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gayasanのブログ
鉄道モノを中心とした趣味の日記です
先週末に大阪方面に行ってきました。メインの用事は土曜日中に済ませたので、日曜日は15時頃まで自由時間がとれることになりました。日曜日は鉄道記念日ということで、関西でも各地で鉄道イベントが開催されており心が揺れ動いたのですが、ここのところ鉄道関係での外出が多かったので、今回は普通に観光をすることにしました。いろいろと考えた挙句、大阪には何回も訪問していたのですが、お隣の堺市には今まで行ったことがなかったので、この機会に行ってみることにしました。
今回は鉄分無しのつもりでしたが、せっかく堺市方面に行くのならと、今まで乗ったことのなかった2つの盲腸線に乗ってみることにします。
日曜日の朝、ホテルの近くの大阪駅に行くと運良く阪和線直通の快速が来たので、これに乗って鳳駅に向かいました。鳳駅で阪和線支線に乗り換えます。つい先日、大阪環状線から引退した103形ですが、ここではまだ現役です。

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鳳駅から東羽衣駅(開業時は阪和浜寺駅)わずか1.7㎞の支線ですが、阪和線の前身である阪和電気鉄道が本線の天王寺・和泉府中駅間を開通させたのと同時に1929年に開通しました。なんでこんな短い路線がと思うのですが、浜寺海岸への行楽客を狙っての整備だったようです。戦前における阪和電気鉄道と南海鉄道(現在の南海電気鉄道)との激しい競争は有名ですが、浜寺海岸の行楽客を巡っての争いも相当なものだったようで、阪和浜寺駅の利用者が浜寺海岸に行く場合に渡らなければならない南海線の踏切で、南海の電車がわざと徐行運転することで踏切の閉鎖時間を長くする嫌がらせをしたという話があるそうです。
東羽衣駅を降りると、すぐ近くに南海の羽衣駅が見えています。次の目的は、羽衣駅から出ている南海の高師浜線です。

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南海線の羽衣駅の区間は立体交差化工事の真っ最中でした、すでに本線下りは高架線を利用しており、本線上り線と高師浜線が地上ホームとして残っています。2021年に高架化が完成する予定なので、そのときには因縁の踏切も撤去されることになります。

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阪和支線も短かったですが、高師浜線はもっと短い1.5㎞です。しかも、中間駅(伽羅橋)まであります。終点の高師浜駅付近の住宅地開発に伴って建設された路線だそうです。

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終点の高師浜駅は、洋館風の瀟洒な建物です。高師浜線が高架化されるとき取り壊される予定だったものを、沿線住民の要望を汲んでそのまま高架後も使用しているとのこと。この駅舎も高師浜線自体も、その建設にあたっては沿線住民の力添えが大きかったということなので、駅舎に対する住民の愛着も強かったのでしょう。
駅前には、日露戦争の時、この付近に浜寺俘虜収容所があったという案内板がありました。この俘虜収容所が日露戦争後に陸軍の施設になり、さらに民間に払い下げられて、高師浜線建設の動機となった住宅地開発が行われたのです。
鉄道から離れて観光に徹すると言いながら、午前中の大半を2つの盲腸線に費やしてしまいました。ここからは、心を入れ替えて観光に集中しようと思います。まずは、南海線に乗って堺駅に向かうことにしましょう。

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秋の気配が濃くなってきた今週末。千葉県内で鉄道を保存し走らせている場所2ヶ所を周ってきました。

まずは最初は成田ゆめ牧場を訪問です。ここは成田市内にある観光牧場ですが、その中にある「まきば線」という610㎜ゲージの鉄道に乗るのが今回訪問した目的です。この鉄道は、羅須地人鉄道協会という鉄道を趣味とする人たちのグループが敷設し保存している約500mの路線です。年に数回程度、羅須地人鉄道協会のメンバーによりSL運転が行われており、それ以外は牧場スタッフによりDL牽引の列車が運転されており、牧場を訪れた人が乗車(有料)することができます。今回はSL運転日ではないのでDL牽引列車に乗車してきました。

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まずは、列車の走行風景を撮影です。特にダイヤは決まっておらず、お客さんが集まったら随時運転するようです。まだ開園まもない時刻だったせいか、なかなか乗車するお客さんが来ないので待たされました。やっと走り出した列車は一家族で貸切状態です。路線に変化を持たせるために、わざわざ写真のような木橋区間を設けています。

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撮影が終わったら、いよいよ乗車の時間です。もちろん我々(今回は5人のグループ行動でした)で貸切です。貨車と客車の2両編成ですが、どちらでも好きな車両に乗って構わないようです。貨車にはハロウィン仕様の案山子とかぼちゃが積まれています。我々はかぼちゃと一緒に貨車の方に乗り込みました。発車するとすぐに、列車は立派な車庫の脇を通ります。これを羅須地人鉄道協会の方々が手作りされ、日々のメンテナンスを行われているのは、ただただ驚きです。

ゆめ牧場から、一気に房総半島を南下して次の目的地、ポッポの丘に向かいます。ポッポの丘は、いすみ鉄道の上総中川駅から徒歩30分の場所にあり、様々な鉄道車両が全国から集められて保存されています。

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看板にも書いてあるように、ポッポの丘はファームリゾート鶏卵牧場という会社(というかそのオーナー)が運営している施設で、22両の鉄道車両が保存されています。なんと入場無料、運営費用は、施設内での物品販売や寄付で賄っているようですが、それだけでは到底足りているとも思えないので、鶏卵牧場(というかオーナー個人)の持ち出しがかなりあるものと想像されます。

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よくぞ、こんな場所に22両も集めたものだと感心します。物品販売などは従業員が行っているようですが、メインの車両整備などはオーナーと思われるおっちゃんが、ほとんど一人で行っているようです。我々が訪れたときも、貨車移動機に来場者を乗せて動かしたり、ダンプを運転して場内整備していたりと、孤軍奮闘、獅子奮迅の働きをみせていました。数十両の模型とミニレイアウトの維持管理にヒイヒイ言っている我が身が恥ずかしいです。

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こんなのとか

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こんなのとか

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こんなのが丘の上にゴロゴロしていました。

予想以上にすごい場所で恐れ入りました。少しでも車両保存のお役にたてればと、若干の募金と卵を購入してきました。

今回訪問した千葉の鉄道保存施設は、どちらも個人の頑張りで運営されているもので、趣味の先達たちの偉業に圧倒されまくりの一日でした。

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世田谷線の招き猫電車

現在、世田谷線は沿線にある豪徳寺の招き猫とコレボしてイベントを開催中です。その一環として運行される世田谷線の招き猫電車に、今日初めて乗車しました。

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昨日から運行を始めたようですが、見たのも乗車したのも今日が初めてです。正面の顔は目とヒゲだけだと猫だとわかりません。やはり耳も欲しかったところです。

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室内のつり革は猫仕様です。意外にも握り心地が良かったです。

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床には猫の足跡。

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果たして、この招き猫。世田谷線とその利用者に福を招いてくれるのでしょうか。

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三連休の初日、昼から金沢八景周辺をお仲間と街歩きする予定があったので、少し早めに家を出て横浜市金沢区にある富岡総合公園に立ち寄ってきました。
富岡総合公園は金沢シーサイドラインの南部市場駅が最寄駅なのですが、今回は気分を変えて根岸線新杉田駅から歩いていくことにしました。
国道16号線を20分ほど富岡方向に歩き、富岡隧道をくぐったところにある鳥見塚の交差点を左折した道が、富岡総合公園の正門につづく道となります。

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鳥見塚の交差点辺りは国道と京急が併行しているので、あいさつ代わりに写真を1枚。

公園に続く道の両側は桜が植えられており、春には見事な桜並木が楽しめそうです。
少し歩いていくと、古びた門柱が見えてきます。

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門柱には「元横浜海軍航空隊隊門」と書かれた表札があります。今回、わざわざ早起きしてまで富岡総合公園に立ち寄ったのは、終戦までここにあった横浜海軍航空隊の跡を偲ぶためでした。偲ぶためとはいうものの、当時の遺構でまともに残っているのは、この門柱のみなので、いきなりクライマックスを迎えたことになります。

横浜海軍航空隊は、ここ横浜市金沢区(当時は磯子区)に昭和11年開設された、我が国最初の飛行艇部隊です。太平洋戦争開戦後は、南方に進出して哨戒等の任務についていました。終戦後は米軍に接収されていましたが昭和46年に返還された後、昭和50年に公園として整備されました。

隊門を通り過ぎて少し歩いていくと、右側に石碑が見えてきます。何かの慰霊碑のようです。

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近づいてよく見て見ると漢文が書かれています。こういうのを読むのは苦手なのですが、凡その意味を類推すると「大鵬(飛行艇)で海を渡り離島の守備にあたっていたが¥衆寡敵せず敗れてしまった。しかし、浜空の至誠の気持ち今も息づいている」という感じでしょうか。碑文にガブツ島とあるので、米軍によるフロリダ諸島攻略により横浜海軍航空隊を中心とした1100名近い将兵が全滅した戦いの慰霊碑だと思われます。
この慰霊碑の先に延びる小道を歩いていったところに浜空神社跡があります。

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浜空神社は、もともと横浜海軍航空隊の隊内にあった神社で、戦後は全海軍飛行艇隊の戦没・殉職者2000柱を合祀していたそうです。神社自体は平成20年に横須賀にある雷神社に移設されており、現在は神社の跡地に鎮魂の碑は建てられています。

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鎮魂の碑に手を合わせたあと、南部市場駅まで歩きます。途中にある神奈川県警の第一機動隊の敷地も、かつて横浜海軍航空隊だったところで、その敷地内にある特殊車両用の車庫は、航空隊当時の格納庫を流用したものだということです。このご時世、あまり機動隊の敷地をジロジロ覗いていると逮捕されそうなので、残念ながら敷地外から車庫を確認することはできませんでした。

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南武市場駅のホームから機動隊方面を見て見ると、手前の建物の奥(写真右上)に、それっぽい屋根が少しだけ見えました。ひょっとするとこれが元格納庫なのかもしれません。



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五井駅でキハ5800形の一般公開に行ったあと、せっかくここまで来たのだからということで、小湊鐡道ご自慢の里山トロッコ列車に乗ることにしました。トロッコ列車の始発駅は上総牛久駅ですが、トロッコ列車運転日には五井駅から臨時のトロッコ接続列車が運転されるので便利です。
トロッコ接続列車は普通の列車と同じで、乗車券だけで利用できるのですが、さすがにトロッコ列車目当ての観光客ばかりで、数名だけ乗っている地元客は居心地悪そうに車両の隅に立っていました。

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上総牛久駅には、すでにトロッコ列車が待っていました。トロッコ列車は座席定員制なので焦る必要はないのですが、まずは座席を確保してから発車まで撮影タイムです。
先頭のSLもどきは、もちろん本物の蒸気機関車ではなく、C型コッペルを模したディーゼル機関車です。しかも最新のディーゼルエンジン排出ガス規制をクリアしたボルボ社製のクリーンディーゼルエンジン搭載です。小湊鐡道主力のキハ200形が搭載している、年代もののDMH17系エンジンとはわけが違います。煙も出ますが、発煙装置によるものです。新製時にはダミーのサイドロットも付いていたのですが、営業2日目に破損してしまい、そのまま外されてしまいました。シリンダーも再現されているだけに残念なことです。
唯一、汽笛だけは倉庫に眠っていた本物を再利用したものということなので、音はかつて小湊鐡道を走っていた蒸気機関車と同じものです。

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さすが、最新式のディーゼル機関車だけあって、運転台も洒落ています。

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蒸気機関車は、進行方向に関わらず客車の養老渓谷駅側に連結されており、上総牛久駅方面への折り返し時は、こちら側の客車が先頭になるプッシュプル運転となります。そのため、この客車には運転台が付いており、車両記号もクハとなっています。走行写真を撮影するときには注意が必要ですね。

トロッコ列車は養老渓谷駅止まりなので、後続の列車に乗って終点の上総中野駅に行き、そこからいすみ鉄道に乗り継いで大原駅に向かいました。今は、そういう人のために「房総横断乗車券」というものが発売されています。後戻りしなければ途中下車も可能です。

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上総中野駅でいすみ鉄道に乗り換えです。小湊鐡道で上総中野駅に到着した乗客は、いすみ鉄道に乗り換えるか、そのまま小湊鐡道で折り返すかのどちらかで、上総中野駅で純粋に降車する人はいないようでした。

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大原駅まで乗車したあと、漁港近くまでブラブラして戻ってきたら、駅にキハ52+キハ28が停車していました。土休日に運転される急行だったようです。
キハ5800に始まりキハ28に終わる、気動車三昧の日曜日でした。

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