げん氣の扉

幅広い人財啓育を行っているグループダイナミックス研究所(GDI)のオフィシャルブログです。

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心の冒険・AIAという啓発セミナーを開発したボブ・コンクリン氏がこんな体験を語ったことがあります。
「講演会やセミナーなどで、最前列にすわっている人と後ろの方にいる人とでは、収入がまるで違うということをご存じですか。私の体験だと、2倍の差がある場合もあります。もちろん、前の方が多いんです」

 なんとなくわかるような気がする半面、本当かなと疑問にも思っていました。
 そこで、あるセミナーで、私はちょっとした調査を試みたことがかつてありました。若手の経営者が集まったそのセミナーで、全員に小さなアンケート用紙配り、現在の年収と、将来得たいと思っている所得を記入してもらったのです。無記名による調査で協力してもらいました。

 さて、結果はどうだったでしょうか。最前列の人の平均年収が580万円なのに対して、最後列は470万円。2倍の差はありませんでしたが、前列の人は後列に比べて約3割も収入が多かったのです。一方、将来に期待している収入は、前列が1,350万円で、後列は940万円。こちらは44%の差が出ました。

 年収の高さだけがその人間の価値を決めるわけでは決してありませんが、この調査結果は、やる氣と自信がいかに大事かを物語っているように思えます。とにかく、後ろの方にすわっていた人の方が収入が少なかったのです。引っ込み思案だったり、消極的な気持ちになると、後ろの方に目立たないようにすわるのでしょう。気持ちをふるい立たせて前へ出る積極的な心構えが必要だということです。

 慶応義塾大学経済学部長だった大熊一郎教授は、授業に出てくる学生たちを長年観察してきて、「いつも前の方の座席をとる学生は、社会に出てから必ずといっていいほど成功している」といっていました。同じ入試をパスしてきた学生たちですから、能力にそれほどの差があるわけではありません。しかし、そこで積極的な心構えを身につけるかどうかが、社会に出てからの分かれ道になるというのです。

 果たして自分が積極的な人間なのか、あるいは消極的なのか、それを知る手だてを一つご紹介しましょう。それはグループで写真を撮ったときに、自分がどこにいるかを見るのです。みんなの真ん中あたりにいることが多ければ積極人間ですし、いつも隅の方にいることが多ければ消極的に生きている証拠かも知れません。ためしに、何枚かの写真を取り出してみてはいかがでしょう。
ある小学校の運動会を見学したときのことです。かん高い歓声の中を、ゴールめざして懸命に走る子どもたちを見ていたことがありました。
私はトップより最下位の子に注目して見ていると、最下位の子どもたちはほとんど肥満児であることに気がついたのです。
 
たとえば六年男子では、1組6人で20組中で16組の最下位が肥満体、また5年男子でも、20組中15組で肥満体が最下位でした。
「太っていると、アシが遅いのは当たり前で、何を今さら……」とおっしゃる方も多いでしょう。スポーツの世界では体重がモノをいう相撲やハンマー投げなど、肥満体が活躍できるチャンスも少なくありません。しかしビジネスの世界では、肥満はますます不利になってきています。

ハワイのホノルル市長が、局長・次長二十人に減量命令を出したこともありました。
「私は、前から太りすぎの局長や次長の健康が気になっていた。彼らが健康を維持することは本人のためでもあり、仕事の能率で市民に奉仕できる」というのが当時の市長の弁でしたが、健康ややる氣増進の狙いのほかに、実はもうひとつの意味が隠されていたのです。

それは「肥満者は自己管理能力に問題あり」という“警告”です。肥満はカロリーの「入り」と「出」の不均衡から生じます。ですから、「入り」をずーっとの超過を続けて、自分の体を肥満状態に至らしめた不手際が問われているのです。

あるクリニックの院長の調査によると、ヒラのビジネスマンが1日に歩く歩数が約7千歩なのに対して、部・課長クラスは半分以下の3千歩。トップになるとたった250歩というケースもあったといいます。要するに、管理職の肥満は運動不足の一語につきるのです。

世界で話題になっているカナダ・ケベック州から生まれたサーカスエンターティンメント、シルク・ドゥ・ソレイユというショーがあります。その日本版とも言えるマッスルミュージカルでの自転車や縄跳びなどの記録を持つプレイヤー達と食事したことがありますが、彼らはさすがに健康自己管理能力を徹底させています。若いのに酒を勧めても飲まず、太ったところはみじんもありませんでした。

月並みですが、やはり、私たちは歩く時間を増やすことから始めてみてはいかがでしょう。
こんな話を聞いたことがあります。ギリシアの哲人ピアスが海で遭難したときの話です。海が大荒れに荒れ、船は転覆してしまいました。船員も乗客も死に物狂いで陸を目指して泳ぎ始めたのです。陸が見えたのが幸いでした。しんがりに船主と哲人ピアスも素っ裸で、フラフラになってやっと浜にたどり着いたというのです。

「ああ、これで万事休す、すべてを失った!」と、船主は天に叫び、顔を砂に埋めて激しく泣き始めたのです。ところが、哲人ピアスは平然としていました。そして、「オレは全財産を身に付けている」と、空に高々とこぶしを振りながら叫んだのです。船主はその声に驚いて哲人を見上げました。「私は全財産を失ったのに、あなたは全財産を身に付けているという。あなただって素っ裸ではないか、何を身に付けているというんだろう」。

それに対して、哲人は「物は必ず失うものだ、人間だって死ねばすべてがなくなる。いま、オレは生きているじゃないか。生きていれば、オレには考える力がある。この考える力こそオレの全財産だ!」と、両耳に手を当ててから、ゆっくりと自分の頭をなでまわし続けたという話です。

船主は、持ち船も身に付けていたお金も宝石も一切合財失って、「これでおしまいだ!」と言ったのですが、ピアスは考える力を持つがゆえに、人間の最大の資源が残っている、と言ったのです。

人生では、誰でも一度や二度、窮地に陥ったり困難に出会うものです。しかし、窮地に追い込まれた時こそチャンスがあるのです。ところが、普通は最悪な時には、心の持ち方、心構えが消極的になってしまい、そのために、不安、心配、絶望といった消極的な感情の方が強くなるのです。
そして、自信、勇気、希望といった積極的な感情を殺してしまうのです。その結果、前進するエネルギーが生まれず、行動も消極的になってしまうのです。

ロロ・メイという心理学者は、「人は最悪の事態に立ち至ったとき、すなわち、絶体絶命の絶望に出遭ったとき、そのときこそ、人は永遠の力を発見する」と言っています。そうした時こそ、心のリズムにダイナミックな変化が起きるというのです。

人生の底まで落ちたのだから、これ以上落ちることはない。“よし、これから這い上がるぞ”という勇氣が湧いてくるというのです。そして、「勇氣を持っているからといって絶望しないことはない。勇氣とは、絶望しているにもかかわらず、なお前進していく能力である」とも言い切っています。
 プロ野球では、 一流といわれる選手は、独自の合理的なフォームがキチッと固まっているといいます。
 世界のホームランバッターといわれた王貞治氏ほどの人でも、現役時代に何週間もホームランが出ない大スランプに襲われたことがありました。王選手にあの一本足打法を指導したのは荒川博氏ですが、スランプに陥った王選手は、必ず荒川邸を訪れて素振りを繰り返してフォームの点検を受けていました。荒川氏が巨人を去ったあとも、この師弟コンビが続いたのは有名な話です。
 
 しかし荒川氏は、王選手に何か特別な指導をしたわけではありません。いつも、一本足打法のフォームを正しく思い出させることだけだったというのです。
 
 また、ゴルフの“帝王”ニクラウスもシーズン前には師匠のグラウトのもとでフォームのチェックを受けていました。
 スポーツでは、どんな名選手でも“不動のフォーム”を崩してしまう時があります。しかし、こうしたフォームは目で見えるものです。初め自分でわからなくても、写真やビデオを見たり、周囲の人のアドバイスを聞くうちに、ハッと気づくことがあります。あなたがゴルファーなら、パートナーのふとした“コメント”が、いつの間にか狂っていたグリップやスイングを立て直すきっかけになった経験があるかも知れません。
 
 ひるがえって、私たちが仕事や対人関係、家庭生活で経験するスランプは“心のフォーム”が崩れて起こります。なぜ、そうしたことが起こるかというと、身体の筋肉が弱くなってフォームが崩れるように、心の筋肉も弱くなるのです。それが心のフォームを崩すのです。身体と心の筋肉はお互いに関係しているのかも知れません。
 
 ところが、この“心のフォーム”は現在でも写真やビデオではっきり映し出して見ることがなかなかできません。私たちが積極的な心のフォームを持っているか、消極的な心のフォームを持っているかに気づいている人は、100人中2人ぐらいしかいないともいわれています。
 
 私たちがやる氣をフルに起こして、事を成し遂げるには、それなりの心の持ち方、心構え、つまり、自分の“心のフォーム”がキチッと固まっていなければなりません。むろん、状況の変化に対応できるようなしっかりした柔軟なフォームであることは、スポーツの場合と同じなのです。
 かつて、人間関係の講座の参加者に、あなた方にいやな気持ちを起こさせてしまって、どうしても寛容でいられない状況や人物を書き出して提出して下さい、と頼んだことがあります。

 「礼儀を知らない人」「自分のことしか話さない人」「大声でのべつまくし立てる人」「のらりくらりしている人」「きつい仕事を終えて家に帰ったとき、家中が片づいていないとき」「約束の時間に現れない人を待つとき」「心配りが浅い人」「やたらと人のうわさをする人」「人の欠点ばかりしゃべる人」……
 
 これは、その答えのほんの一部ですが、世の中にはたくさんの寛容でいられない状況があります。
 こうした状況は、私たちの神経エネルギーをふだんの3、4倍必要とし、精神的スタミナを浪費してしまいます。では、どうしたらこのような状況に対し、寛容になれるのでしょうか。
 
 こんな話がAIA・心のアドベンチャーの研修の中で紹介されています。ある日、村のガキ大将が子供たちを集めて得々として言いました。「おれ、いいことを思いついたんだ。おれの考えた質問には、あのおいぼれ(、、、、)仙人も絶対に正しい答えはできないぞ!」
「というのはな、小鳥を一羽捕まえたのさ。こいつを両手に隠してあいつのところに行ってみようぜ。こいつが生きているか死んでいるかを当てさせるのさ。もし、あいつが『生きている』と答えたら、おれは何食わぬ顔でこの小鳥の首をそっと締めてあいつの足元に放り投げてやる。もし、『死んでいる』と言ったら、何にもせずに小鳥を飛ばせてやろうじゃないか!」

 仙人に会うや、ガキ大将は言いました。「仙人さま、ぼくが持っている小鳥が生きているか死んでいるか、わかるかい?」

 年老いた仙人はしばし黙想していたが、やがて口を開きました。
「子供よ、その答えは、おまえの手が握っている」

 寛容についても同じです。わたしたちが寛容になれるかどうか、その答えは私たちの手中にあるのです。なぜなら、自分の思考を選びとる権利の大部分は、私たち自身が握っているからです。他人を憎むのも、批判するのも、とがめ立てるのも、そういった考え方を自分の心の中から選び出したのは私たち自身なのです。
 
 寛容、それは言い換えれば、ただ単に他人をあるがままに受け入れるということかも知れません。あるがままの他人、それは、たくさんの美点と少しの欠点を持っているからです。

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