1929年(昭和4年)に中田重治牧師が、メシヤニックジュウ(イエス様を信じたユダヤ人)に出会い、ユダヤ人が救われないと、再臨(イエス様が再び来られること)が来ないことが分かり、
イスラエルの平和のために祈るように
教会で指導すると、日本中で祈り出したというのである。「シオンの再建、ユダヤ人の救い、再臨」の3つの柱で熱心に祈った結果起こったことは…。
人々が次々と教会に来るようになり、「もう入るところがないので、来ないで下さい」といった教会があるとか…。教会に収容しきれなくなり、次々と姉妹教会ができ、一番多い時で、一日で30の教会が誕生したというのです。 昭和の初期の大リバイバルが日本中であったというのです。
沖縄県では、那覇から読谷村を見た時に大火事が起こったと錯覚した人が火消しを呼び、近所の人が水を運んで火を消しに行ったとか。ところが、実際は火事ではなく、聖霊が読谷村の村の教会に降ったというのである。その光景は、クリスチャンでない誰の目にも見えた出来事だったと当時を知る方が証していたことを聞きました。「読谷村に行ってはいけない、行くとクリスチャンになるから」という御触れも出たとか?
またそのリバイバルが飛び火して、北海道の日高の刑務所に伝わり、看守も受刑者も救われ、旭川の教会でもリバイバルが起こり、その中で映画「塩狩峠」の主人公の永野信夫も活躍したということなのです。神様の業は時にかなって美しいですね。
一度聖霊の火がつくと、あちらこちらに飛び火し、素晴らしい勢いで福音が伝えられていことを知って、熱く燃やされました。
ところが、この昭和初期のリバイバルはやがてさめていきます。それは、「自分が神様から救われたもの、祝福を受けているもの」という視点を忘れ、イスラエルの祝福を祈ることが呪文のようになり、リバイバルしていることが自分たちの誇りになったり、失われた10部族の一つが日本だなどといい始めたときに、急速にリバイバルが消えていったと聞きました。救いの素晴らしさに立てなかったバランスが悪かったことが大きな原因のようです。
これから来ようとしているリバイバル。多くの預言者が日本のために祈り、預言していることは、かつてなかったようなリバイバルが来るということです。昭和の初期を上回るリバイバル、大変革(トランスフォーメーション)が起こることを祈ります。その鍵は、「イスラエルの平和のために祈る」ことにあることは間違いありません。世の終わりに臨んで、絶対に消えることのないリバイバルが来ますようにと祈ります。
中田重治(なかだ しげはる)について
1870(明治3)〜 1939(昭和14)明治・大正・昭和期の牧師
東奥義塾に学び、本多庸一(4-1-35-1)の感化をうけキリスト教に入信。青山学院を卒業後、渡米してムーディ聖書学校に学び、帰国後、東洋宣教会を組織、のち日本ホーリネス教会と改称しその初代監督となった。
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