げん氣の扉

幅広い人財啓育を行っているグループダイナミックス研究所(GDI)のオフィシャルブログです。

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子どもとのやりとりで、次のようなケースの場合、あなたならどうしますか。
あなたは、小さな町工場を経営しています。零細企業なので、土曜・日曜日でも
休まず仕事をするのは珍しくありません。

ある日曜日のこと、息子を自分の工場に連れて行って作業場を見学させながら
仕事をしていました。その帰り、息子はカー・アクセサリーの店の前で、立ち止まりました。
彼のお目当ては「ポケット・バイク」でした。

三輪車なみの小さなオートバイですが、本物の小さなエンジンで走ります。
レースもあるそうで、「五歳の男の子が優勝したんだよ」と、息子はどこかで仕入れた
知識で私に解説してくれました。値段は三万円ちょっと。これを欲しい、というのです。

子どもの遊び道具にしては値段も高いし、何といっても危険だからと説得して、
息子もあきらめたものと私は思っていました。ところが、息子は後日、条件闘争に出てきたのです。

「お父さん、ぼくが二学期に頑張って、成績が全部『大へんよい』になったら、
ポケット・バイク買ってくれる?」。

小学二年の息子の成績は、「がんばりましょう」「よい」「大へんよい」の三段階評価方式。
全科目で最上級の評価をもらったら──というわけです。

さて、こんな場合、皆さんはどう答えますか。三万円という値段が零細企業の経営者にとって
フトコロがいたむ金額かどうかは別として、子どもが「やる氣」を見せているのだからと、
その提案に乗る人の方が多いのではないでしょうか。父親としては、仕事で忙しい中で
子どもとのやりとりに時間を取られるより、多少の出費は伴っても、この方が手っ取り早いからです。

しかし、こうした条件付きで子どもが勉強を頑張るのは、実は手段なのです。
本当の目的はプレゼントをもらうことにあるのですから、勉強の「本来のやる氣」とは
いえないわけです。この条件付きのやる氣の喚起は、アメとムチによる「賞罰教育」といえます。

これはインセンティブ・モティベーション、外からの報酬を与えてやる氣を起こす方法になります。
それに対して、アティテュード(Attitudes)・モティベーション、心構えを変えることにより
やる氣を起こす方法は、何のために勉強や学問をするのかを考えさせるのです。

手段ではなく本来の目的に目を向けさせるのです。そして、「結末」だけで賞罰を与えるのではなく
「過程」をよくみて、進歩の可能性に目を向け勇気づけることが、子どもの内面からやる氣を
起こさせるのです。

この父親は、「今は買ってやると約束もしないし、絶対に買わないとも言わない。二学期の成績を
見てから考えよう」と答えました。

何事にしろ、やるだけのことをやって実績を見せるということの重要さを、息子にも早く分からせたいと
思ったようです。さて、これで、子どもは心の中からやる氣を起こすでしょうか。
あなたならどのように言いますか。
給料が銀行自動振り込みの時代になってから、便利には違いないのですが、これを「父親の権威」と
結びつけてがっかりするビジネスマンも少なくありません。

「現金手渡しの時代は、妻も『ご苦労さま』といって受け取っていたし、子どもだって、父親が稼いで
くるから家族が生活していけることを実感できたと思う。ところが、今は、給料は自動的に入ってくる
感じでしょう。気のせいか妻や子どもたちも、だんだん私の言うことを聞かなくなってきた」と、ある
ビジネスマンは言うのです。

ひと昔前の父親たちと比べると、今の大多数のビジネスマン父親は家庭内でのカゲが薄く、また、リス
トラなどの影響で仕事の量も急激に増え、忙しくなってきています。営業の場合は、夜の付き合いも
多く、大都市のビジネスマンなら、通勤時間一時間半の郊外のマイホームには“寝に帰るだけ”の日が
続く場合もあります。地位が上がり、責任が重くなる年齢になればなるほど、“下宿人”になるのです。

さらに、子どもも思春期を迎え、難しい年頃にさしかかってくる。そこで、妻にせかされて、たまに
説教してみても子どもたちは馬耳東風―。ついカッとなって、怒ってみても、父親の権威はなかなか
回復しない。さあ、どうしたらよいでしょうか。

心理学者のディンクメイヤー博士らは、親の権威を回復するのに、アメとムチの賞罰教育は今や効果が
ないというのです。そして、その代わりに勧めている一つの方法に、「家族会議」があるのです。

家族会議では、家族全員が平等に権利と責任を分かち合います。家族会議の議長や記録係も順番で受け
持つのです。その会議で、家庭内のルールを決めることや問題解決の手順、レジャーや旅行の計画などを
話し合うことで、家族全員のやる氣を起こすキッカケを作るのです。親の義務の放棄でもなく、子どもの
言いなりになることでもないのです。うまくお互いに納得できる場合もあるし、意見が分かれて、結論が
なかなか出ない場合もあるかも知れません。

そういう時こそ、「お父さんの会社ではね…」と厳しい社会の現実を語ったり、会社の社会での役割や
目的、自分の目標、夢や志(こころざし)を伝えるのです。そして、妻や子どもの認識のレベルを高めた
り、考え方の甘さを理解させたり、修正したりするのです。

また、社会での体験を語ることにより、父親の価値の伝承を行うのです。実は、この父親の「価値の伝承」が、
日本は世界で低い方に属するのです。
家族会議を通して、父親の「権威」を回復するのです。そして、父親の価値観を次の世代に伝えるのです。
子どものやる氣を育てる親のための勇気づけプログラムを開発した心理学者のディンクメイヤー博士ら
は、「親は完全でなければならない、親に権威がなければ子どもの教育はできない、と考えている親が
多い」というのです。実はこの考え方こそが、家庭や学校での教育の行きづまりの一因で、子どもの
やる氣を育てる点で障害になっているというのです。

むろん、親が完璧たらんとして努力すること自体は、子どもにとって悪くはありません。しかし、完全
を目指し努力する親の中には、とかく子どもを叱咤(しった)激励し、賞罰のアメとムチで子に臨みがち
です。

しかし、小さいときから詰め込まれた偏差値秀才のやる氣は長続きしません。学力が上がっても知力や
人間性(力)は低下するという現象が起こりかねないのです。実際、社会人になる頃には、タダの人に
なっている例が多いというのです。

また、自ら努力しても成果があがらない場合、親は体面を考え、虚勢を張ったり、子どもの前でウソを
ついたりします。良心的な人だと、自信喪失に陥るでしょう。そこに真面目な親たちの問題があるのです。

では、どうしたら良いのでしょうか。
「親も子どもと同様に完璧な人間ではないという事実を、勇気をもって認めよう」。
と説いています。そして、子どもの失敗や不完全さを認め、挫折回復力を養い育てながら、やる氣を起こ
す。決して、いま完璧でないことを叱ったり、ちょっとした事で過大な“アメ”を与えてはいけない。
それを続けると、自発的なやる氣は身につかない、というのです。

不完全さを認める率直さと勇気が、日本中の家庭、学校でも必要なのではないでしょうか。
熱演したへンリー・フォンダとキャサリン・ヘップバーンが、ともにアカデミー主演賞を得たアメリカ
映画「黄昏(たそがれ)」は、老年の断面をみごとに描いています。

美しい湖畔の別荘に、ひと夏を過ごしにやってきた老夫婦の物語です。元大学教授で80歳になる夫は、
新聞の求人欄を熟読して“やる氣”を見せる一方で、死の影におびえています。妻にイチゴ摘みを命じ
られて森に入っても、過去に何百回も歩いた小径が未知の風景に見えて、イチゴを摘むのも忘れて息せき
切って帰ってきたりします。

娘が子連れの男友だちを伴って久しぶりに帰ってきたが、口をついて出るのは辛らつな言葉ばかり。
そして、娘と男がヨーロッパ旅行に出た後に残された少年との間に、釣りを通じて芽ばえる友情──。

アメリカの心理学者リブソンらは、年を取ってからの適応を5つの型に分類しています。

タイプ1は成熟型で、自分の過去と現在を受容し、自尊心を失わず、引退後も積極的な社会生活を営み
続けようと努力する。

タイプ2はロッキングチェアマン型。引退後にこれといった強い希望を持たず、悠々自適を楽しみ、
他人の援助を当てにしている。

タイプ3は装甲型。精力的に活躍することで老いの恐怖に対抗しようとするが、老いに対する正しい
理解に欠けている。若者をねたむ。

タイプ4は怒れる老人型で、自分が老いる現実を受容できない。わが身の不遇を他人のせいにして非難し、若者に敵意さえ示す。

タイプ5は自己嫌悪型。自分を人生の敗北者とみなし、悲観的で孤独。死こそ現在の惨めさからの
解放であると考えている。
 
ヘンリー・フォンダの演じる元教授は、釣りを悠々と楽しむが、怒りっぽく娘や男につっけんどんだか
ら、タイプ2とタイプ4の複合型で「ロッキングチェアの怒れる老人」といったところでしょうか。
老境への適応と不適応が共存しているのです。

これに対してヘップバーンが演じる老妻は魅力的な成熟型です。活動的で明るくユーモアを忘れません。その彼女が、映画のラスト近くで夫が心臓発作で倒れた時に、こう祈ります。
「神さま、この人を奪わないで下さい。役に立たない、ただの年寄りです。老いぼれを早く連れて行かないで下さい」。

幸い薬で発作はおさまりました。「初めて思い知ったわ、私たち本当に死ぬのね」とつぶやく彼女。誰でもこんな経験を繰り返しながら老いて行くものです。が、自分はどうなのか、老齢適応の5つのパターンで点検してみましょう。
聖書にはノーという言葉が1,376回出てくるのに対し、イエスはわずか4回。「十戒」にはノーが8回で、
イエスは2回しか出てきません。西洋でもそうなのですから、何事につけても遠慮深い日本では、ノーと
いう否定語の登場回数が一段と多くなってきます。

たとえば、職場では「君にこの仕事を頼みたいのだが」、「いえ、いえ、それはとても私には無理です」といった
具合です。ところが、ここに「イエス、アイキャン(はい、できます)」の精神で、若い頃はもちろん、
60歳を過ぎてからも次々と冒険に挑戦していった人物がいます。

元岩手放送代表取締役・福田常雄氏がその人で、ビジネスマンとしてトップにまでのぼりつめ、しかも
その地位に執着することなく、自ら身を引いてしまいました。まだまだ十二分に働ける年齢にもかかわら
ず、あえて職を辞したのです。そして、氏の言葉を借りるなら「コヒコク(会社から与えられる個室、
秘書、交際費、クルマ)」を捨て、「生体実験」に身を賭すことにしたのです。

「世界がいまだ経験していない、高齢化社会がもうすぐ始まるんです。その時に中高年層はどう生きる
べきか、六十代の自らの心身を荒海に放り出し、考えてみようと思ったわけです」。

この命題のもと、氏は退職後カナダに渡り、しかも一年半の長きにわたって、たったひとりで生活しまし
た。その間バンクーバーで下宿生活をし、英語スクールに通い、趣味の焼き物を楽しんだりしたのです。

ある時は、孤島でロビンソン・クルーソーのような生活をし、また、生まれて初めて車を運転し、運転
免許も取るという充実した日々でした。

「しかし、英語力も乏しいだけに、孤独感にさいなまれ、肺炎にかかってやりきれない気持ちになった
こともありました。毎日が自分に対するチャレンジの連続でしたね」。

その後も秩父三十四観音を、ある時は脱水症状に陥り、死にそうになりながらも踏破しました。このような
シビアな「生体実験」を通して、氏はこう結論づけます。

「中高年パワーを社会にとってのメリットにするためには、行政、企業サイドから努力するだけでは
ダメです。私も含め中高年層の側も生涯現役の心構えで、社会に積極的に参加していかなければなりま
せん」。

つまり「イエス、アイキャン」の精神を一生忘れず実践し、PPK(ピンピンコロリ)を目指していたのです。

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