになった時、次男だからと近くの家から養子に来て、我が家を
再興したらしい。聞けなかったのがだが、戦争に行ったのかはわからない。
聞けないまま亡くなって、数年たつ。
盲腸が破裂しても、一晩中我慢したじいちゃん。
繕い物が上手で、ばあちゃんの手を煩わせなかった。洗濯も、下着から何から全部自分でやり、
月に一度の散髪は、ちょっとしたお出かけで贅沢だったじいちゃん。
キャベツを千切りにするのが家族のだれより上手くて、子供のころは竹馬を作ってもらったり、
近くの川にアブラメ(雑魚)を釣りに連れていってくれたじいちゃん。
寡黙で、大事なことをいう事以外は、何も言わなかったじいちゃん。
鉛筆削りも、包丁の砥ぎ方も、猫の世話も、じいちゃんから教わった私は、じいちゃん子だ。

ひ孫ができたときの、じいちゃんの嬉しい様子を、私は決して忘れない。
ちょっとお茶目で、家族の事をなにより考えていて、しっかりした意志を持った人だった。
怒られたのは、反抗期のときの一度だけで(私とばあちゃんが喧嘩した)あとはただ黙っていてくれた。

ちょっと残念なのは、そんなじいちゃんの写真がとっても少ないという事。
私は、ばあちゃんか父と一緒の写真はたくさん持っているのだが、じいちゃんは写真が嫌い
だったのかと思うほど、写真がない。
弟の結婚式の時、父が、
「じいちゃんの写真を撮ってくれ。遺影になるかもしれんし」
と言われた時(7・8年前だ)初めて私は、じいちゃんがまさに「おじいちゃん」なのだと思った。
私の中のじいちゃんは、そんなに年を取った感じはなくて、 びっくりしたのを覚えている。
皮肉にも、父の言葉は現実となり、私が振り袖で撮ったじいちゃんの写真はきちんと遺影に
使われてしまった。

なんだか一人ではじいちゃんのお墓にはいけなくて、凄く悪い気がするが(死に目に逢えなかったし)
今度、天気のいい日に、お墓にじいちゃんの好きだったタバコを持っていこうと思う。
そして、じいちゃんが植えたつつじが、きっときれいに咲いているから、それを写真におさめに
行こう。

きっと、じいちゃんはそれでも許してくれる、そんな気がする。


じいちゃん、天国で、どうしていますか。
もう、苦しくもないでしょう。悲しくもないでしょう。楽しい事ばかりで、嬉しい事が沢山で、そうやって
私を、私たち家族の事を想っていてくれますように。

今、私は私の生まれて育った家から遠く離れてしまったけど。
あのつつじを自分の部屋だった窓から見る事も、きっともうないけれど。
この時期は、じいちゃんを想い出します。

いつまで、どこまで、あのつつじたちを見られるのかな?
じいちゃんの残した、きれいな庭を。
ぽん。ぽん。ぽん。
花の咲く音がしたら、行かなくちゃ。
雨が降る前に、雨の匂いがする前に、花が散る前に、きっときっと行くからね。

それまで、ちゃんと生きるから。
どうか咲かせて下さい。

雨が降る前に。雨が降る前に。
ぽん。ぽん。ぽん。

25歳のときに発症し、私を苦しめてきたものの一つ、リストカット。

他にも苦しい症状は続いたが、その中で確固たる意志を持っていたのがリストカットだった。
家庭内不和は続いていた。友達とも不仲が続いていた。職場でのいじめ、疎外感、底のない病気への
不安感と一人戦う日々で、私は疲れていた。毎週の遠い病院への通院、それらを隠し通す事、何もかもが
重なりすぎていた。

目に見えにくい様々なストレスから、唯一心を解き放てる方法――――――「何もかも忘れる」という
方法が、リストカットの血であり、痛みであり、過去も現在も未来もない自己を忘却出来るもので、
私は長年にわたって、その方法を使い続けた。

自分にとって、「痛み」が引き金になり、新たにできた心の傷を体の痛みで忘れるという、他人から見たら
「自己を破壊する」という、人間にとって最も理解しがたい恐れをなす行為だったが、私はそれに縋った。
と、言うより、他に私の中に、「痛い」「苦しい」「怖い」と言える、何者も存在しなかったからだ。
私が一番苦しかったものは、そこだった。
この行為は理解されない、と心のどこかで解っていたから「あえて話す」などという選択肢はなく、
それは深夜一人でひっそり行われた。
そうして、「秘密」と「プライバシー」だけが唯一の私の味方で、安全な場所になった。

健全なアタッチメントはなく、病的なものでそれを補おうとしていたのだろう。
私は何年も、その「方法」だけで生き延びてきたようなものだ、と思う。
誰にも依存出来ない苦しみと引き換えに、代償として、心の安全をリストカット行為に求めていたのだ。

そのうち仕事も辞め、勤めては辞め、の繰り返しで、病状は悪化の一途をたどり、目に見えて良くなることなど
ないのだと思い始めた―――――――――しょうがない事なのかもしれないが。
家族にも理解されない心の内。
理解してほしい、と切に願う想いとは裏腹に、理解もいらない、接してこないでくれ、と殻に閉じこもった。
それでは、家族も当惑した事だろう。
でも私は、必死に生き延びようとしていただけだ。
偽る事もまた、私の友達となった。死にたい、死にたい、消えたいと思う一方で、「私」を何とか生き延びさせる
事は、矛盾しているようで正しい心のうちだった。

そして、私は諦めを最近受け入れた。

「家族の理解」という夢を自分から捨てたのだ。
それは長年の夢だった。
いつか家族の誰かが、
「こんなに辛い事、一人でよく耐えたわね、誇りに思うわ」
と言ってくれる事を。
でも、現実は、違うものだ。―――――私は色々面倒だったから、親も手に余しているのが良く解った。
性格的なものも手伝って、私は家族の中で「扱い辛い」独りの病人にすぎなかった。

何のきっかけだったか、良くは覚えていないが、「諦め」たら底の底まで沈んでいった時、初めて
自分の心が見えた。そんな気がしたのだ。
今までは「鏡の中の自分」を見ている様だったのが、「見て、触れる」自分の心が生まれて初めて
明確になった。心は、私にはしっかりとした欲求を訴えかけて来る様になった――――――――
まず、長年離れていた「絵を描く事」が私の使命になった。私は、絵を描く事で、様々な気持ちを
発散し、何かを発信することの楽しさ、達成感、そして何より「自分にしかできない事」を初めて
手に入れた気持ちになれた。それは、新しい感覚だった。長年絵を描くことから離れていたのに、
描き始めるとどんどん絵はたまっていった。そして、嫌だった人間関係も、きっぱりと引きずられないで
切れるようになった。
「嫌な事にはNOという」
そんな基本的な事すら、私は今まで放棄していたのだと改めて思った。
そして、どんどん欲求は増えていった。
欲しい本がある、CDがある、そんな些細な事から―――――大きく、「自立したい」そう願うようになった。

仕事も、見計らったように何事もなく決まり、今は大変だが充実しているといってもいい位になった。
薬も、ほぼ飲んでいない。疲れて眠る―――――という、自然な流れができ始めた。過眠もあまり
しなくなってきた。
昔の私からしたら、大きな進歩だ。
家族との調和も図り、口数も増えた。最初は不安がって、仕事の事を心配していた母も、今は私に
家業の農業の手伝いをできないか、とまで言ってくるようになった(さすがにそれは無理だと断ったが)
フルタイムで働いているが、今のところ不満はない。人間関係も今後はわからないが、いい方向のようだ。

しかし、私は自覚してはいる。
これは一種の「ロールプレイ」だ。

・新しい関係を築くこと
・傷跡を心も体も過去のものにして、客観的に見れるようになること
・反対意見や自分の意志をはっきり他人に(家族に)伝えられるようになること
・過去からのエコーに囚われないようにすること

これらは、カウンセラーがある程度の病状回復に達したクライエント(患者)に行うものと同じことで、
私はそれを自分自身で「練習」して現実にロールプレイしているのだ。

病気がぶり返すことも覚悟で、私はこれをやっている。
大事なことは、明日の事だけ考えることだ。特に、重要な決定などはしないようにし、何度も心の中で
「ロールプレイ」することで、また、現実に「実行」してみることで、一つの自信に繋がっていく。
たとえば、仕事のシフトで連続勤務をするのは4日までだと言うとか、リストバンドの下の傷跡を尋ねられた
時、上手くかわす方法などだ。
そして、3日先の事は考えない(あまり長期的な考えをするとまたブラックホールに落ちてしまうから)
仕事も、しがみ付くのではなく、自然な流れで、行えるところまではして、他はしない、など。
諦めではなく、心のどこかで「1年勤めればいい方だ」とは思っている。そこから先は、またその時
考えればいい。

家族の理解は得られなかったままだが、私はこれにももう見切りをつけている。
縋っているだけでは得られないものが多すぎた。
医者にも期待はしなくなった。
カウンセリングも、一区切りしている(これはまた始めるかもしれないが)

波のように、ゆり返しながらぶり返しながら病状は良くなっているようだ。
まだまだ薬は必要な時もあるが、以前のようには執着しなくなっている。
人それぞれ、感情的苦痛に対処する方法を生み出すものだし、これが一番いい方法かは解らないが
とりあえず、仕事に夢中になり、趣味に没頭しているうちは「安全な方法」だと思う。
また、リストカットや過食のような、「危険な方法」に嵌らないように、気をつける事も大事かもしれない。

未来はわからない。
「ロールプレイ」が「現実的な行動」になる事を、私は自分で実践したいと願う。
もう一年半以上、切ってはいない。
これが永遠に死ぬまで続く事を、祈る。

そして、これを読んでくれた人へ。
あなたも、いつか「ロールプレイ」ができるようになる事を祈っています。
私もまだ練習中です。
頑張って、「現実的にできる」まで見守って下さると幸いです。



届かないほど遠くに行った人へ。
遠いけれど近くにいる人へ。
近くで見守ってくれる親友に。
心からの愛情と、感謝のキスを込めて。

―――――――ペンの代わりに刃を使い、インクの代わりに血を使う事が、無くなりますように。


Cutting(リストカット)は麻薬だ。

しばらくリストカットしてなくても、ふと切りたくなる時がある。
日常使っている、カッターやデザインナイフやカミソリ・・・・・それらを使う時、ふと心によぎる。
あの赤い血。
滴る感触。
ピリピリとした痛み・痛み・痛み。
それすら快感に変えてしまう脳内。
切った後の安堵感。
やり遂げたという達成感。
病んでいる。病んでいるけど、「その時」私に必要なのは、その全てだった。

ずっと寝ていると怖い夢を何度も見た。
自分の顔の皮膚が生々しく剥がれていく夢や、海の底にたどり着くまで肉がだんだん
ふやけて剥がれていって、最後に骨だけになって急に浮かび上がる夢など。
眠れない。それで切った。
刺激が欲しかったのもある。
何条あやの影響もあるけれど、リストカットは言葉としては知らなくても、幼い頃から
やろうと何度も試みた。
それでも、その時は怖さの方が勝って、代わりに自分で髪を切った。
背中まであった髪。
せっかく伸ばして、綺麗だねと褒められていたのに。
ショートカットなんて似合わないのに、バッサリ切った。家族にも友達にも驚かれた。
理由?
解らなかった、自分でも。
なにか、損傷しなければ、失わなければその時生きて居られなかった。ただそれだけ。


今は、熱中するモノがある。
だから、切ろうとは思わない。切ってももう同じ事だとようやく、5年以上たって学習したのだ。
一時しのぎの、まさに快楽だった。切る事は。
苦しみがその一瞬だけはじけて飛ぶ。
あの感覚は、リストカッターにしか解るまい。
まるで空を飛んでいるようだった。
真っ赤な滴るそれは、私には羽根の一枚一枚に見えた。
なんでもできる気になったし、よく眠れるし、心から安心できた。
自己陶酔と、自己憐憫の合わせ業。
そりゃ、やりますとも。
苦しいんだもの、実際にこの心が。
痛いんだもの、本当にこの胸が。


でも、今は切っていない。
一年以上切ってない。
どうしてだか、ある時ふっと気付いたのだ。
私が切っても世界は変わらない。私の中も変わらない。
変わらないどころじゃない、退行だ。
それから、切りたくなったら別の事をした。絵を描くなり、手芸をするなり、寝るなり、
薬を飲んで落ち着くまで待つとか。
でも、やっぱり時々自傷したくなる。切っては駄目だと思って、痣ができるまでベッドの角に
手の甲をぶつけ続けたりもした。
でも、それも止めた。

やっぱり、変わらないからだ。

そして、変わらないものが私に残された。
醜い傷跡。
左手首は、もうぼろぼろだ。
ケロイド体質なので、傷跡が余計醜くなっている、私の左手首。
深く切るタイプではなかったにしろ、何百回とも何千回とも思えるほど切ったから。
皮膚移植でもしない限り、傷跡は消せない。
でも、私は、とりあえずそれはしないつもりだ。
これが、私の罪と罰。
その傷痕を、スティグマのように背負いながら生きていく。
もう二度と切らない、とは誓えないけど。また、何十年後かに切りたくなってしまうかもしれない。
そんな病だ、Cutting。

だから、人におススメはしない。
しようとしている人は、これを読んで思いとどまって欲しいと願う。
Cuttingは病んだ行為だ。
どんなにその時はそれが救いに思えても。
「親からもらった大切な身体なんだから」
なんて、云いはしない。
貴方の身体は貴方のものだ。
だから、親の為でなく、自分の為に大事にしてほしい。

私もまだ戦っている。
切りたくなる自分。傷つけたい自分と。
でも、進むために。
前へ。
先へ。
ここにとどまる事をしてはいけないと、心の声が言う。
誰の為でもなく、自分の為に。
5年以上メンヘラで、ようやくそう思えるようになった。年月のお陰かもしれない。
月日は貴方の顔に手にしわを刻む。
私はもう、自分で自分の腕を刻まない。
刻むなら、笑顔のしわを刻みたい。
耐える、それができれば。きっと素敵なしわが刻まれる。
その時まで待てばいい。


「腕を切っていたのは、遠い記憶よ」

そう、そんな風に言える日が来ればいい。
そんな日が来た時には、皮膚移植なんてもう必要ない。きっと他の年月のしわと同じに
Cuttingのしわも紛れてしまうだろう。。
その日が来るのを祈って。
そうさ。
夜明けが来るのを待てばいいんだ。
明けない夜はないんだから。

許すということ

許すというのは、いつ覚えるのでしょう。

私は、未だに、こんな病気になってしまった自分を許せません。
「自分許し」が下手なのです。
両親も、きっと兄弟も、もうきっと「こんな病気の私」を許してくれているはずなのに。
何かのせいにするのも、誰かのせいにするのも、簡単で、きっと楽なことでしょう。
でも、私は自分で自分を許せない。
未だに許せていない。
生まれた家が貧乏でも、欲しいものひとつ買えなくても、まともに育っている人は大勢いるのに。
五体満足に生んでもらったのに・・・・・・・・!
なんで、なんで、私がこんな目に合わなくてはいけないのかと、自己憐憫に浸って自殺未遂した
時もありました。
でも、助かった。
助けてもらった。
どうしてこんな私を助けようとするのか。
解りませんでした。

あの日、あの夜。
私は「死」しか頭にありませんでした。
震える手で、数えないように大量の薬を飲んで、遺書を書きました。
もうこんな世の中、生きていたくない、消えてしまった方が世の中の、親の為だと思いました。
道端の砂が風で舞うように、さっと消えれたらいいと思っていました。
そして、私は此岸から彼岸へ一歩踏み出しました。
踏み出して解ったこと。
親は、思っているよりも、私の事を心配してくれていたこと。
端的に言えば、愛してくれていたこと。
それが解りました。

お金がないのに、入院費用も出してくれました。
少ない時間を取って、母が私に会いに来てくれました。
父は、仕事(農業)の関係で来れなかったけど、私が少なくとも助かるまでは、傍に居てくれました。

それなのに。
私はいまだに自分だけが、自分を許せないのです。
生きたい・・・・・・・・・・!
寿命というものがあるなら。そこまで何としても生きたい!
そう、思えるようになったのに。
どうして?
どうして許せないんだろう?
悔しくて。
悲しくて。
早く治りたいのに、ぶり返して。
働けない、結婚もできない、子供も産めない。一人前に人並の幸せはもう送れない。
治るかどうかも解らない。先が見えない。まっ暗闇。
目の見えない人より見えていない。
見えないうえに、もっと見えていない、私の人生。

先の心配はするなと言われても。
無理だよ。
心配するよ。
不安だよ。
こんな不安の中、どうやって生きたらいいの?どう自分を許せばいいの?許せるの?

目の前が暗くなる。
いつか心から自分を許せる日をください。
「こんな」私でいいと、思えるようになりますように。
「ああ・・・・!生きていてよかった・・・・!」
そう、心から思えて、言える日が来ますように。
誰かに許してもらうんじゃなく。自分を心から許せるようになりたい。
傲慢にでも欺瞞でもなく。
素直に。
許せる日が来ますように。

誰の赦しもいらない。神様にだって赦してもらおうとは思わない。
ただ、生きるために、私は自分の許しがなきゃ生きられない。
生まれて、生きて行く。
ただそれだけの人生でいい。
ちっぽけな人生でいいんだ。

明日を信じられますように。
自分を許せますように。

きっと、信じていいよ。
私を愛そうとする心は、私が考えるよりずっと多いことを。
温かさに触れたい。
血のように暖かい、人の心に。

私を愛してくれる人たちへ。
私は、自分を許せるように進んでいきます。
私を見ていてね。
ゆっくりと、一歩ずつ、進んでいくからね。

どうか、見ていて下さい。
そして、私を助けてください。
私も、貴方達を助けます。

幾万のキスを、この文章に込めて。

全3ページ

[1] [2] [3]

[ 次のページ ]


.
ざくろ
ざくろ
女性 / O型
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について

ブログバナー

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31
友だち(12)
  • まろんまま
  • ローズ姫
  • こもも
  • HANA
  • アカ
  • おーしゃん
友だち一覧


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事