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「近而示之遠 遠而示之近」 (近づくもこれに遠ざかるを示し、遠ざかるもこれに近づくを示せ)【始計篇】 「近づくためには遠ざかるように見せかけ、遠ざかるには近づくように見せかけることだ」ということ。 古来より実際の合戦で、よく用いられた戦術である。 例えば、徳川家康と豊臣秀吉が戦った「小牧長久手の戦い」とか、風林火山で知られる武田信玄の初陣の戦いなどがある。 これらは相手の心理的盲点を突くことで、より効果的に目標を達成しようとするもの。
つまり、相手の裏をかくと言うことであり、これも『孫子』の詭道なのだ。 |
孫子
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中国古典
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「用而示之不用」 (用うるもこれに用いざるを示せ)【始計篇】 「使っても使ってないふりをしろ」ということ。これも詭道の一つ。 要は、「軽々しく手を内を見せるな」であって、どんなに優れた戦略・戦術であっても頻繁に見せてしまったら効果がなくなる。よって必要最小限にすべきであると、言っているのだ。 常勝という名をほしいままにしていたナポレオンが戦いの後期において敗れてしまったのは、彼の戦術が広く知られてしまい、研究され尽くしたからともいえるわけで、自分の手の内を相手が知らないということが最大の利点であり、武器であるのだ。 野球だってピッチャーがどんなボールを投げてくるか、予め分かっていたらバッターは打ちやすいってことだ。
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「能而示之不能」 (能なるもこれに不能を示せ)【始計篇】 「できるのに、できないふりをしろ」という意味で、「能ある鷹は爪を隠す」ということだ。 今は宣伝の時代で黙っていたら、認められるどころか、周囲に埋没して遅れを取ってしまうではないかと不安を感じる社会なのだが、だからといって過剰なまでに自己の才能を誇示することも危険である。 能力以上の自分を演出することは、常に無理をしていなくてはならず、慢性的に精神にストレスを抱えてしまうのも現在社会の実情でもある。 その中にあって孫子の「できるのに、できないふりをしろ」とは、ある意味、背伸びをせずに余裕を持って進めという処世術ではないかと思うのだ。 先ず、自己宣伝をしなければ、人から妬まれずにすむ。人からそれ以上のことを教えてくれる。 そして、自然にその才能が認められるようになれば、より一層、輝きが増すと、考えたのではないだろうか。 物事は、一面的には計れないが、状況に応じて使い分ける必要があるのではないかと思う。
これが、孫子の「詭道」の一つである。 |
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「兵者詭道也」 (兵は詭道なり)【始計篇】 ぶっちゃけ、「戦術とは相手を欺く方法である」ということで、『孫子』の軍争篇では、「兵は詐もって立つ」(戦いは相手を騙すことが基本である」とも言っている。 このことから、「孫子の兵法」はペテンであって、まともな戦いではないと嫌う人もいれば、それを擁護する人もいるのが実情だ。 しかし、これは表面的にしか捉えていないと思う。戦いとは、特に戦争は醜い。無辜(むこ・罪のない)の民衆が数多く亡くなるのだ。きれい事では済まされない。 戦うのであれば、何としも勝たなければ、さらに悲惨なのだ。ある意味、手段を選んでいられないともいえる。 このことを指導者は、よくよく弁えておく必要があると言っているのではないだろうか。 指導者自らが、手を汚すだけの覚悟ができているか、一敗地に見えるほどの覚悟ができているのかと、問うているのだと思えてならない。 その覚悟なくして戦いなど起こすべきではない。
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「将者智・信・仁・勇・厳也」 (将とは、智・信・仁・勇・厳なり)【始計篇】 孫子は、将(指導者)5つの徳性を備えていなければならないとしている。 1.智(知恵があること) 2.信(人から信頼されること) 3.仁(いたわりの心があること) 4.勇(勇気があること) 5.厳(厳しさがあること) 以上であるが、江戸時代の儒学者・山鹿素行は、この5つの順番が大切であるとして「太公望の兵書・六韜(りくとう)」と比べ、将には勇・智・仁・信・忠が必要であり、平和の時代にあって勇こそが第一であるとしている。 孫子は、一方において将が避けなければならない5つの落とし穴も挙げており、プラス・マイナスの両面から、将のあり方を示した。 つまり民衆は、自らの幸・不幸とか、特に極限状態である戦争では、生死に関わることであるから、国の大事を預かる指導者の振る舞いを、厳しく見つめていくことが肝心であるといっているのだ。
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