満州国のおばあさん

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祖母と祖父(一)

父親と母親は、叔父の家で結婚したみたい。

もちろん、結婚写真は無い。

儀式もなにもなかったみたい。

結婚する時の話を、母親に聞くと、

母親は、「わたしは、自分の町シーチから自分の布団をもってきて、

おとうさんも自分の古い持ってきて、同じ「カン」(東北暖かいベッド)

に置いた、それだけ。」

「それだけ?」

「それだけ。」

親戚何人かで一緒にお茶を飲んで、結婚した、と言う。

叔父の家から父親の郵便局の局長の地下室へ引越し。

地下室で兄が生まれた。

地下室から郵便局の事務所を改築した家へ引越し。

そこでわたしと妹が生まれた。


父親が郵便局で働くことができたのも、歴史がある。

文化大革命の頃、草原で働いていた。

「都会」から集めてきた青年たち一緒に働いていたと言う。

もちろん、父親は一番働いていた。そういう性格。周りの人民にも褒められていた。

ある日、上から、郵便局が一人必要だというお知らせが来た。


父親が選ばれ、誰も異議がなかった。

父親は郵便局でも一生懸命働いた。

一年で一人前になると決められていたが、父親は3ヶ月間で一人前になった。

また母親と結婚していなかった。

その時、祖母と祖父は、リュウチョウコウの村で、叔父(父親の次の兄)と一緒に生活していた。

父親の次の兄のお嫁の両親も一緒に生活していたと言う。四人の老人が夫婦二人と一緒に生活していた。

そしてある日、祖母と祖父が、父親の次の兄のお嫁に不満があって、家を出ていって、二人だけで家を作って生活したということを、父親が聞いた。

父親それを聞いたとたん、決断をした。仕事をやめて、村へ帰って、両親の世話をすると、言い出した。

父親の上の兄が、父親を止め、村へ行って、祖母と祖父を町へ連れてきた。

そして、祖母と祖父は、上の兄と一緒に生活していた。

また父親の上に兄の家に住んでいた父親、自分の家ができたら、祖母と祖父と一緒に生活する、

と思っていた。

続き。

開く トラックバック(29)

今はお金があると米が買えるけど、その時は、違っていた。

戸口がないと、「糧食関係」がない、「糧食関係」がないと、

「糧票」がないと言う。「糧票」がないと、米が買えないらしい。

未だによくわからないが。戸口がないと、米が足りないということだった。。


父親の祖母は、戸口が父親のいる町にない。

父親の祖母の戸口を村から、父親の町へ移転するため、

父親は仕事の暇を縫ってよく派出所とか政府へ走った。

頑張った。


父親の祖母が家に来た日からはじめ、戸口のために走った。

父親の祖母は、相変わらず小さい布の欠片を集めて縫い物をすると言う。

父親の祖母が来てから8ヶ月間経って、戸口がやっと町への移転ができた。


そして、また一ヶ月間が経って、父親の祖母が町に着てから9ヶ月間が経ってから、

父親の祖母は、この世を永遠に去った。


父親の祖母は針灸ができると言う。

父親の祖母、日本語で曾祖母と言いますか?

曾祖母は、何を考えいただろう。本当に町に来たのがよかったのだろうか。

きっとそうでしょう。来たいから、おばについて来たのでしょう。

曾祖母が来た時、わたしはまた生まれてなかった。

家族は、曾祖母、祖母、父、母、兄、五人の家族だった。

祖父は、なくなっていた。


曾祖母と祖母が並んでベッドに寝ていると、

2,3歳だったの兄はよく曾祖母と祖母の頭の所に行き、数えるそうです。

「一、二、おばあさん。一、二、おばあさん。」


「韮菜花」と言う草原から取る花があった。潰して、塩をかけて混ぜると、

とても美味しい漬物になる。わたしたち家族の大好物です。


兄はよく曾祖母と、「韮菜花」を奪って食べていたと言う。


「韮菜花」、美味しい、食べたいなあ。

元々父親は農民だった。

内モンゴルの真ん中辺りの村で18歳まで生活していた。

学校に入り、文化大革命とか、いろいろ会って、

結婚したのは、内モンゴルの東北の草原だった。

結婚して兄を生んだ。

父親は郵便局で働いていた。

仕事で、無我夢中だった。

祖父の弟の娘(わたしのおば)が家に来ていたと言う。

父親は、25歳だったおばに言う。「わたしは、前から、

わたしの祖母を身元に呼んできて生活したいと思ってきた。

ずっとその力がなかった。今は、一緒に生活することが

できると思うけど、仕事が忙しくて、田舎へ迎えに行く時間が

なかなかない。あなたにお願いしたいです。20時間の汽車に乗り、

村に行ってわたしの祖母をわたしの家へ連れてきてくれますか?」

おばは、少し考えて、「はい、できます!」と答えた。

25歳だったおばは、一人で汽車に乗り、リュウチョウコウという

遥か遠い村への旅をした。

その村へ行くのには、そんなに簡単ではない。交通が不便だった。

91歳まで村を出たことがない、中国語一言も喋れない父親の祖母を

おばが連れて、父親の家へ帰ってきた。


父親の祖母の写真が、今も家の壁で飾ってある。満州国の服を着ていて、

とても素朴だったが、とても文字一つも知らない人には見えない。なんとも言えない

立派な感じ。



テレサちゃんとボンブレチャンその写真を見たでしょう?立派な女性でしたね。

父親が16歳の時のこと。

父親の母方の祖母の所に行ったと言う。

父親の母方の祖母は、一人で生活していた。

人のために服を縫って、それで少し食べ物をもらって、

生活していた。

毎日よく道を歩いて、本当に小さい小さい皮のかけらを

集めてくる。

集めた小さい小さい皮の欠片を一つ一つ縫って、

父親のために皮の服を作ったと言う。

父親はそれをわたしに一度だけ本当に簡単に言った。


16歳の父親、静かに服を縫ってる自分の祖母に言った。

「大人になったら、わたしが祖母を迎えに来る。一緒に生活しましょう」

すると、祖母は相変わらず静かに微笑み、「それはいいね。」と

小さい声で一言だけ言って、またもや服を縫い続けた。


続き。

祖母(三)

短大の時のこと。

ある日祖母の夢を見た。

祖母が、子供のように、

ベッドから飛び降りて遊んでいるという夢。

夢は、いつも反対だという説があった。

どうしても気になるから、家に電話をした。

お父さんが出た。

「おばあさんも元気でしょう?」

「とても元気。心配しないでね。」


夏休み、家にいる時、祖母は、とても元気だった。

わたしは、毎日何をするのにも億劫で、

一日中家でごろごろし、ぼうっと、庭を

眺めていた。

もうすぐ90歳の祖母、

庭に両手を腰に支え、仁王立ちになって立ってる。

雑草を取ったり庭の掃除したり、

盛んに働いていた。

いつになく、すぐ怒って叫ばなかった。

父親は遊び心で庭でいろんな野菜を植えていたから、

別にそんなに雑草を綺麗に取ったりしなくてもいい。

でも元気に運動してる祖母を見ると、皆がうれしい。

新学期が始まって、秋になり、冬になった。

ある日、母親から電話があって、「祖母が天国に行った」

と言う。

完全に現実感がなかった。天国に行ったと言って、いつ帰ってくる?

と聞きたい感じだった。

「天国に行ったって?」とわたし聞き返すので、

母親、「なくなった。」と沈んだ声で言った。



いつどこでも、夜空を見る。

祖母は、満天の星の間に立ち、

わたしを見てくれている、

そういう感じが強い。

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