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ブログ引越し

皆様いつも訪問コメントありがとうございました!!

ブログしばらく休みさせていただきます。

しばらく休んでブログ引越しをするつもりです!!

新しいブログ開催したら、すぐに皆様に報告します!!




部屋の写真の記事不注意で、削除してしまいました。

コメントしてくれたイシズミチャンへ、そうですね。先日休みの日掃除しようとしたが、結局

また怠けてしまって、ぼうっとして過ごしてしまって、一日たつのが早いですね。


キクちゃんへ。そうですね。だから、削除しました。わざとじゃなかったですけど。今度綺麗にしてから、ブログに出そうかなあ。

祖母と祖父(一)

父親と母親は、叔父の家で結婚したみたい。

もちろん、結婚写真は無い。

儀式もなにもなかったみたい。

結婚する時の話を、母親に聞くと、

母親は、「わたしは、自分の町シーチから自分の布団をもってきて、

おとうさんも自分の古い持ってきて、同じ「カン」(東北暖かいベッド)

に置いた、それだけ。」

「それだけ?」

「それだけ。」

親戚何人かで一緒にお茶を飲んで、結婚した、と言う。

叔父の家から父親の郵便局の局長の地下室へ引越し。

地下室で兄が生まれた。

地下室から郵便局の事務所を改築した家へ引越し。

そこでわたしと妹が生まれた。


父親が郵便局で働くことができたのも、歴史がある。

文化大革命の頃、草原で働いていた。

「都会」から集めてきた青年たち一緒に働いていたと言う。

もちろん、父親は一番働いていた。そういう性格。周りの人民にも褒められていた。

ある日、上から、郵便局が一人必要だというお知らせが来た。


父親が選ばれ、誰も異議がなかった。

父親は郵便局でも一生懸命働いた。

一年で一人前になると決められていたが、父親は3ヶ月間で一人前になった。

また母親と結婚していなかった。

その時、祖母と祖父は、リュウチョウコウの村で、叔父(父親の次の兄)と一緒に生活していた。

父親の次の兄のお嫁の両親も一緒に生活していたと言う。四人の老人が夫婦二人と一緒に生活していた。

そしてある日、祖母と祖父が、父親の次の兄のお嫁に不満があって、家を出ていって、二人だけで家を作って生活したということを、父親が聞いた。

父親それを聞いたとたん、決断をした。仕事をやめて、村へ帰って、両親の世話をすると、言い出した。

父親の上の兄が、父親を止め、村へ行って、祖母と祖父を町へ連れてきた。

そして、祖母と祖父は、上の兄と一緒に生活していた。

また父親の上に兄の家に住んでいた父親、自分の家ができたら、祖母と祖父と一緒に生活する、

と思っていた。

続き。

開く トラックバック(29)

今はお金があると米が買えるけど、その時は、違っていた。

戸口がないと、「糧食関係」がない、「糧食関係」がないと、

「糧票」がないと言う。「糧票」がないと、米が買えないらしい。

未だによくわからないが。戸口がないと、米が足りないということだった。。


父親の祖母は、戸口が父親のいる町にない。

父親の祖母の戸口を村から、父親の町へ移転するため、

父親は仕事の暇を縫ってよく派出所とか政府へ走った。

頑張った。


父親の祖母が家に来た日からはじめ、戸口のために走った。

父親の祖母は、相変わらず小さい布の欠片を集めて縫い物をすると言う。

父親の祖母が来てから8ヶ月間経って、戸口がやっと町への移転ができた。


そして、また一ヶ月間が経って、父親の祖母が町に着てから9ヶ月間が経ってから、

父親の祖母は、この世を永遠に去った。


父親の祖母は針灸ができると言う。

父親の祖母、日本語で曾祖母と言いますか?

曾祖母は、何を考えいただろう。本当に町に来たのがよかったのだろうか。

きっとそうでしょう。来たいから、おばについて来たのでしょう。

曾祖母が来た時、わたしはまた生まれてなかった。

家族は、曾祖母、祖母、父、母、兄、五人の家族だった。

祖父は、なくなっていた。


曾祖母と祖母が並んでベッドに寝ていると、

2,3歳だったの兄はよく曾祖母と祖母の頭の所に行き、数えるそうです。

「一、二、おばあさん。一、二、おばあさん。」


「韮菜花」と言う草原から取る花があった。潰して、塩をかけて混ぜると、

とても美味しい漬物になる。わたしたち家族の大好物です。


兄はよく曾祖母と、「韮菜花」を奪って食べていたと言う。


「韮菜花」、美味しい、食べたいなあ。

元々父親は農民だった。

内モンゴルの真ん中辺りの村で18歳まで生活していた。

学校に入り、文化大革命とか、いろいろ会って、

結婚したのは、内モンゴルの東北の草原だった。

結婚して兄を生んだ。

父親は郵便局で働いていた。

仕事で、無我夢中だった。

祖父の弟の娘(わたしのおば)が家に来ていたと言う。

父親は、25歳だったおばに言う。「わたしは、前から、

わたしの祖母を身元に呼んできて生活したいと思ってきた。

ずっとその力がなかった。今は、一緒に生活することが

できると思うけど、仕事が忙しくて、田舎へ迎えに行く時間が

なかなかない。あなたにお願いしたいです。20時間の汽車に乗り、

村に行ってわたしの祖母をわたしの家へ連れてきてくれますか?」

おばは、少し考えて、「はい、できます!」と答えた。

25歳だったおばは、一人で汽車に乗り、リュウチョウコウという

遥か遠い村への旅をした。

その村へ行くのには、そんなに簡単ではない。交通が不便だった。

91歳まで村を出たことがない、中国語一言も喋れない父親の祖母を

おばが連れて、父親の家へ帰ってきた。


父親の祖母の写真が、今も家の壁で飾ってある。満州国の服を着ていて、

とても素朴だったが、とても文字一つも知らない人には見えない。なんとも言えない

立派な感じ。



テレサちゃんとボンブレチャンその写真を見たでしょう?立派な女性でしたね。

父親が16歳の時のこと。

父親の母方の祖母の所に行ったと言う。

父親の母方の祖母は、一人で生活していた。

人のために服を縫って、それで少し食べ物をもらって、

生活していた。

毎日よく道を歩いて、本当に小さい小さい皮のかけらを

集めてくる。

集めた小さい小さい皮の欠片を一つ一つ縫って、

父親のために皮の服を作ったと言う。

父親はそれをわたしに一度だけ本当に簡単に言った。


16歳の父親、静かに服を縫ってる自分の祖母に言った。

「大人になったら、わたしが祖母を迎えに来る。一緒に生活しましょう」

すると、祖母は相変わらず静かに微笑み、「それはいいね。」と

小さい声で一言だけ言って、またもや服を縫い続けた。


続き。

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