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今日、札幌のホームスクールの交流会が開かれた。月1回、札幌の近郊に住むホームスクーラーが集まっているが、今日は、メキシコからグアダハラ教会の阿部和子牧師をお迎えして、ACEという聖書を土台とした国際的教育のプログラムについての話を聞かせていただきました。 詳細は http://ACENIPPON.COMをご覧下さい。 正直、こんな教材と教育のシステムがあるなんて知りませんでした。徹底的に個別の能力を生かした学習の方法で、画一的に授業によって進めるのとは違うシステムです。 概略としては… Accelerated Christian Educationの頭文字をとってACE A=学習を加速する C=クリスチャン E=教育 1970年に個人能力別システムのカリキュラムを出版して以来、幼稚園(Preschool)から高校までの教材(PACE)を提供しています。また、各生徒は学力診断テストを受け、その結果によって自分の本当の学力と実力のレベルの所からPACEと呼ばれる教材を使用するように配慮されます。また、カリキュラムは聖書知識と聖書の価値観に基づくもので、生徒は人生を神の視点から見る事を学びます。また神との個人的な交わりを築き、クリスチャンとしての家族、教会、社会に対する責任の重要さを学びます。 現在では、世界135カ国以上、8万人以上の子ども達がこのシステムで学んでいるということでした。日本も江戸時代までは、寺子屋のように、学びたい人を集めて少人数で教育をし、一人一人に沿った指導をしてきました。明治になり、ドイツから学校の制度を入れてからは、画一的な授業形式となり、一つの教室にたくさんの子ども達を集めて、知識を伝達するスタイルとなりました。戦争中には、軍隊教育をすることになり、ほとんど洗脳のように教えられ、生徒は従いました。戦後も、高度経済成長の波にのれとばかりに、経済界からの要請で、質の高い、役に立つ人材を作り出すべく、教育が利用されていきました。あるところまでは、日本の教育システムが機能していましたが、次第に行き詰まるようになり、現在では、個に応じた教育、ゆとり教育、そして、生きる力を育てていく教育など、求められるものが変わってきつつあります。 それはどうしてか? 何のために学ぶのか? 学んだことがどう生きていくのか? というようなビジョンが見えない時代だからです。 そして、人生の目的に対して明確に答えられるものがないからです。 私たちは、サルから進化したのではなく、創造主なる神様が作られたかけがえのない存在なのです。 ですから、神様抜きに教育をすることで、子ども達に本当の意味を伝えることができないのです。 その意味で、個々の能力に合わせつつも、聖書を土台とした教材を作り、バイリンガルな教育を実践してきたこの働きに一目おくところがありました。 *写真は、ACE JAPANの発足にかかわられ、アドバイザーをしておられる阿部先生と、札幌ホームスクール交流会のメンバーです。
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ホームスクール
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毎週土曜日は、子ども達と聖書の学びをしています。 今は、「初代教会のクリスチャンたち」というテキストを使っています。 パウロの書簡の獄中書簡、牧会書簡、公同書簡、ヨハネの黙示録の学びです。 今日から、牧会書簡に入り、テモテの手紙の1章から学びました。 テモテが牧会するエフェソ教会には、偽教師たちが忍び込んでいました。 モーセの律法のすぐれた理解者であることを前面に出して、人々をほんろうしました。 その「間違った教え」とは… 1 空想話 旧約聖書の偉大な人物に対してユダヤ人の間で発展してきた伝説で、何の根拠もない。 2 系図 聖書の系図に付け加え、勝手な歴史を作り上げていた。 3 形式主義 律法を行うことが救いのための欠くことのできない条件とされました。 私たちクリスチャンは、律法によっては救われず、ただ、イエスキリストを救い主と信じる信仰によってのみ救われることを知っています。しかし、当時の教会でもあったように、現代の教会でも同じようなことが起こっているのです。 私も似たような経験をしました。 御言葉信仰に立つ牧師がさった後で、いろいろな経歴の牧師が講壇に立つようになりました。その中には、御言葉を100%信じる方(私はこの信仰でこれまでやってきたのですんなりと受け入れられる)、「私は聖書の言葉を神様の言葉として読んだことがない、人間の書いた言葉として読んでいます。」という牧師、聖書のことは何でも知っていますという学者タイプの牧師…。 明らかに、御言葉に混ぜ物をして、何が本当のことだか分からなくなるようなことが起こったのです。それがいいんだという人もいれば、そんな中では、自分たちの信仰がおかしくなるという人もいました。 でも、既に偽教師が入り込み、偽の教えが講壇から語られ、聞いた人々の中に間違った偽の御言葉が植えつけられ、何が正しいのか判断すらできない状態に私もはいっていました。その時に、御言葉に立つN牧師と祈ってきたことから、その場を離れる決心をしたのでした。苦渋の選択、23年通った教会から去るなんて考えたこともありませんでした。戦い続けることも考えましたが、もう既に時遅しという具合でした。 この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。 また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる。 新約聖書 ヨハネの黙示録22章18〜19節 聖書には、はっきりと上のように書いてあります。だから、私は御言葉をそのまま信じ、イエス様に従って生きたいと思っています。
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